第4話 居心地

 俺はジッと彼女を見る。ここまで誰かの話始めに集中したことはない。話……といっても、何を話せば良いか分からない。まあ世間話でもするのだろう。それに合わせるまでだ。



「高校生……で、合ってますか?」


「そうです。ここから先にある色田高校に通ってて」


「色田高校って、確か文武両道で有名なあの……?優秀な学生さんということですね」


「いえいえ!俺は……勉強は人並みにしか出来ませんよ」


 

 そう言って謙遜しつつも、どこか嬉しい自分がいた。そりゃそうだ、こんな綺麗で聡明そうな人に言われたら誰だって笑顔になる。静かな人だなとも思うが、暗い印象はない。



「勉強がどうであれ、部活と両立しているのは凄いことですよ」


「あはは……ありがとう、ございます」



 部活。


その言葉に思わずドキッとしてしまう。これまでならばその話題は食いついていた。半分黒いガラスコップを口に運ぶ。先ほどより苦味を感じる。



「部活動は何をして?」


「あ~……実は、野球をしてたんですけど辞めちゃって」


「あら……なにか理由がおありで?」



 声音が優しい。気を遣わせてしまっている。それに申し訳なさを感じるが……なぜだろう。普段ならばそういった相手に対して気分を悪くしてしまう自分がいるはずなのだが、この人の前ではそれを感じない。


いやむしろ、もう少し話してみたいとすら思う。本当に不思議な人だ。まだまだ生きた年数でいえば人生の若輩者であることには変わりないが、それでもここ16年生きてきているのに、こんな人は初めてだ。


これまで塞がっていた口が自然と開く。



「つい最近ケガをしてしまって、医者いわくもう全力ではプレー出来ないらしいんです。……それで野球部にいても意味がないように思えちゃって」


「……」



 目の前に座っている彼女の表情は変わらない。ずっと、こちらを見てくれている。


俺としてはそちらの方がありがたかった。変に言葉で心配されるより、同情されるよりよっぽどマシだ。


あまりペラペラと話すつもりはなかったのに、なんだか口から色んな言葉が漏れてしまう。



「こう見えてプロを目指していたぐらいなんですよ俺!こうなった以上続けることは出来ないから、辞めちゃったんですけどね。ははっ……」



 自虐的な笑いが出る。自分で言っていて虚しくなってしまう。こんなことを言っても何にもなりはしない。暇つぶしに会話をしようと言われたのに、何ひとつ面白いことも言えない。我ながら情けない奴だ。


けれどこれぐらいしか、話せることがないのだ。天気だとか勉強のことだとか、まして喫茶店にまつわる話も出来はしない。結局、野球のことしか知らない。



「……私は野球のことをあまりよく知らないので、なんとも言えません」


「そ、そうですか」


「なのでぜひ、野球について教えてください。よろしければですが」


「野球について?……野球に興味があるんですか?ここ喫茶店なのに」


「ええ。幼いころ、よく父が野球を観ていましたから。……それに、あなたの悩みを知りたいのです」



 そう言われてドキッとした。悩み?悩みを知りたいって、変な人だ。たかが少しの会話なのに……。彼女は赤い石のついたネックレスを触っている。触りながら懐かしむような微笑みを見せる。それから視線を俺に戻す。きっと、言葉を待っているんだ。



「……えっと、俺でよければ教えます。あんまり人に説明するのは得意じゃないですけど」


「嬉しい。じゃあ早速お願いしてもいいかな?」


「あ、はい。……えっと、まず何から話せば良いですかね?」


「ルールとか、何が楽しいかとか……そんなに具体的じゃなくても大丈夫ですよ」


「う~ん、なかなか難しいこと言いますね……」



 そもそもあまり会話が得意でないことは一旦置いておき、俺は彼女に野球の話をした。簡単なルールや見どころ、自分が今までやってきた野球の中で印象に残ったことなどを、たくさん話した。


話し始めると俺は止まらなかった。きっと彼女が聞き上手なんだろう。合間に良い反応や相槌をくれる。


話している最中、コーヒーのおかわりやデザートをもらった。喉が良く通るからか、普段より美味しく深みが増したように感じた。



 ふとアンティークの壁掛け時計を見れば、すでに1時間が経過していた。依然として喫茶店に入ってくる人はおらず、未だ俺と店主である彼女だけがカウンターテーブルに着いている。



「なんだかすいません、俺ばっかり話しちゃって」


「いえいえ、とても楽しかったですよ」



 彼女が微笑みながら言う。容姿のみならず、本当に良い人だ。そう思って2杯目のコーヒーを飲んでいると、彼女はポツリと言った。



「それに、ずいぶん楽しそうに話すから……野球、好きなんですね」



 一瞬、持っていたガラスコップを落としそうになったが、慎重に握り返す。なんとしても、認めたくない言葉が脳内で反響し、またスッと消えてゆく。彼女はゆっくりカウンターから立ち上がり、自身のためのコーヒーを入れ直している。


僕はそれをよそ目に学校の鞄から財布を取り出し、それから鞄を持って立ち上がった。彼女はそれに気づいたのか、とくに表情を変えるでもなくレジへと向かう。レジでの精算中、彼女がまた言う。



「なにかスポーツや仕事をしていても、案外好きでやっているわけじゃない人の方が多いですから。していることと好きなことが一致している人を見ると、なんだか嬉しい気持ちになります」


「……そう、ですか」



 お金を払い、お釣をもらって背後にある店の扉の方を向く。しかし後ろから「そういえば」と言う彼女の声が聞こえてきたので、そちらを見た。



「名前訊いてませんでしたね」


「……店で自分の名前を従業員に言う方が珍しいですよ」


「私の喫茶店は人が来ないので……よく訊くんですよ」



 やはり不思議な喫茶店と店主だ。駅の近くであれば人など来そうなものだ。それにこの店主を見た人ならば、もう一度足を運んだり噂が広がったりしてもおかしくない。奇妙にすら感じる。


そして名前……ふらっと立ち寄った喫茶店で決して名乗る必要などないと思ったが、別に減るものでもないので名乗ることにした。



「……赤松アキラ、です」


「アキラさんですか……良い名前ですね、覚えておきます」


「あなたの、店員さんの名前はなんて?」


「私は黒野くろのツムギです」


「ツムギ、さん……コーヒー美味しかったです。ありがとうございました」


「いえいえ、また是非来てください。アキラさん」



 お辞儀をする彼女、ツムギさんを背に店を出る。外は相変わらず陽気で暖かい。しかしどこか喫茶店に入る前よりも、今の方が春らしかった。もう桜も散り際だと言うのに。



「……また来ようかな」



 そう呟いて、帰路に着く。なんだかあそこは居心地が良い。他にそう思える場所がないからだとも思うが、素直にそう思った。

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