ワイルドハントの娘たち

麻美ヒナギ

<序章>


 かの国の騎士は、死して不死の獣となる。


                  風の年代記、法魔ガルヴィングの言葉。



<序章>


 ゆっくりと流れる青空を見ていた。

 雲一つなく天候は穏やか、空気は温かく日差しは柔らかい。平野には、地平線まで続く黄金の麦畑。

 豊穣の季節だ。

 戦火の残り火が燻る中央大陸だが、こういう一部分だけを見たら平和そのもの。

 実に、眠気を誘う。

「当ててやろうか?」

「なんだ?」

 馬車の手綱を握る農夫は、空の荷台に寝そべる俺に話しかけてきた。

「あんたの生業だ」

 農夫は若い男だった。この辺りが景色通りに平和なら、刺激や話のネタが欲しいのだろう。

「魔法使いだろ?」

「違う。この帽子もローブも伊達だ」

「杖もかい?」

「これは、弦張ってない弓」

「剣も伊達かい?」

「まあまあ、本物」

「なるほど、冒険者だな」

「違う。あんなゴロツキと一緒にするな」

「傭兵?」

「だった時もある」

「ならばなぁ~」

 農夫は、考えながら沈黙する。

 俺は、面倒になってきた。しかし、荷台から降りるのはもっと面倒だ。土地勘もないので、目的地に足だけで到着できる自信がない。

「自由騎士。いや、元騎士?」

「笑えるな」

 一番ない。

「ああ~わかった。密偵だな」

「あんた、それ当たっていても正解言わねぇだろ」

「じゃ、当たりか」

「外れだ。こんな目立つ格好した密偵がいるか」

 大体、どこの密偵だよ。

 この辺りで何を調べるんだ。

「ところで、あんた男だよな?」

「男だ。立派なイチモツがあるぞ」

「ははっ、そういう趣味はないよ。………大道芸人はどう? あるいは、道化師。吟遊詩人には見えないよな。語りだけでやるタイプなら~」

「そんだけ言ってりゃ、いつか当たるだろうよ」

「ヒントくれよ、ヒントを」

 馴れ馴れしい。

「狩人だ」

「………はあ?」

「狩人だ。以上」

 自称だが、正解を言ってやった。

「ここいらの害獣っていったら羽根ウサギ程度だが、おいらでも狩れるぞ」

「狩りに来たんじゃねぇよ」

 狩人の仕事は引退した。

 この近辺に来た理由は、うまい話しに飛びついただけ。

「で、矢はどこだい?」

「今は品切れだ」

 話聞け。

「じゃあ、何をするんだい?」

「貸しのある知り合いが、畑付きの家をくれるって話だ。そこで余生を過ごす」

「家? その話、詐欺じゃないのかい? この辺りの土地は全部【ラインズブル家】のもんだね。おいらたちも借りてるだけのことさ。借家ならともかく、よそ者に家をくれてやる理由はないなぁ~。もしかして、身内?」

「その【ラインズブル家】ってのは知らないが、コネがあるんだろ。俺の知り合いが」

「へぇ~そうなのかい」

「たぶんな」

 知らんが。

 詐欺や騙りの可能性もある。それはそれで面白い。

 あ~駄目だ駄目だ。

 荒事は止めて静かに暮らすと決めていたのに、性分がトラブルを期待している。

「………………」

 農夫は、急に黙った。

 手綱を握ることに集中している。

 のろのろと老馬は馬車を引き、鈍足で風景は流れる。これから毎日、この景色を飽きるほど見るのだろうが、そう思っても悪くない。

 もっと悪いものを毎日見ていた。

 そして、日常的にゴミを見続けていた俺は、ある日全てにうんざりした。擦り切れ続けていた心に限界が来たのだろう。

 そんな時に届いた手紙には、地図と共に『今すぐ【黄金の森】に来い。住まいと畑を用意した』とあった。

 差出人は、ウェズロー・ラ・ティルト。

 貸しのある男だが、手紙を受け取るまで忘れていた。

 ただ、それだけの関係である。それを真に受けて、遠出した俺も大概馬鹿ではある。

 目的地、【黄金の森】は、中央大陸の南西部に位置する。

 この中央大陸で、かれこれ8年ほど過ごしているが、聞いたことのない場所だった。

 まあ、森だ。

 沼や山より住む場所はあろう。周囲が、この田園地帯なら“おこぼれ”で良い土地のはずだ。

 希望は十分ある。

「あ~見えてきたよ」

 体を起こした。

 農夫が言う先に、件の【黄金の森】があった。

 黄金とは名ばかりの、鋼に見紛う黒く巨大な樹木が並んでいる。森というよりか、巨人を閉じ込める鉄檻のようだ。

「じゃ、ここで降りてくれ。あそこには近付きたくねぇんだわ」

「どうしてだ?」

「ひいひい爺さんの頃から、あの森には近付くなって言われていてさ。たま~に、あんたみたいに森に行く人間はいるんだが、戻って来た人間を見たことがない。地元の人間だけじゃなく、冒険者のパーティ、傭兵の集団、お偉い騎士様、聖女様、法王様に魔法使い。後、狩人も追加かな」

「元だ」

「元狩人ね。家がどうこうって話、森の外じゃないよねぇ。ここらで見たことねぇから」

「だろうな」

 視界に家らしいものはない。田畑が続くだけ。

「ま、明日またこの辺り通るから、逃げてきたら拾ってやるよ」

「わかった。頼む」

 俺は、荷台から降りた。

 周囲は、枯れた平地だ。草一本もなく寂れている。

「じゃぁぁな~」

 来た時の倍の速度で、農夫の馬車は去って行った。トロトロ進んでいたのは、なんか探っていたのだろうか。

 それよりも、

「不安だな」

 詐欺の匂いが濃くなってきた。

 農夫の言う通り、ちょっと森を覗いて怪しかったら逃げようか。

 帰る場所なんざないが、いつも通り適当に野盗やゴロツキを襲って生計を立てればいい。

 人生、変えようと思って変えられるもんじゃないな。ままならねぇ。

 とぼとぼ重い足取りで、森に向かって進む。

 少し近付くと、木々の巨大さに面食らった。

 一本一本が、中央大陸によくある物見の塔の3倍、いいや4倍の高さだ。太さも、その倍はある。枝葉は、天を覆い尽くす影になっていた。

 そんなものが、森として体を成しているのだ。

 思考が追い付かない巨大さ。

 圧倒されつつも足は止めずに進む。進み。進み。

「………………」

 全然、森に近付く気配がない。

「仕方ない」

 走り出した。

 あんな森の近くで、夜を過ごしたくない。早く様子見して去ろう。

 どんな場所かわからんが、ああいう人知が追い付かない場所には、人知から外れた奴が住んでいる。

 関わって得することはない。

 てかもう、

「帰るか」

 面倒になって足を止めた。

「もし、そこのお方」

 と、同時。

 死角から声をかけられる。無警戒だったので、猫のように驚いた。

 若い女が立っていた。

 年頃は、15、6。

 長く癖のない黒髪で、頭頂部にはウサギのような長い獣耳がある。目鼻立ちは獣人女らしく整っており、身に纏った仕立ての良い白いローブも相まって、神官のような落ち着いた雰囲気がある。

 獣人は見た目と年齢が合わないことが多々ある。この見た目で、30とか40の可能性もあるし、もっと下の場合もある。

「森に行くなら止めた方が。あそこは、流民と死者の集まる場所です」

「流民と言うなら、俺もそうだ。爺に呼ばれた来たんだが、この先であっているんだな?」

「危険なのです。本当に」

「大丈夫だ。それならすぐ帰る」

 軽く手を振り、女を横切る。

「待ってください。せめて警句を」

「警句?」

 女は、手を組み祈る。

 やはり、どこぞの巫女か、神の奉仕者なのだろうか。こんな場所で何をしているのやら。

「狩りの月夜は、外で眠るのが良いでしょう。矢の用意をお忘れなく。善き獣と、悪しき獣との縁。決して、お間違えないように」

 警句というより予言じゃないのか?

「よくわからん」

「警句とは、わかりにくいものですから」

 女は花のような笑顔を浮かべて、どこかに去って行った。

 ここの人間じゃないのか? どうせなら、爺のところまで案内して欲しかったのだが。

 少し歩くと、田畑が見えてきた。

 変な配色の畑だ。

 赤、金、紫、白、黒、緑。野菜に関して詳しくはないが、季節感を無視して様々な色の野菜が同時に存在している。

 狂い咲き、なのだろうか? そんな言葉じゃ足りない気もする。

 となると魔法だろうな。

 非効率なことだ。

 後々、どんな禍害に襲われるのやら。

 色とりどりの畑を横切ると、大きな家が見えてきた。

 木造の荒っぽい作り、芝生のような緑の生えた三角屋根。

 30人くらいは入れそうだ。古い時代の王の居城と言われれば、頷いてしまう。

 しかし、1人で住むにしては大きいな。

 てか、あの畑も俺1人じゃ手入れが大変だ。農夫に貸すか? あんな変な畑だが。

「う~ん」

 ちょっと嬉し困るな。

 色々と今後のことを妄想していると、

「来たのか、ヒユ。遅かったな」

 デカイ爺が現れた。

 身長は2メートル近く。禿げた頭部と、もじゃもじゃの黒髭。手足は丸太のように太く、胸板は重鎧の厚さ。腹は、前に見た時よりもでっぷりと膨らんでいた。

 長ズボンとチュニックという農夫の姿じゃなければ、熊と勘違いする人間もいるだろう。

「ウェズロー。手紙1つでこんな辺境まで人呼びつけやがって、遅いもクソもあるかよ。ボケ爺が」

「どうせ、やることもなく寿命を無駄遣いしていたんじゃろ。文句言ってる暇があるなら、さっさと来い。カスガキが」

 相も変わらず、腹が立つ奴だ。

 だがしかし、

「てめぇの不愉快なところ、今回だけは我慢してやる。思ったよりも立派な家と畑じゃねぇか。俺1人じゃちょっと広いが」

 早速、家に向かおうとする。

「何を勘違いしている」

 爺に止められた。

「あ?」

「そこの家は、儂と女共の家じゃ。お前のはこっち」

「は?」

 家から離れ、爺と共に森の傍に行く。

 木々の巨大な影の中に、ポツンと小さい家があった。

 円柱状の壁と、三角錐の屋根。キノコみたいな形。煙突は曲がっていて、窓は小さく人の頭サイズ。少し離れた場所に、便所の小屋がある。

「ほれ、お前の家だ。立派じゃろ?」

「犬小屋にしてはな」

 足伸ばして眠れるのか?

「いいから入ってみろ。古いが十分住める」

 爺は、家の扉を開けた。

 中は思ったよりも広かった。壁際にベッドが1つ、タンスが1つ、かまどが1つ。追加で家具を置くスペースもある。

 天井が高いせいで、広く感じた。

 全体的に埃が積もっているも、床板は外れていないし、壁に穴も開いていない。

 十分、住めるとは思う。

「掃除はてめぇでやれよ。うちの女共に命令するんじゃねぇぞ」

「爺の女に頼むかよ」

「アホが。全部弟の女じゃ。あのボケが、カミさんや娘を残しておっ死にやがって」

「面倒な話か?」

「面倒な話じゃ」

「じゃ、どうでもいい。で、俺の畑は?」

「この辺りを好きに使え」

 家の周囲を見る。

 雑草まみれで畑らしい場所はない。そも、森の巨木のせいで日陰なのだ。

「おまっ、育つわけねぇだろ」

「いいから耕して植えてみろ。ここらの土地は、豊饒の女神の祝福を受けている。素人の土いじりでも豊作になるのじゃ」

「うさんくせぇ」

 それが本当なら、ここには国が出来てる。

「神の奇跡を疑うか。相も変わらぬ不心得者じゃな」

「神の奇跡がなけりゃ、作物は育たないのか? 違うだろ。必要なのは、人間の手間暇と経験と技術だ」

「どれもないお前が言うか」

「やかましい」

 正論は止めろ。

「さておき」

「さておくなよ」

「お前の仕事じゃ」

「ふざけるな、聞いてないぞ」

「タダで家と畑が貰えると思っていたのか?」

「………………」

 やっぱり詐欺じゃねぇか。

 爺は、森を指す。

「あの森には獣がいる。ここ最近、急に森から出てくるようになった。お前にはそれを追い払ってもらおう。言うなれば、この家は獣の監視小屋じゃな」

 その程度なら問題ない。

 と、言いたいところだが。

「どんな獣だ?」

「お前が、よく知ってるやつじゃ」

「ふざけっ」

 弓を持つ手に力を込める。

 すぐ緩めた。

 違う違う。そうじゃないだろ。うんざりして別の生き方を探している最中だろ。これを使ったら、また元に戻る。

 しかし、断って去っても、結局は元の生活だ。

「………追い払うだけ、だな?」

「そうじゃ」

「その程度ならやってやる。その程度だぞ? それ以上求めたら蹴り入れるぞ?」

「構わん。だが請け負った以上、途中で逃げるなよ」

「ハハっ」

 笑える。

 どこに逃げようっていうんだ。

 爺は、飯の用意がどうこう言って去る。

 俺は、家の掃除を開始した。

 入口と窓を開け、外に出せる家具を全部出し、弓にマントを巻き付けた物で埃を払う。

 一通り家の中の埃を払った後、モップと雑巾とバケツを見付ける。家の裏手に行くと、井戸を見付けた。

 動く前に周囲を確認するべきだった。

 後悔しながら、濡らした雑巾で家具を拭く。

 ざっと適当にやって、家具を戻した。埃まみれのマントを濡らして、地面に刺した弓にかける。

 日陰だが、風が吹いてるのですぐ乾くだろう。面倒になったら、火に入れてしまえばいい。

 家に入り、帽子を脱ぎ、着古した黒い革鎧も脱ぐ。クソ重い剣をベルトから外し、床に捨てる。

 ベッドに腰を降ろして一息ついた。

 掃除なんて久々にやった。

 凄く疲れた。

 長く鬱陶しい黒髪が首に張り付いて不愉快だ。タンスを漁るが特に何もない。生活するには、色々と買い揃えないと。

 金とか全くないのだが、野菜育てて売るか? 誰が買うんだ? そんな交渉とかしたことないが、俺がやらなきゃいけないのか? 

 面倒くさい。

 ああ、面倒くさい。

 生きることが面倒くさい。

 ノックの音がした。

 爺と思って、乱暴に扉を開ける。

「きゃっ」

 驚いた様子の少女がいた。

 金髪三つ編み、あどけない顔にはそばかすがある。くすんだ白のブラウスと、革のスカート。手提げ付きのカゴを持っていた。

「なんだ?」

「おっ、叔父様から夕飯を持って行くようにと」

「ああ、助かるよ」

 カゴを受け取り、中身を確認。

 丸く大きなパンとチーズ、赤ワイン、瓶詰の野菜の酢漬けが入っていた。

「?」

 用がすんだのに、少女は帰らない。

 俺が嫌いな俺の顔を、まじまじと見ている。

「あの、戦争の英雄なんですよね?」

「俺は、戦場に出たことはないよ」

「え? 沢山の騎士を倒したって聞きましたけど」

「半分事実だが、戦場で殺したんじゃない。一時期、西へ東へ大所帯で逃げていた」

 今も、別の理由で逃げているけど。

「その時、何故だか騎士に狙われ続けたから、追ってこなくなるまで殺し続けた。それだけの話だ」

「叔父様が【ワイルドハント】って呼んでいたのは?」

「勘違いだ。それは、俺の名声でも名前でもない」

「は、はあ」

 思っていたのと違う。

 そんな顔して少女を去って行った。

 あ~はいはい。よくあるやつ。勝手に俺に期待して、実体みたらガッカリするやつ。ホントもう、勘弁しろよ。

 俺がいつ自分で英雄と名乗った? 一度もねぇよ。なりたいと思ったこともねぇ。お前らが勝手に持ち上げて、騒いで嘆いて逃げただけだ。

 クソッたれ共め。

 てめぇらが――――――

「………………」

 深呼吸、深呼吸。

 手を開いたり閉じたり、両手を上げたり下げたり、スクワットもして落ち着きを取り戻した。

 ガツガツ飯を食う。

 パンは硬く重く酸っぱく、チーズはそれより硬いが、味はまあまあ。酢漬けの野菜もまあまあ。最後にワインを一気飲み。水で薄めたようなワインだった。

 2日ぶりの食事なので、異常に美味く感じた。

 気を抜いたら、急激に体が重たくなる。

 眠い。

 長旅の疲労で限界のようだ。

「の前に」

 一応、渋々、嫌々、仕事をしておこう。

 外に出て、乾いたマントを羽織り、弓を手にする。

 この弓には、普段は畳まれている小枝のような“節”が6つある。その1つをへし折り、自分の手のひらを刺した。

 たっぷりと血が付いた小枝を手に、森に近付く。

 巨大な黒い木々は、間近で見ても木には思えない。触れると木の感触ではある。上には枝葉もある。

 幹の太さは、さっき手に入れた我が家の3倍はあるか。これをくり抜いた方が、良い家になりそうだ。

 高さは、100メートル近いな。この世界の建造物で、これ以上の物はそうない。

「………………」

 違和感を覚えた。

 木々のどれかか? 上? 下? いいや、森全体だ。

 生き物の気配がまるでない。植物は青々と茂っているも、他の生物の動きがなにもない。

 耳を澄ましても、虫の声1つしなかった。

 自然の産物としては、あまりにも異常だ。

 こんな場所から出て来る獣か。

「………はぁ」

 考えただけで、うんざりだ。

 森から3歩離れた位置に、血の付いた枝を地面に刺す。

 境界だ。

 これ以上、近付くなら戦うという意思表示。

 獣は人と違う。

 あいつらの根底は飢えを満たせればいいだけで、戦闘を望む個体は稀なのだ。

 ただし、俺が境界を越えたら容赦なく襲ってくるだろう。そういう意思表示でもある。

 働いた気になって帰宅。弓とマントをタンスの上に放り投げる。

 さて、寝よう。

 寝ていいよな?

 あの爺、俺に不眠不休で森を監視しろとか言わないよな? 絶対やらないけど。

 ベッドに横になる。

 硬くてかび臭いが、目をつぶるとすぐ夢の中に落ちた。




 飽きるほど見た夢を見る。

 冷たい牢獄に繋がれた女の夢。

 憎しみの炎だけが、彼女を寒さから守っていた。

 ぶつぶつと呪文のように憎悪を言葉にする。ある男への呪いの言葉。中身は、ほとんど聞き取れない。だが、憎しみだけは伝わる。

 夢は、俺の世界ではない。この女のものなのだ。

 数百年も前に死んだくせに、迷惑この上ない。何度も何度も俺の安眠を妨害してくる。おかげで、この10年健やかに眠れたのは数えるほど。

 今日もまた、この呪いに付き合って朝を――――――朝になる前に目覚めた。

 ベッドから飛び起きる。

 反射的に弓を手に、いや手放して剣を持つ。

 乱暴に鞘を落として外に出た。

 扉を開けると、一歩先も見えない重たい夜闇。迷わず飛び込む。

 意識を集中させ、夜目を働かせる。

 耳を澄ます。風から気配を探る。

 影の隙間から三つの月が見えた。

 時刻は、深夜も深夜。

 獣の時間だ。

 深い青の世界は、昼間よりも見通せる。だが、森の奥は見通せない。闇よりも強い力が視覚を遮っていた。

 音は、異常なまま無音。

 風は、生臭い血の匂いを漂わせていた。合わせて、臓物の悪臭と刺激臭。

 木の1つに、手が巻き付く。

 青白い人の手だ。そのサイズは、我が家を握りつぶせるほど。まるで死んだ巨人の手。

 手の本体が、不確かな影を見せる。

 枝分かれした長い角と、地面に立つ四足。無数の棘。巨木に負けず劣らずの巨体。

 影は、境界間近まで進む。姿形が明らかになる寸前で停止した。

 剣1つで、どうにかなる相手じゃない。

 それ以上進むな、止まれ、帰れと祈る。

「………………」

 長い静寂の後、獣は引き返した。

 緊張が解けて、一気に汗が噴き出る。息が乱れる。気配が完全に消えるまで、呼吸できていなかった。

「とんでもない。“お隣さん”だな!」

 あのクソ爺が! ふざけんなよ!

「クソっ!」

 地面を蹴る。

 うだうだ考えるのも腹が立つ。

 帰宅してベッドに入る。頑張って寝るしかない。

 酒で頭を馬鹿にしたいが、そんなもんあるわけもなく。結局、空の色が変わりだしてからようやく眠れた。

 と、思ったらすぐ起こされた。

 乱暴なノックの音だ。

 昨日の少女かと思ったが、開けたら太い女が立っていた。

 歳は30くらいか? 豊かな金髪で、肝っ玉が強そうな顔つきだ。

 恰好は昨日の少女と同じ、ブラウスとスカート。ガタイはよく、胸も尻も厚い。だが、太っているのではない。骨格に恵まれているのだ。

「起きてるね! その様子じゃ、仕事はしっかりやったようだ!」

 声デッカ、頭痛っ。

「何の用だ?」

「朝飯さ!」

 カゴを渡される。交換で昨日のカゴを返す。

「どうも」

「昼飯はどうすんだい!」

「食う。でも、家の前に置いておいてくれ」

「羽根ウサギに取られても知らないよ!」

「追い払うから大丈夫だ」

「そうかい! 今夜も頼むよ! 久しぶりに安定した収穫が望めそうなんだ!」

「………………」

 扉を閉める。

 朝飯は、お椀に入った豆のスープだった。クズ野菜も入っている。

 味はわずかな塩味。

 こっちじゃ、味があるだけでも贅沢なのだ。文句はない。タダ飯だし。いや、労働の対価か。

 割りに合っているのかは、深く考えないでおこう。

 さて、二度寝。

 目をつぶるも、眠れなかった。睡眠不足は自覚しているのだが、神経の変な高ぶりで眠れない。まだ環境に慣れてない。そも、俺は環境の変化に弱いのだ。

 何か手を動かすか。

 家を漁る。

 再びタンスを開けるが、昨日と変わらず何もない。天井は、どう見ても何もない。かまどの中は灰くらい。ベッドの下、壁なんかも適当に探す。

 何もない。何もない家だ。

 暇だし、念のため、もう一度だけ同じように家を漁る。

 うろうろ家を回っていると、床板の一部が変な音を上げた。

「ん?」

 腐っているのかと思ったが、違うようだ。

 鞘に収まった剣で床を突く。床板の一部を捲ることができた。

 現れたのは、階段。

 好奇心が湧き、石造りの階段を降りる。

 円柱状の空間が広がっていた。更に階段があり、もっと下へと続いている。

 上の家と広さは同じだが、石造りで隙間は土で埋まっていた。

 砦か、物見の塔の一部かこれ? その上に家を建てたのか? いや、あの家も一部? 降りて調べればわかるかもしれない。

 だが、明かりがないと駄目だな。

 差し込む光だけでは、何も見通せない。

 爪先に何かが当たる。

 拾い上げると、槍の穂先だった。柄は腐って遠い昔に失せたのだろう。だというのに、穂先の金属は鈍く輝いている。

 家に戻り、明かりの下でしっかりと目にする。

 錆び1つない。所々欠けてはいるも、刃は健在、切っ先は鋭いまま。

 外に出て、周辺を歩いて適当な枝を見付けた。

 剣で枝を削る。手持ちの糸で穂先を固定する。それで完成。矢羽根は付けない。俺は、今まで一度も矢に羽根を付けたことがない。

 矢が完成した。

 とても心が落ち着く。

「よし」

 眠たくなってきた。

 こんな些細な作業で、疲労困憊だ。まだまだ旅の疲れが取れていない。

 ベッドに横になる。フワッと眠りの中に。




 珍しく、違う夢を見た。

 空を飛ぶ夢だ。

 しかしまあ、不安定な飛び方だ。フラフラ、ガタガタ、バランスが崩れて変な回転をしている。下手に放たれた矢のような軌道。

 飛び方がわかっていない。というよりも、何かしらまともに飛べない理由がある。そんな気がした。

 そして、落下する。

 くるくる回りながら、森の傍の小さい家に向かって――――――轟音で叩き起こされた。

 家が揺れる。

 屋根に小石が当たる音。

 窓の外は土煙だ。

 剣を手にして外に出る。

 土煙で何も見えなかった。

 空から来る獣なんて聞いたことがない。だが、“ない”とは言い切れない。

 気配はすぐ近くにある。

 剣を構え、違う。弓と矢を手にしていた。

「馬鹿が」

 弦のない弓で何ができるのか。

 強い風が吹く。

 土煙が消し飛ばされて、現れたのは頭に付いた土を振るう竜の姿。

 ピンク色の鱗。太い尻尾と二足で地面に立っている。人のように動きそう手。長い首に、角のないトカゲの頭。

 体長は、6メートル弱で竜としては小さい。頭も手足も爪も丸っこい形であり、昔見たことのある竜や、害獣の飛竜と違って攻撃性が感じられない。

 幼竜か?

 竜は、パタパタ翼を動かせていた。

 あることに気付く。

 この竜、右の翼がない。怪我や出血が見られないことから、今失せたとかではないようだ。

 その竜は、俺に気付くと尻尾をぶんぶん振りながら言った。

「パパですか!」

「は?」

 え、違うが。

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