第2話 記憶を辿る2

無茶苦茶な遊びをしていたつもりは一切無い。とにかく楽しかった。そこに怪我をするだの命が危ないだのといった事は関係無く、楽しいからやる!といった素直な気持ちがあった。今の子達が素直にSwitchや鬼ごっこを楽しむのと一緒だ。時代が違うのだ。遊び方も違って当然だ。

では何故そこにアレルギー反応と核家族が関係してくるのか。

これも時代が違うのだ。

アレルギー。我々の時、そこまで多くのアレルギー反応があっただろうか?そして、そこまでアレルギー反応に対しての教育も知識もあっただろうか?

いや、無い。少なくとも我が家の両親や爺婆、周囲の大人達、教師に至るまで、アレルギー反応に対しての知識も教育もそこまで無かったのだ。それ以外にも、科学の進歩でこれはあーだ、あれはこーだ、と色々発見されて来たし、気象の変化もあるし、とにかくあの時とは地球そのものが違うのだから遊び方が変わるのも当然なのだ。

それに呼応して核家族化が進み、自分の身の回りを見ている目が届きにくい。つまりは火を興して近所のオバチャンが注意するって事が無くなったのだ、注意をするオバチャンの事は知っていたし、親同士も繋がっていた。今はそれがない。これも時代と共に仕方ないことだ。それだけ経済大国になったという事だろうか。


いずれにせよ、山遊びや崖遊びはダメ。良いじゃんちょっとぐらい崖で鬼ごっこしてもと思うし、もし怪我でもしたらどうすんの?みたいに言うが、そんなの、遊びたい奴らが集まってるのだからそれで怪我するのは勝手だと思う、と言うと無責任と言われる。いやいやしかしその危険を承知で集まってるのだからそれに付随する怪我は自分達で責任取るしかないだろう。

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