4時限目

 「告白」10分前。


 放課後になり、光乃城学園はにわかに騒がしくなっていた。

 文化部の部員は、文化棟へと向かい、個人練を始めた吹奏楽部員の音色があちこちから聞こえる。体育館ではバスケットボールを突く音が響き、グラウンドでは白球を叩く金属音が風とともに、ぼくの耳に届いた。


 とりわけ騒がしかったのは、姫崎さんのおっかけヽヽヽヽだ。

 授業中以外、10歩離れて付き従う連中は、今日に限って狼狽えていた。


 突如、姫崎詩子が消えたのだ。


 本来なら放課後、真っ直ぐに帰宅する彼女がなかなか校門前に現れない。

 出待ちの連中がそれに気づくと、たちまち上へ下への大騒ぎになった。


 そんな彼らが動き回る廊下を、ぼくは流れに逆らうように歩いていた。

 目指すは東棟の空き教室。

 本来、東棟は理科室や調理室、視聴覚室といった特別教室が多く並んでいる。

 科学部や料理研究部といった部員が部室として使っていることが多いのだが、どういうわけか、人の気配はなかった。


 幸いにも、ぼくは誰にも会うことなく、件の教室にたどり着く。


 引き戸を引こうとした瞬間、スマートフォンが鳴った。

 生徒会長からだ。


『3分確保した。それ以上は約束できない。頑張ってくれ』


 一方的に切られる。


 スパイ映画かよ!

 ――って、あの人なんでぼくの携帯番号を知ってんだよ!


 ようは、この静寂を保っていられるのは、3分が限界だということだろう。

 もし、ぼくが一目をはばかり、姫崎さんと会っていたなどと知られれば、ただではすまない。大久野帝斗はもちろん、彼女にも危害をくわえられるかもしれない。


 ぼくは1つ息を吸い込んだ。

 意を決し、戸を引く。


 目に飛び込んできたのは、艶やかな茜色だった。

 整然と並べられた机に、幻想的な夕焼けが教室全体を包んでいる。


 そして1つの影が夕日に照らされ、壁際まで伸びていた。


 さっと風が吹く。

 同時に、黒い髪がなびいた。

 開かれた教室の戸に気づくと、オニキスのような瞳がこちらを向く。


 間違いない。

 姫崎詩子。通称【姫騎士】。

 ぼくのクラスメイトが、窓際近くに立っていた。


 思わず喉を鳴らす。

 頼んでもないのに、心臓の鼓動が徐々に早くなっていった。

 それでもぼくは、なるべく平静を装い、そっと彼女に近づく。

 やがて向かい合った。

 姫崎さんは微動だにしない。

 少しぼくから視線をそらし、やや気恥ずかしそうにしている――ように見える。


 なんだか久しぶりに、姫崎さんを見たような気がした。


 教室は一緒で、毎日同じ空気を吸っているはずなのに、もう10年以上会っていない旧友と再会した気分だ。


 久しぶりに見た姫崎さんはやはり美しい。

 綺麗で、しとやかで、凜としている。


 でも――。


 何か悲しそうな気がした。

 その表情が彼女の魅力以上に、ぼくの胸をギュッと締め付ける。

 何があったのか、なんて訊けない。

 姫崎さんに何があったのか、ぼくは見て聞いて知っている。


 すでにもう1分は過ぎているだろう。

 時間がない。

 切り出そうとした瞬間、まるで刃のようにその言葉は閃いた。


「好きです。つ、付き合って下さい」



 ◇◇◇◇◇



 ようやく話は冒頭に戻る。


 神の奇跡。

 55億年に1人の美少女。

 クレオパトラと楊貴妃と小野小町を足しても無理!


 そんな風に称される少女の告白。

 きっとそれは大多数の人にとって、望外の喜びなのだろう。


 けれど、ぼくにとってその告白は――。



 助けて……。



 助命を請われているような気がした。


 ぼくは……。

 ぼくは姫崎さんに聞きたかったことをすべて飲み込んだ。

 ようやく口を開く。


「頭を上げてよ、姫崎さん」


 ぼくの言葉に、姫崎さんは大人しく従った。

 長い髪が肩口を滑り落ちていく。

 黒い瞳は、若干潤みを帯びていた。


「あのね。入学式のことを覚えてる?」


 姫崎さんは1度瞼を瞬く。

 やがて「はい」と小さく答えた。


「すっごく楽しかった。その……姫崎さんには迷惑だったかもしれないけど」


「い、いいえ! わたしも楽しかったです! すごく!」


「そう。良かった。正直にいうとさ。家族以外の女の人とあんなに喋ったのって初めてだったんだ。心臓がバックンバックンだった」


「い、いいい一緒です。私も……。男の人とあんなに喋るのは初めてで……」


 ああ、そうか。


 きっとこういうことなんだろう。

 彼女はまともに男の人と喋ったことはない。

 何故なら、彼女に声をかける人すべてが――愛を語ろうとするからだ。

 告白は会話とはいわない。


 姫崎さんは、これほどの美貌を持ちながら、きっと男の人とまともに会話をしたことがないのだろう。それどころか、まともに人と付き合ったことがないのかもしれない。


 友達と呼べる人すら……。


 意外と言えば意外だ。

 でも、それは彼女の美貌から考えれば、あり得る話のような気がした。


「覚えてる? ぼくの不名誉な綽名……」


「え? はい! 覚えてます。リトルオークですよね」


 姫崎さんは嬉々として答える。

 やっと笑顔がのぞいた。


「覚えていてくれたんだ。ぼくとしては、覚えてほしくなかったんだけど」


「忘れられませんよ。『可愛い方のオーク』ですよね」


「そういえば、姫崎さんが飼ってる……えっと、ペギィだっけ?」


「覚えててくれたんですね。はい。元気ですよ。毎日一緒に寝てます」


 姫崎さんはペットを飼っている。

 マイクロブタといって、体長30センチほどの小さなブタなのだそうだ。

 宇宙一の美少女と一緒に寝床をともにするなんて、なんて幸せなブタなんだろう。


 楽しそうにペットの話をする彼女を見ながら、ぼくは入学式の時を思い出していた。

 そうだ。

 あの時も、こう思ったんだ。


「ずっとこの時間が続けばいいな」


 姫崎さんはペットの大きさを手で示しながら、頬を染めた。


「わたしもそう思います」


「…………」


「今も、そして入学式の時も本当に楽しかった。すごく……。わたしの人生の中で1番っていっていいぐらいに」


「はは……。ちょっと大げさじゃないかな?」


 姫崎さんは必死に頭を振った。


「本当です。だから、わたしはあの時から――」


 不意にぼくのスマフォが震える。

 静かな教室に、そのバイブ音は明確に響き渡った。

 きっと会長だろう。

 これ以上は待てない。

 催促をしてきたんだ。


 しばらくして音が止む。


 ぼくは顔を上げた。

 もう心の中では決心がついていた。


「生徒会長にいわれたんだ。姫崎さんを助けてくれって」


「……知っています」


「ここに来た時、どんな理由であろうとも、ぼくは姫崎さんの望みを叶えようと思った。助けになろうと思った。でも、そんなの『告白』じゃない。狡猾で卑怯な『同情』だ」


「…………」


「でも、本当は告白したくないんだ。だって、今からいう言葉は君をずっと傷つけた忌まわしい呪いのようなものだから……」


「聞かせてください」


 姫崎さんの決意は、茜色の教室に凜と響き渡った。

 ごしごしと目元を擦り、真剣な表情でぼくを見つめる。

 覚悟は出来ている。

 オニキスの瞳はそう訴えていた。


 ぼくはまた息を吸い込む。

 今、気づいたのだけど、心臓が信じられないぐらい拍動していた。

 姫崎さんと向かい合う。真剣に。



「ずっと好きでした。ぼくと付き合ってください!」



 緊張もあったのだろう。

 ぼくは普段出ないような声で叫んでいた。


 やがて「はい」と小さく返事が聞こえた。

 顔を上げる。

 姫崎さんの目から滂沱と涙が流れていた。


 そして――。



「よろしくお願いします。大久野くん」



 姫崎詩子が宇宙一の美少女であるなら。

 大久野帝斗は、宇宙で初めてOKをもらった男子だろう。


 これは、リトルオークが【姫騎士】にご指名を受けた物語。


 そして、ぼくが姫崎詩子に告白したお話だ。

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