第2話 トムール草原での伝説の戦い


夜は更け、ウェイスグロの外側に広がるトムール大草原。


煙が一筋、焚き火が一つ。

草原の上に横たわる宮本は、悠然と空に広がる無数の星々と、圧倒的な存在感を放つ三つの血色の満月を見上げていた。

鼻をくすぐる空気は、これまで感じたことのないほど新鮮だった。

危険が潜む場所のはずなのに、むしろ楽園に迷い込んだような感覚さえする。


「今夜はここで寝るか…ガイドブックによると、このトムール草原ではモンスターの分布はまばららしい。運が悪くなければ朝までは生きていられるだろう」

果てしない星空に包まれながら、宮本は社会に出て以来初めての、最も穏やかな眠りを体験した。



翌朝

眩しい朝日が宮本を優しく起こす。彼は大きく伸びをすると、焚き火の跡を踏み消し、遠くに霞む山脈に向かって歩き出した。


その山脈は聖ゴリル山。別名、伝説の山脈。

そこは宮本が今回の旅の目的地であり、最期の地と決めた場所だ。



ウェイスグロは、真の意味でのモンスターの国だ。

可愛らしいスライムから、ひと息で都市を壊滅させる覇者黒竜まで、ここでは何でも遭遇することができる。


そんな考えにふけっていた矢先、どうやら運はここで尽きたらしい。


歩き始めて30分ほど、赤い目をした六角魔牛が宮本を見据えていた。

六角魔牛――全高2メートル、全長4.2メートルにも及ぶその巨体は、圧倒的な威圧感を放っている。

その視線が宮本をしっかりと捉え、逃げ場はない。

「ここで終わりか……」

宮本は苦笑しつつ首を振るが、怖がる様子は見せない。


このIII級モンスターはダンジョン配信でお馴染みだ。巨大な体躯に似合わず知能は低く、美味な食材として知られるため、配信者たちには狩りの定番として人気だった。

「モォォォォ!」


低く唸る魔牛の咆哮が草原を震わせる。だが宮本は冷静だった――戦う意志も、逃げるそぶりすら見せず、ただ立ち尽くす。

少なくとも外見だけは、死を恐れぬ超強者に見えた。

実際のところ、恐れのなさと能力不足の奇妙なバランスが、彼の落ち着きを演出していただけだ。


六角魔牛が突進態勢を取った。50メートルの距離を一瞬で詰めるべく、その巨体が地を揺るがせながら迫る。

しかし、魔牛が宮本の目前10メートルに迫った瞬間、空から一本の雷が轟音と共に降り注いだ。


魔牛は焼け焦げた肉塊となり、その香ばしい匂いが宮本の空腹な腹を「グゥゥゥ……」と鳴らせる。


次の瞬間、天は怒り狂ったように無数の雷を放ち始めた。

百本、千本――雷光が半径10キロを覆い尽くす。


ズラッ!

一本の雷が宮本の足元2メートルに落ち、深さ2メートルの黒焦げの穴を残した。

事態を理解する余裕もなく、宮本はただ状況に身を任せた。


「同じ場所に雷が二度落ちる確率は低い」と瞬時に判断し、近くの穴へ飛び込むと、そのまま事の成り行きを見守ることにした。


恐怖は一切なく、むしろその瞳には好奇心が宿っていた。


雷の嵐が草原を荒れ狂う中、宮本は天を見上げたが、雷の閃光が激しすぎてよく見えない。

それでも、空中に二頭の巨大な怪物が激しく戦っている影がかすかに見えた。

肉体と肉体のぶつかり合い、骨と血の飛び散る激しい戦闘だ。


一瞬、宮本は雷の正体を目撃した。


それは、全長200メートルを超える巨大な存在で、全身に電光をまとい、空中で別の巨獣に向かって咆哮を上げていた。

それは……ダンジョン図鑑の299ページに記載された伝説の生物…

嵐の雷竜。



社会の底辺で生きる社畜である宮本にとって、唯一の趣味はダンジョンに関するあらゆる情報を追うことだった。

配信動画や図鑑、ダンジョンのルール、探検家協会の動向、素材集……関連するものには何でも手を出し、少ない自由時間を研究に費やしてきた。その知識の深さは、プロの配信者と肩を並べるほどだ。


嵐に吹きすさばれる穴の中で、宮本は息を呑んでその光景を見つめた。雷に打たれれば即死する危険があるにもかかわらず、興奮が体中を駆け巡る。

図鑑の中だけの存在だった伝説の生物が、今まさに自分の目の前で死闘を繰り広げているのだ。これ以上の出来事は一生訪れないだろう。

もし配信機材でもあれば、この光景を記録し、瞬く間に新人として百万人以上の登録者を獲得することも夢ではなかっただろう。


だが、宮本が気になって仕方ないのは、雷竜と戦うもう一方の巨大生物の正体だった。


5分間の観察を続けた結果、宮本はついに雷竜の対戦相手の姿を捉えた。


それは亀のような体にドラゴンのしっぽを持ち、全身を不気味な黒い物質で覆われた巨大生物だった。

その姿形は亜竜亀に似ていたが、亜竜亀はV級モンスターで、体格もはるかに小さいうえ、空を飛ぶこともできない。

そんな生物が伝説の雷竜と互角に渡り合えるはずがない。


ダンジョン生物に精通している宮本ですら、この巨大生物の正体を見極めることができなかった。

新種なのか?

それとも、まだ知られていない伝説モンスターなのか?


空中での戦いは想像を超える長時間に及び、やがて宮本は疲労に耐えきれず、雷鳴が轟く中でそのまま眠りに落ちた。




滴り落ちる液体が宮本の顔や体を濡らし、疲労困憊の彼を目覚めさせた。

雨か?

いや、やけに粘り気がある。それに、この色、この匂い……


空を見上げると、そこには血の雨が激しく降り注いでいた。


この赤黒い雨は30分以上も降り続け、青々としていたテムール草原を真紅に染め上げた。

雷の嵐が止むとともにあたりは静寂に包まれ、夜の帳が下りると、空には三つの血のように赤い満月が浮かび上がっていた。

宮本は穴の中から這い出し、這うようにして外の様子を確認した。

そして――信じがたい光景を目にする。


つい先ほどまで空中で激しく戦っていた二体の伝説モンスターが、地面に堕ちていたのだ。

血の雨は、この二体が落命した際に引き起こされた天象だったのだ。


まさか、二体の伝説モンスターは相討ちとなっていた!

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