クラウドソーシング・ライフ【デジタル・メモリーズシリーズ】
ソコニ
第1話 クラウドソーシング・ライフ
「あなたの人生の重要な決定を、世界の叡智に委ねてみませんか?」
中村亮介は、スマートフォンに届いた広告を何度も読み返していた。35歳、システムエンジニア。幼い頃から決断が苦手で、いつも周りの意見に流されてきた。その彼の目の前で、WiseChoice(ワイズチョイス)という新しいアプリが、解放への道を示すように輝いていた。
「群衆の叡智で、最適な人生の選択を」
アプリをダウンロードする指が、わずかに震えていた。
WiseChoiceは、人生の重要な決定を世界中の見知らぬ人々の投票に委ねるプラットフォームだ。結婚、転職、引っ越し―あらゆる選択を、集合知によって決定する。
「初回登録特典として、1件の重要決定を無料で提供いたします」
亮介は、今直面している最大の課題を投稿した。
「現在の企業に残るか、スタートアップの誘いに乗るか、決められません。給与は現職の方が安定していますが、やりがいは新しい道かもしれません。皆さんならどうしますか?」
投稿から24時間。世界中から1万件を超える回答が集まった。
「チャレンジするべき。人生は一度きり」
「安定を選ぶべき。責任ある選択を」
「データで比較すれば答えは明確」
コメントの数々に目を通していると、一つの返信が目に留まった。
「なぜ、その決定を他人に委ねようとするのですか?」
その問いかけに、亮介は答えられなかった。
結果は「スタートアップへの転職」が58%の支持を得た。アプリは「高確度の推奨」として、この選択を提示してきた。
亮介は、その通りに決断した。
それから3ヶ月。亮介はWiseChoiceの熱心なユーザーとなっていた。休日の過ごし方、新しい趣味、服の選び方。あらゆる決定を、アプリに委ねるようになっていった。
「中村さん、最近変わりましたね」
新しい職場の同僚、藤原美咲がそう言った。
「自分で決められないことを、他人に決めてもらうのは、ある意味で無責任じゃないですか?」
その言葉は、予想以上に胸に突き刺さった。
その夜、亮介は新たな質問を投稿した。
「このアプリを使い続けるべきでしょうか」
返信は瞬く間に集まった。
「人生は自分で決めるべき」
「集合知は個人の直感より正確」
「依存してはいけない」
「便利なツールとして使うべき」
意見は完全に二分された。50.1%対49.9%。
アプリは「結果が僅差のため、再投票を推奨」と表示する。
しかし、亮介は初めて、アプリの提案を無視することにした。
代わりに、彼は自分の全ての決定を記録したノートを開き、それぞれの結果を振り返り始めた。集合知による決定は、確かに論理的で妥当なものが多かった。しかし、その過程で失われていたものもあった。決断の瞬間の緊張感、結果への責任、そして何より―自分で人生を切り開いているという実感。
「藤原さん、話があります」
翌日、亮介は美咲に自分の考えを話した。
「このアプリは、正しい選択のためのツールにはなりえても、人生そのものを代替することはできないと気づいたんです」
「それは、あなた自身の決断なんですね」
美咲は微笑んだ。
その日から、亮介はWiseChoiceの使い方を変えた。重要な決定の参考意見として使用し、最終的な判断は自分で下すようになった。時には集合知に反する選択をすることもある。それは時として失敗につながることもあったが、その結果もまた、確かに自分のものだった。
半年後、アプリに最後の質問を投稿した。
「人生の決断において、最も大切なものは何だと思いますか?」
最も多くの「いいね」を集めた回答は、意外にもシンプルなものだった。
「自分の選択に、責任を持てること」
亮介は静かにスマートフォンをポケットにしまった。外では春の風が、新しい季節の訪れを告げていた。
(完)
クラウドソーシング・ライフ【デジタル・メモリーズシリーズ】 ソコニ @mi33x
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます