【アップ】2024年1月28日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります
天川裕司
【アップ】2024年1月28日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります
【本日の礼拝メッセージ】
https://www.youtube.com/live/TvdwE5VBBik?app=desktop&feature=share
【60分でわかる新約聖書】
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=8oVuwaq2sgE
『正しい秤』出エジプト記23章1~9節
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=uIvtyiumubk
【ブログ】
ブログを見て下さると、聖書や讃美歌の歌詞などもご覧になれます。
https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12839067298.html
(本日はハーベストタイムと、福島第一バプテスト教会のメッセージもアップして居ります)
下記プログラムは男山教会のものです
前奏
招詞 ヨハネの黙示録4章11節
頌 栄 たたえよ、主の民[こ改25]
開 会 祈祷
主 の 祈り(週報裏面)
十戒・祈祷(週報裏面)
子ども説教
子どもと親のカテキズム問72
「六番目のいましめ」こどもさんびか
きょうはひかりが[改2(4節)]
牧 会 祈祷
讃 美 歌 142番
聖書
コリントの信徒への手紙二1章3~11節
(新約P325)
出エジプト記23章1~9節 (旧約P131)
説 教
「主の慰めに生きる教会~あらゆる苦難の中で」
宮武輝彦
祈 祷
讃 美 歌 257番
みことばの交読文
イザヤ書59章20,21節
聖餐式
感謝のささげものと執り成しの祈祷
頌 栄 543番
祝 祷
報 告
讃美歌142番(歌詞付)54年版「栄えの主イェスの」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=suNQ0U3EqQA
1
栄えの主イェスの 十字架を仰げば
世の富 誉れは 塵にぞ等しき
2
十字架の他には 誇りはあらざれ
この世のものみな 消えなば消え去れ
3
見よ、主の御頭 御手御足よりぞ
恵みと悲しみ こもごも流るる
4
恵みと悲しみ 一つに溶け合い
いばらは眩き 冠(かむり)と輝く
5
ああ、主の恵みに 報ゆる術(すべ)なし
ただ身と霊とを ささげて額(ぬか)ずく
讃美歌第257番「十字架のうえに」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=Cs4rybStUvo
1
十字架のうえに 屠られたまいし
こよなくきよき み神のこひつじ
わがため悩みを しのびたまいし
みめぐみげにも とうとし
2
十字架のうえに 屠られたまいし
こよなくきよき み神のこひつじ
み救いあらずば 罪のこの身は
ほろびをいかで まぬがれん
3
十字架のうえに 屠られたまいし
こよなくきよき み神のこひつじ
乏しくかよわき われをあわれみ
やすきをつねに たまえや
2024年1月28日 礼拝説教 中心聖句
なぜなら、あなたがたが苦しみを共にしてくれているように、慰めをも共にしていると、わたしたちは知っているからです。
コリントの信徒への手紙二1章7節
あなたは寄留者を虐げてはならない。あなたたちは寄留者の気持を知っている。あなたたちは、エジプトの国で寄留者であったからである。
出エジプト記23章9節
はじめに
苦難の中で、悲しみを負う人のため、愛の奉仕(ディアコニア)の原則を学ぶ。
1
「わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように(祝福あれ)。」とは、ありとあらゆる苦難に遭いながらも、そのただ中で、感謝の賛美。「わたしたちの」とは、慈愛に満ち、慰めを豊かにくださる神が、わたしたちと共におられる(インマヌエル)の神であること。神は、神と罪人との間の唯一の仲保者(仲介者)でいます、独り子(御子)、主イエス・キリストの恵みによって、ご自身の契約と誓いを果たされた。わたしたちが、皆、こぞって、主イエス・キリストの御名の中に、神を「父よ」と呼ぶとき、真実の神をはじめから呼び求めている。
2
「神は、あらゆる苦難(艱難辛苦)に際してわたしたちを慰めてくださる」と、使徒パウロは、苦難に直面しても、そこで、神の慰めを共に学ぶと言う。それは、そこで負うべき痛みや悲しみへの深い同情であり、良き励まし、また、わたしたちの主イエス・キリストの中にある救いと希望の確信。ここで、わたしたちは、主イエス・キリストの中にある神の慰めを与えられることが、一つの目的であることを知る。そして、「わたしたちも神からいただくことの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができ」る。あらゆる苦難のもとにあることは、人間の数々の罪であり、聖なる苦難の僕(イエス・キリスト)へのなんらかの態度(反対、軽蔑、迫害等)から生じた事柄(試練、欠乏等)。続いて「キリストの苦しみが満ち溢れてわたしたちにも及んでいる」とは、外面的な教えではなく、使徒パウロたちの内面的な実感であり、告白的証言。それと「同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ち溢れている」。このように、わたしたちはあらゆる苦難に直面して、真の慰めに満ち溢れる機会を備えられる。それは、ただ、キリストの臨在において、あるいは、キリストの下支え(サポート)、そして、キリストの心(愛)を心(愛)とすることによって、心と魂から溢れ出る慰めと深い喜び。
3
「わたしたちが悩み苦しむとき(苦難に遭うなら)、それはあなたがたの慰めと救いになります(とのため)」。じっさいに、使徒パウロは、エフェソの教会で受けた苦しみが、コリントの教会の兄弟姉妹たちにとっても「慰めと救いのため」と伝える。「また、わたしたちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができる(力となる)」。忍耐(その行為と性質)とは、「つぶやかず、不平をもたずに、災厄(悪しき事)に耐える穏やかな(落ち着いた)気性」であり、「不満をもたずに、正義や期待される善を長く待つ」こと(ウェブスター)。じつに「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」(ローマ5章,3節)。「あなたがたについてわたしたちが抱いている希望は揺るぎません」「なぜなら、あなたがたが苦しみを共にしてくれているように、慰めをも共にしていると、わたしたちは知っているから」と、使徒パウロは、苦難において、一層、キリストにある一つの絆が強められたことを証しする。
おわりに
出エジプトの時代、荒野の中を生きる共同体において「法廷」「敵対」「訴訟」が定められ、同時に、「あなたたちは寄留者の気持を知っている」という深い同情が認められた。部外者、少数者、小さくされた者への態度を冷静に問う事に今日の教会の道がある。
(Mynote)
二〇二四年一月二八日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。
(子供メッセージ)
『子供と親のカテキズム 問七二』
「第六戒は、何ですか?」
「殺してはならない」です。
神様は天と地とを創られた。そこに土を耕す人間を創り置かれた。命を与えられ、それから今日までの人の生活・人生・歴史が与えられた。
そしてアダムとエバの話を引用された。初めはアダムだけが存在した。でも支えと成る者がアダムに必要とされた神様はエバを与え、アダムの支えとされた。アダムの肋を取って、そこからエバを創られたのである。こうして男と女が存在した。命の大事を、全ての人はその根源を知る上で大事にせねば成らない。心に思うだけでなく、その大事に思う心を実践せねば成らない。
(公同礼拝)
『出エジプト記』(第二三章一〜九節)
『コリント人への第二の手紙』(第一章三〜一一節)
『出エジプト記』では、神様が人に与えられた(教えられた)物事が語られて居る。それを守る様に人に教えた。
そして『コリント人への第二の手紙』のこの箇所では、神様がイエス様を通して人に与えた愛と恵みと慰めに就いて語られて居り、この二つの箇所を以て人は信仰に歩まされ、それによりその魂が救われ、体が救われる事を教えて居る。
人の世で苦難に遭う時、先ずイエス・キリストが遭った苦難を思い出す事。イエス様の苦難(苦しみ)は全ての人を罪から救う為の土台であり、全ての人はその内にこの「キリストの苦難」を憶えながら(与えられながら)、全ての苦難に耐える事が出来、その苦難から救われる事が約束された。それは神様から全ての人に与えられた慰めであり救いであり、人はこの慰めと救いに就いて、その生涯を懸けて考え、知らねば成らない。この事は、自分の命(存在)を与えて下さった神様に近付く事であり、自分の根源を思い出す事に在り、人本来の姿・立場に返る事に在る。
今でも世界では、様々な困難が在る。戦争、地震、飢饉、日常での難儀、数え尽(き)れない程の苦難があり、その一つ一つに遭うとき人間は、個人的に絶望を覚え、何の救いも無いと、自らその命を絶ったり、その絶望の姿勢の儘で虚しい道に走る事もある。この時こそ、全ての人はイエス・キリストが人の罪の為に受けた苦難の事を思い出し、憶え、イエス様と共に在る事を知りつつ信仰に立ち返り、神様の下(もと)にて人本来の姿に返る必要がある。そしてその事が、唯一の人の救い、慰めになる。
神様が人に与えた働きの内、福音活動の根源は慰めであり、愛である。教会はその愛に満ちた共同体に在らねば成らず、そこから外れる事は、信仰から外れる事になる。世の中には様々な奉仕があるが、教会が成す奉仕は礼拝第一に在り、この点が他の奉仕の内容と違い、神様の下(もと)で成される活動となる。そこで成される奉仕は神様の御力と聖霊の働きに依り成るのであり、その活動に働く人は、神様に遣わされて働くのである。
神様が人に教える道徳は愛であり、その愛は、今この地上で、人の世の中にて通用する常識では認められないものになるかも知れない。ここでは神様の御言葉(聖書の言葉)を全体的に正しく理解する必要があり、自分の好きな箇所だけをピックアップして憶えては成らない。「右の頬を差し出し、左の頬を…」とは信仰の心を表して居り、人を恨まず、その悪人とされた人を動かす罪を憎み、人ではなく悪魔を憎む事が教えられる。「隣人を愛せよ」とはその事に在り、自分も同じ罪人ならば同じ罪人である隣人を許し、その許す事で許し合いが生まれ、その姿勢を維持する事に努める。その努めがどうすれば続くかを神様に聴き、続けられる様にと祈り願い、決して人のみの力に頼る事無く、信仰に依る事・立ち返る事が必要となる。
そしてこの努力と、神様から与えられた恵みと慰めを知る上で、苦難の時こそ心身共に強められ、信仰に徹する事が大事になり必要になる。
人が苦難を凌ぐ時、必ず神様に依り、信仰に依り、イエス様の事を自分の内に思い出し、その事を知る上で強く生長させられ、守られる事を知る。この事を知る程に信じる事が大事に在り、自分達の主(しゅ)が誰であるかを求め知る事が必要である。全ての人の主はイエス様であり、そのイエス様を救い主として人の間に遣わされた神様である。三位一体であり、神様とイエス様と聖霊は人にとって一つに在り、その三つを主として信仰に生かされる事が大事になる。
人の活動(生活)は全て、神様が人に命を与えたから成る。その当然の道理を、どれだけ人の常識として本気で受け留める事が出来るか?この事は変わらぬ問題となり大事となる。
教会は神様から与えられる慰めを目的とした共同体であり、人が初めから独りに創られて居らず、アダムにエバが与えられた事、男女が誕生した事、今世界に多くの人が生かされて居る事がその答えと成る。聖書は初めから「人が独りではない事」を教えて居る。人の作品では「人が独りである事」を時折り教える事(表現する事)があり、その点で聖書の教えから多少なり離れる事が分かり、人が「独りで在る事」を本気で信じて仕舞う時とは、得てして生活に於ける苦難に遭った時である。その感情により(態と)早まり、それで良いと社交と自分との間(関係)を断絶して仕舞い、人の世界・生活に絶望を覚え、自ら命を絶つ者も居る。その社交と自分との間(関係)を断絶する時に、全ての人は神様に心を向け、信仰を取り戻し、その信仰と神様との間に生かされて居る自分に早く気付く事が大事に在る。昏睡に於いても、死後に於いても、全ての人は必ず神様の前に立ち、自ら命を絶ったその時の事が明かされ、もしかすると問題になり、テーマとなり、そこでその人が悔い改めて神様に創られた人本来の姿勢に返り、救われる事を、或るクリスチャンは信じるのである。全ての人は、神様の前から逃れる事が出来ない。それは神様がその人にとって唯一の救い主であり、慰めの主であるからだ。即ち、社交と自分との間(関係)を断絶を思う時、この世に見捨てられて「独りで居る」と思う時にも変わらず、神様は、イエス様はその人と共に居て下さり、その絶望した人もその事を必ず思い知らされる時があり、その上で人の誰かがその人を救えずとも神様がその人を救われる。この事を生活が与えられる上、この地上で生かされる上でどれだけ本気で信じる事が出来るか。生まれてから天に召されるまで全ての人は苦難の中に在る様なもので、その苦難の中に在るからこそ神様を知り、イエス様を自分の中に感じ、聖霊の働きに依る信仰に依り救われる事が必要である。死を含む全ての苦難は、人に乗り越えられない試練には無く、その罪(死)からイエス様の復活を通して、全ての神様の側に立つ人が復活を遂げる事を約束された。これは罪人である全ての人にとって最大の恵みであり、神様の愛の現れである。
【日本キリスト改革派 男山教会】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【最寄りの教会検索用】
https://www.rcj.gr.jp/
Table Caffe〜
榎本保郎牧師 ミニ説教1 「まず第一にしなければならないこと」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=q0lc_w0zV-I
「ナルドの香油を捧げる」THE DAILY with Arthur Hollands 2024/02/02
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=ZeUxOl-jUCU
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop
不思議のパルプンテ
https://www.youtube.com/@%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD%B0%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%97%E3%83%B3%E3%83%86/videos
(お暇な時にぜひどうぞ)
【アップ】2024年1月28日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります 天川裕司 @tenkawayuji
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