第4話
ボソンジャンプを終えてぼくは船の窓に注目した。木星の前面にやたらとでかい構築物が浮かんでいる。イチカが説明した。「あの黒くて大きくてデコボコを繰り返しているのが〈データベース〉。わたしたちの脳機能のアウトソース。木星人はみんな頭にマイクロマシンを埋めていて、それで〈データベース〉とリンクし、情報処理をしているの。で、〈データベース〉の前にあるたくさんの球体が〈パーソナリティ〉。マイクロマシンが処理した情報をパーソナライズしてくれる、わたしたちの住処。社会が情報的に複雑化して人類の認知能力が追いつかなくなったから、こんな装置が必要になったの」なるほど。身体の進化とは「工学的に」、ということか。
「まずはわたしの家に行こう。お父さんとお母さんに雅を紹介するね」「じゃあぼくはしばらく木星人のふりをしていた方がいいな」「うん、そうだね」
ぼくらを乗せた宇宙船はあるひとつの〈パーソナリティ〉のドックに収まった。船を出ると、まず人の多さに驚いた。そして、皆が同じ容姿をしている。これがパーソナライズ? ぼくは吐き気を覚えた。しかし容姿が異なるぼくが注目されることはなかった。おそらく別の〈パーソナリティ〉の人間だと思われているのだろう。異様なのはそれだけではない。街並みに統一感がまったくない。ゴシック、バロック、モダン……、それぞれ異質なものが具体性そのままに縫合されているようだ。その中の一件の前でイチカは止まった。「雅、ここだよ」「よし、入ろう」入ると広い芝生の庭の先に一軒家が見えた。イチカはそのドアを開けた。「ただいま〜」「おお、イチカ! 地球はどうだった?」「ごめんねお父さん。失敗して逃げてきちゃった。それより、こちらわたしの彼氏」ぼくは話を合わせることにした。「初めまして。イチカさんとお付き合いさせていただいております、渡辺雅と申します」「彼氏、か……」「あらあら、素敵な男の子じゃないの。中へどうぞ。いっしょにお夕飯にしましょ」「お母さんただいま! ありがと〜」「ありがとうございます。お邪魔します」
歓談のなか、ぼくは口先八丁で「立派で頼もしい男性」を演じーーそれは成功したーー、イチカの父親と盃を交わした。そのなかで図書館の場所を聞き出し、明日行こうと考えた。今夜は泊まっていきなさいな、と言うイチカの母親に甘え、風呂とベッドを借りた。
翌朝。ぼくは一人で図書館へ向かった。この星の歴史と文化と政治を知るためである。文献を漁って分かったのは、やはり人類同士、木星も地球も大して変わらないということだった。資本主義、三権分立、立憲主義、民主主義、管理社会。宗教戦争と近代国家の成立まで。プラトンやホッブズやカントやヘーゲルもこの星で通用するだろう。ただひとつ異なるのは、木星という厳しい環境下で培ったテクノロジーの思想である。木星人の哲学者はまるで地球のSF作家のように、こぞって未来の科学と思弁を語っている。そのなかでは異星人とのコンタクトにも触れてあり、一方ではシュミットのように敵対種は殲滅すべきとの立場があり、しかし他方では共存の思想もあった。現政権は前者の立場を取っているが、野党リベラル派には後者を支持する者もいるという。これを糸口にできないか。
ひと通りの調べものを終え、表の喫煙所でタバコを吸いながら考えた。さて、どうすれば与党議員の地球人殲滅の立場を覆せるか。あるいは世論を動かすか。ぼくはこの星の政治家や官僚になどなりたくはない。これはぼくの経験から言うのだが、人間は押し並べてバカである。だから人類という動物の群れにあまり期待しない方がよい。したがって社会を変えるには、ひとを変えるのではなく「環境」を変えるべきなのだ。ならばこれからぼくはどうすべきか。そう、〈データベース〉を改竄するのだ。すなわちテロリズムである。
これで方向性は決まった。あとは具体的戦術を練り込んでいこう。ぼくはこの星に長居するつもりはない。華子をひとりにしておくわけにはいかないからだ。猶予はない。ぼくはひとまず矢面家に帰ることにした。
「雅くん! いいところに」イチカの父だ。「どうしました?」「とにかくイチカのもとへ行ってやってくれ!」彼のただならぬ気迫に事件性を感じ、ぼくはイチカの部屋へ急いだ。
ドアを開けると、壁がぼくの名前を合唱していた。つまり、イチカがクレヨンで壁中にぼくの名前を書き続けている。「イチカ! どうした!?」「雅〜!」イチカはぼくの存在を認めると、勢いよく抱きついてきた。「雅ー、愛してる〜」「ああ、ぼくもだ。だから大丈夫。大丈夫だ」
その夜、ぼくはイチカの父と対話した。「きみ、地球人だろ」「いかにも。どうして分かりました?」「話せば長くなる」彼によれば、イチカは遺伝子を操作して産まれた、すなわち人工的に進化した最初の人間なのだそうだ。まるでガンダムSEEDの世界じゃないか。木星人は〈パーソナリティ〉から人生を最適化されており、つまり他者を必要としない合理的な人生をデザインされている。だからイチカは遺伝子操作のおり、両親から「他者を愛すること」を刻まれて産まれたのだった。「どうしてあんなポンコツ娘が地球人を滅ぼすために派遣されたか不思議ではなかったかね」そう、ぼくもそれは気になっていた。彼はこう言った。デザイナーズベビーには卓越した演算能力があると政府に認められ(やはりガンダムSEEDだ)、人類侵略シリーズの一員に任命されたのだった。するとイチカはたったひとりで宇宙船の基礎設計とボソンジャンプの基礎理論を発明してしてしまったため、政府は大いに彼女を買い、異星人のなかで最も文明が発達している地球人の侵略の任を与えたのだった。才能と性格は別、ということか。「そしてイチカはきみに出会った」そうか。ぼくは、愛すべき相手をぼくのようなチンピラに決めてしまったイチカを哀れんだ。「雅くん、どうかこの星に留まりイチカとずっと一緒にいてくれないだろうか」「申し訳ありません。ぼくには地球に残してきた愛する家族がいるんです」「そうか……。いや、手前勝手なお願いだったね。すまない。明日にでも帰りの手配をしよう」「ありがとうございます。ご期待に添えず申し訳ありません」
この対話の最中、ぼくは恐ろしいアイデアを練っていた。すなわち、〈データベース〉にイチカを封印する、というひらめきを。
(つづく)
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