第22話 酔いどれ先輩からのおしらせ

「あの……田近野たぢかのさん。相棒探しって、どんな感じで進めるんですか?」

「ん? 基惟もといの保有霊気の測定するやん? ほんで、契約希望リストに登録してくれてるアヤカシの中で相性よさそうな霊気持ちに声かける。まず可見依町内で当たってみて、見つからんかったら範囲拡げてく感じ」

「霊気測定、というのは……痛い?」

「全然。ひんやりするパッドを胸に三個貼って、一分待つだけー」


 ほっとして残り少なくなってきたカルボナーラをまた口に運ぶと、テーブルの下からするすると滑り出てきたナナシが肩まで人体化して基惟の隣にきた。


「……よのべ、さん」

「はい?」

「やっぱり、ちょっと、だけ……食べてみたい。いい?」

「もちろんです。待ってくださいね」


 パスタをフォークにくるっと巻いて名無しに近づけると、彼女はいやいやと手振りで否定した。


「自分で、できる……ます」

「あ……そう、ですか。それじゃあ……」


 葵宵のように手ずから食べさせることはできなかった。


 プラスチック容器にフォークを載せて、ナナシの前に寄せる。

 真っ黒な手がフォークを掴んで、鼻下にぱかっと開いた口にパスタを運ぶ。一瞬視えた口の中も、やっぱり真っ黒だった。


「ん……ん! おい、しいっ!」

「あ、良かった。残り、食べますか? 僕そろそろおなかいっぱいで」

「いい、の!? わぁぁ……」


 話し方はたどたどしいが彼女の声には明確な抑揚があって、表情がなくても感情がちゃんと伝わってくる。

 周囲に花でも咲かせそうなご機嫌っぷりを見せて、彼女はそれほど残っていないパスタにフォークをつける。目の位置にはくぼみしかないが視覚ははっきりしているのか、手つきに危なっかしさがない。


 そこでふと何かに気づいたように、葵宵がポケットから携帯端末を出した。カバーに付いているリングを起こすとスタンドになり、横向きかつ通話中という表示状態で基惟の前に立てられる。


「何ですか?」

「どーしても今日中に基惟の顔が見たいんやって。賑わしいけど付きぉたって」


 表示がパッと切り替わり、画面いっぱいに女の顔が映る。頬を紅潮させたその女は目を大きく見開いて、スピーカーからの音がひび割れるほどの大声を上げた。


【ちょ、可愛い! むちゃくちゃ可愛いんだが!?】

新佳にいか。声抑えて。周りが見てる】

【ええぇ? いいでしょ、会場からは出てるんだから。それより千歳ちとせも見てよぉ!】


 と、女が少し画面から引くと、今度は褐色かっしょく肌の男が映る。


【ほんとだ、新佳好みのはかなげ美青年。新人さん、こんばんはー】

「あ、はい。こんばんは」


 画面内で男が会釈するから、基惟も同じように返す。すると葵宵が向かいから画面を覗きこみつつ、映っているふたりを順に指さした。


「こっちが上ヶ原うえがはら新佳にいか。四月から入局三年目になる二十四歳。んで、相棒の千歳。鴉天狗からすてんぐで、年齢は俺の一個上、二十七。ってか新佳、酒入ってるやろ。ちゃんと自分で名乗れや」

【そこは失敬! でもさー、こんな懇親会、飲まずにやってらんないじゃーん】

「千歳も止めぇな」

【止めても聞かないの、葵宵くんならわかるでしょ】


 あきれ顔でため息をつく葵宵に、基惟は手振りで『名乗っていいか』と確認する。どうぞとうなずきで返されたからピッと背筋を伸ばした。


余部よのべ基惟です、よろしくお願いします。あ……そうだ。ナナシさんも挨拶しますか?」

「え!? わ、わたしは、しない、です」


 カルボナーラを完食したナナシが人体化を解いてしゅぽっと影に引っ込む。すると、画面の中の新佳と千歳がいぶかし気にまばたきした。


【誰ぇ?】

【余部くん、もう相棒見つかったんだ。良かった】

ちゃう違う、出先で基惟がはぐれアヤカシを見つけてな。今晩は寮で一時保護してんねん。詳しいことはまたこっち戻ってきたときに」


 すると新佳が半眼になってぶぅと口を尖らせた。


【いーなーいーなー、さっそく面白いこと起きてるんじゃん。あたしもそっちがいい。センパイ、今からでも変わろうよぉ。こっち震えるほどつまんないよぉー!】

【新佳、聞かれたらカドが立つからやめて】

【カドぐらいケチケチしない! もっと角張って生きなさいよ!】


 画面の中で始まった痴話喧嘩みたいなものに基惟が圧倒されていたら、隣にやってきた伽羅きゃらが後ろ足でしゅっと立って画面を見る。


【お、伽羅ちゃーん!】

「わぁ、ニカちゃんたらすっかりご機嫌さん。チィくん、まだ懇親会は終わりませんの? ニカちゃん最後まで保ちます?」

【九時までやるらしいよ、これ。新佳のピッチが早すぎるから会場から引っ張り出した……もう地獄。誰もアヤカシなんて連れてないし、新佳はおれにも皿持たせるし、視線が痛い】

「いっそ抜け出して宿舎に帰ってはいかが?」

【そうしたいんだけど、ちょっと気になる話が流れてきて……】


 そこで、千歳をぐっと画面端に押しやるようにして新佳が顔を近づけてきた。通話に耳を傾けながら弁当を食べていた葵宵が、「なになに?」と片眉をあげる。


【去年の秋、全国的にアヤカシ連れ去り案件が急増したのね。で……還送師かんそうしが対処できたケースで保護されたアヤカシが、何かに足を取られたとか、地面に縛り付けられたって言ってるんだって。一件や二件じゃないらしいの】

「あ……」


 ひと声こぼしたのはナナシだ。


【現場によってはびとの目撃証言とか、術の痕跡なんかもあったって。しかも、その術があたしたち還送師の使う汎用型じゃないっぽい。流れの退妖師たいようしが絡んでるんじゃないかなんて言ってる人もいるよ】


 新佳がそんな噂話を葵宵に報告する中、足元ではナナシが小さく影を震わせている。基惟はなんとなく彼女のいる床に手を伸ばして、ぽんぽんと手のひらで押さえるように軽く叩いた。今は、そうしたほうが良いような気がした。


 くように弁当を食べ終えた葵宵が、ペットボトルをぐっとあおってから基惟の隣に回ってくる。


「新佳。現場の術痕のこと、結界か攻撃かぐらい判別ついてんのか探っといて。追加で何かわかったら俺の端末に入れてな。室長に業務報告と一緒にまとめて俺から連絡するし、いったん二十三時で締め」

【はーい。んじゃあ、もうちょいここで情報拾っとくよ。カクテルの品ぞろえは悪くないしね】

飲酒そっちはほどほどにな……ほな、切るで」

【あああ待って待って!】


 新佳は通話を終えようとした葵宵を止めて、ひらひらと両手を振りながら笑った。


【余部くん、ちゃんと歓迎会するからね。こんなタイミングであたしたちも室長チームも留守にしてて、ほんとごめんねー】

【大阪のおみやげを買って帰るのでお楽しみに。戻ったらゆっくり話しましょう】

「はい。ありがとうございます」


 そして、ぷつんと映像が消える。


 新佳が陽光なら千歳は月光というか。話しかたの熱気が対照的なコンビだった。


「な、賑わしいやろ。対面やともっと激しいし、アルコール摂ってなくてもあれやから」

「逆に、千歳さんは静かなタイプなんですね」

「せやなぁ、基惟と温度感が近いかもしれん。千歳はちょっと異色なアヤカシやから、戻ったらいろいろ話聞いたらええよ。分室でいちばん基惟のことわかってやれるのも千歳かなーと思うし」


 意味するところがわからず首を傾げたら、「本人から聞きぃ」と笑って返された。


 そこで「あ、の……」とナナシの声が割り込んできて、また人体化して頭を下げた。


「やっぱり、わたし、わるいアヤカシ、でした」


 今の新佳からの報告を聞けば、自分が関係していると思って当然だろう。ナナシはすっかり意気消沈して、カルボナーラにはしゃいでいた明るさは見る影もない。


 どう言葉をかけて良いものか悩む基惟より、先輩コンビのほうが早かった。


「まだ、ナナシさんだと決まったわけじゃありません。全国的に増えたというお話でしたしね」

「せやで。ただ明日にでも、ナナシさんが今まで捕まえたっていうアヤカシのことは聞かせてもらえるやろか」

「いまから、じゃ、なくて?」

「今日は疲れてるやろ。雇い主のカガチさんのこと含めていろいろ聞きたいから、しっかり休んでからにしよ」


 葵宵は端末をポケットにしまい、空になった弁当やパスタの容器をまとめてキッチンに運びながら続ける。


「で、今晩はふたりで同室な」

「えっ……」

「基惟から離れられへんのやから、しゃーないやん? 明日にはどないかするから、今晩は我慢してな」


 それは、ごもっともなのだが――。

 買ったばかりのスポンジで空き容器を洗い始める葵宵を追って、基惟もキッチンに入った。


「僕と同じ室内でひと晩も過ごして、ナナシさんに危険があったら」

「実際に今、何も起きてへんし。安全のために部屋ごと結界張らせてもらうし、隣に俺らもおるんやし、へーきへーき」

「でも、ベッドだって一台しかありませんし」


 すると、足の甲をつんつんとつつかれた。ナナシの指が呼んでいる。


「ベッド、いらない、よ。ビン、で、ねます」

「……ビン?」


 およそ就寝と結びつかない単語を基惟がオウム返しにすると、葵宵が洗いかけの容器をつるんとシンクに落とした。


「ビンてなにッ!?」

「ビンといえば一般的に、ガラス製の容器のことだと思いますが」

「だよ……です。これぐらい、の」


 と、ナナシが床から両手を生やして所望するビンの大きさを示す。

 直後、葵宵の放った「そういう話やないねん」は職員寮全体に響き渡るほどで、彼は伽羅に「もう夜ですよ」と叱られることとなった。

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