運命裁断結社『タキリ・タキリ』~ある1つの婚約破棄の物語~
峰川康人(みねかわやすひと)
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ガス灯が付き始め、ラジオの到来によって遠くの声が聞こえるようになった一つの街があった。貴族街と平民街の二つで構成されたこの街にて物語の幕は開く。
「……で、お前が俺の婚約破棄を受け持ってくれると?」
「ええ。そうですよ」
時は昼下がり、貴族街の一つの家にて。
貴族生まれの青年、シュミットが腰かけた椅子の前にテーブルを挟んで座っているのは黒いスーツに身を包んだ一人の男性。
(……いったいなんだこいつは)
空のような青いスーツを着たシュミットは内心冷や汗をかいていた。目の前の男性をじっくり観察しながら。胸元についた銀のひし形のバッジをじっと見ながら。そこにある見たことない四つの文字をシュミットはじっと見ていた。
(悪魔……じゃないのか?)
「ああ、そんなに恐れなくても――」
「疑るわ!!普通に!」
彼が叫びながらテーブルの上にあった一枚の手紙を指さす。
「説明してくれ。『さっきのアレ』といい……お前、悪魔か?」
「いいえ。そのようなおぞましい存在ではございませんよ」
男はにっこりと笑った。シュミットは眉を更にひそめた。
「遅れました。わたくし、こういうものでして――」
黒スーツの男は一枚の名刺を両手で丁寧にシュミットに渡した。シュミットはそれを手に取り、名刺を静かに読み上げる。
(運命裁断結社『タキリ・タキリ』。こいつの名前はシザルタ・ボル。多分……人間だろう)
「何か気になることでも?」
「じゃあ教えてくれ。お前は悪魔じゃないのか?」
「ええ。わたくしは貴方の悩みを解決するためにこの手紙を送ったのです」
テーブルの手紙をシザルタは見つめる。
「……本当にできるのか?信じていいのか?」
「もちろんですとも」
シザルタはまたにっこりと笑った。シュミットにはそれが不気味だった。
さて、事の始まりは半年前に遡る。
――いいですかシュミット?今度の見合いは貴方にとって大切なことです。一人の伴侶を授かるかもしれないということ。これは貴族として……このベルフォート家の当主を継ぐものとして進まなければならぬ道なのですよ?だからエレナさんを生涯愛することを誓いなさい。そして亡くなったあの人に、父に誇れるお父さんになるのですよ?貴方がこれから所有するブドウ農園とそれを扱う醸造所の主としても、外の他の貴族の方々にも気後れしないように!
「……くだらねぇ」
シュミットは母のお小言を思い出しながらその日の朝食を食べていた。
シュミット・ベルフォート。今年で二十一歳になる貴族の若者。
彼は母が勝手に決めた見合いに苛立っていた。決められた進路を無理くり歩かされるというのは苦痛以外の何物でもなかった。
(自分はエレナの父にゾッコンのくせに。そのとばっちりだろこの見合いは――)
シュミットの母、ウルスラ・ベルフォートは夫を早期に亡くしていた。そのせいか愛に飢えていたのだろう。婚姻の話が持ち上がったのは今から半年前になる。
ある日、ベルフォート家に一人の客が来た。見た目が若く見える男性で整った顔立ちの男。名前をワードナー・ウェスタル。どうやら彼らが家に来たのはシュミットとワードナーの娘、エレナ・ウェスタルを会わせるのが狙いらしく、ウルスラはその見合いに首を縦に振った。見合いの日付はそう遠くない日となった。
そして見合い当日。シュミットは家の客室に母に強引に放り込まれた。
「いい?丁寧にもてなすのよ?少しでも悪評が付けば貴方の評判は落ちるんだからね!?」
「はあ……」
母に背中を押されるように、シュミットは渋々客室に入る。するとそこには黒く長い髪で華奢な出で立ちの淑女……というよりまだシュミットの目には少女というくらいの年の子がいた。
「母様。あの……この子はいくつで?」
「十八よ。貴方と三つしか違わないわ」
「十八……?十五じゃなくて?」
「可愛らしさに心奪われてるのは分かるけど、十八歳よ」
「いや違うって――」
シュミットは慌てながら否定し、目の前でお辞儀をしたエレナを見始めた。
容姿はさっきも見た通り整っていて顔立ちも可愛らしかった。しかし、自分を見るその目はどこか嫌そうな目つきでシュミットはそれを見逃さなかった。
(冗談じゃない。この子と結婚しろと?ロクに交際もしていないのに?いくら見た目がいいからって無理だろ……)
恋愛も交際もロクに積んでいないシュミットはどうにも理解できなかった。たった一人の息子である自分がベルフォート家を継ぐ。しかしその為には世継ぎもいる。ベルフォート家が栄えるためにはやはりそこは避けて通れぬ道なのだから。
「母様、あの――」
「それじゃあお邪魔である私は失礼するわね」
ウルスラはエレナ嬢ににこやかに挨拶すると足早に去っていった。二人の恋仲を邪魔したくないのだろう。
突然の来訪者であったが、シュミットは貴族としての振る舞いや女性に対する礼儀というのを幼いころから学んでいた。
だが当の相手は、エレナは終始無言であった。昼食を共にしたがロクに話もせず時間だけが過ぎていった。
「ほほう。それでどうなったのです?」
「機嫌の良かった母様はそのやり取り聞いて『じゃあ婚約でいいわね』ってさ。いやおかしいだろって。俺が冗談じゃないって言ったら烈火のごとく怒り狂ってさ。どうせ自分がワードナーと結ばれたいって腹だよあれは」
「恋は盲目になるって言いますからね」
苛立つシュミットの前にそう言ってうなずくシザルタ。
「もしや婚約して共に過ごせば自然と仲良くなると考えていたと?」
「ああそうそう。そんなこと言ってた」
シュミットは手に持ったティーカップを音を立てて皿の上に置いた。音は大きかった。
「なああんた。俺がこの紙にサインしたとき、確かに目の前に現れたよな?」
「ええ。そうですね」
「そうですねじゃねえ。普通、そうはならないんだよ!!」
驚嘆の声で突っ込むシュミットにシザルタは無表情で首をひねった。
シュミットが結社からの手紙に自らの文字を書いた時、シザルタは彼の目の前に光と共に現れた。当然、そんなことはあり得ない。
「……まあいい。とにかくだ」
シュミットは手紙を手に取った。
――後悔しない人生の為に縁を切りませんか?婚約破棄、毒親、不良子息との絶縁、迷惑メンバーのグループ追放、承ります。相談するときはこの紙にサインをすれば大丈夫!
その手紙にサインしたことを内心で自分を哀れに見ていた。こんなものに動かされた自分がいるということを。同時にサインしてみるものだと感心している自分もいたが。
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