第3話 昼下がりの喫茶店

 駅へと伸びる直線道路を歩いて10分。俺は色田駅のビル構内にいた。平日の昼過ぎということもあってか若干、人はいる。しかし同年代はいない。当たり前ではあるけれど、それがなんだか気楽だった。そんな調子で、目についた店にフラッと入る。


本屋に服屋にアクセサリーショップ。どれもこれまで触れてこなかったものだ。しかしこれからは触れる機会も増えるだろう。なんせ、野球が生活から無くなるのだから。……しかしどの店も、本も服もアクセサリーもしっくりこない。というか興味を持てなかった。


 そのまま何も買わずに駅ビルを出る。いきなり出たもんだから太陽の光に思わず目を背ける。空気は人々の匂いと晩春の香りを持っていて、のんびり昼寝が出来てしまいそうなほど、のどかで良い昼下がりだった。ツカツカとリズミカルに鳴る靴音がスッと耳に入っては来るがしかし、俺のやるせなさはかき消せない。


 胸に溜まったものを吐き出せたのならどんなに良いか。けれど、その方法は見つからない。苛立ちと今後への焦りを抱きつつ廃ビルと寂れたアーケード街の方へ歩みを進める。……するとなんだか、見慣れない喫茶店が目につく。


今どき珍しい。外観は古ぼけていて、とてもじゃないが入れそうには見えない。そもそもやっているのかすら定かではない雰囲気だ。しかし、店前の小さな看板は『open』となっているし、店内の明かりが窓から溢れている。それになんだか入ってみたくなるような感じだ。店上を見ると、『喫茶店 アウローラ』と書いてある。


少し立ち止まって、それから扉に手をかける。思いのほか軽い扉に少しビックリしたが、俺はゆっくりと店内に入った。



「いらっしゃいませ」



 扉の先で待ち受けていたのは、香りと若い女性。コーヒーの良い香りと、どこか懐かしさを覚える匂い。そしてクリーム色した長袖ワイシャツとジーパンの上から、黒いエプロンをした、フワッとした黒のポニーテールが良く似合う綺麗な女性。外観や内観にそぐわない、おおよそこの場に似つかわしくない……そんな大人な女性。



「……どうも」



 若干うわずった声で挨拶する。その女性は俺を気にすることなくゆっくりキッチンの奥へと入っていった。


 店内には俺と彼女以外、誰もいないようだ。昼下がりだと言うのに客がいないとは……。そのことに少し嬉しさを感じつつカウンターテーブルに着く。近くにあったアンティーク時計を眺めていると、前からコトリと水の入ったガラスコップが置かれた。運んだ彼女の手は、俺のゴツゴツと角張った手とは異なり、華奢でなめらかなものだ。



「注文はそちらのメニューから。コーヒーはどうします?」


「あ、えっと……お願いします」


「はい」



 そう言って彼女は不思議と視線を奪われてしまう微笑みをたたえながら、小さくお辞儀をした。それから側にあるコーヒーメーカーへと手を伸ばす。その時、首元で揺れる赤い石の付いたネックレスが揺れた。その先に見える鎖骨にも、視線を奪われていた。


 ……いや、何してんだ俺は。いくら思春期とは言え、なんでも目に入れて良いものではない。そんなことでは相手に失礼だ、気をつけよう……。


それにしても、彼女はまるで作られたように綺麗だ。おおよそ周りの人と比べてはいけないぐらい、まっさらでいて深みがある。動作一つとっても芸術品みたいだ。もはや一周まわってこの場にふさわしい。


 そんなことを考えていると、やがて水の入ったガラスコップの横に、対照的な黒さを持ったガラスコップがコトリと置かれた。小さく頭を下げ、すかさずメニューを取ってひらく。


中には数品だけ表記されており、値段は優しいが選択肢が少ないと感じた。それほど好みはないが、沢山選べるに越したことは無いのだ。


とりあえずお腹はさほど空いていなかったので、小盛りのミートパスタを注文することにした。声を掛けるとすぐ彼女はこちらに視線を合わせてくる。つい視線を逸らしてしまうが、注文はハッキリと言った。これでも元野球部なのだ。声だけは出る。



 しばらく待っていると、目の前に小盛りというには少し多めのミートパスタが置かれた。それを受け取ってカウンターテーブルに置き、一緒に運ばれてきたフォークを手にして、麺をミートソースと絡めて丸めて口に運ぶ。特別おいしいとは感じなかったが、不思議と温もりのある味だった。昼食を1時間ほど前にとったばかりだと言うのに、スルスルとパスタが口に運ばれてゆく。



「……ごちそうさまでした」



 呟き、ひと息ついてフォークを置く。水を飲んでからコーヒーの入ったガラスコップに手を伸ばす。そして一口……おいしい。これまで缶コーヒーを飲んできたが、それがただのまやかしと思えてしまうほどの香りが口に広がる。苦味の中にゆったりと溶けている旨味が舌先を掠める。一度置いたガラスコップをもう一度取ってしまいたくなるような味だった。


 しばらくその美味しさに驚きつつカウンターの上へ視線を向けると、いつのまにか店員である彼女がこちらをジッと見ていた。先ほどとは打って変わって視線は引き込まれる。穏やかながらハッキリと整えられた顔。鼻先と唇には艶があって……胸がトンっと跳ねるのを感じた。



「今日は早帰りですか?」


「えっと、そんなとこです」



 スッと耳に入ってくる声は澄み渡っている。ここまで容姿と声が合っている人、そうそういない。何もかもが朝露のように透明感と神秘さがある。


 俺がなんでもないように努めて答えると、彼女はカウンターから少し身を乗り出して、やがて、ふっと笑った。



「このあとのご予定は?」


「いや……特になにも」


「なら、少しお話しませんか?なにぶん暇でして」


「あ~……いいですよ」



 そう言うと彼女はカウンターを回って、俺が座っている横の椅子に座った。変わらず笑みをたたえ、俺の背後に掛かっているアンティーク時計に目を向ける。



「では、10分だけお話しましょう」


「……はい」



 いったいどんな話をするのか、まったく予想出来ない。しかし今日これまでの気分とは異なり、話をしても良いと思った。

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