第28話「メッセージ」

 「お帰りなさい。あっちはどうでした?」

「おう!いい天気だったよ。・・・じゃないか。

 仕事はまあ、お前らのバックアップのおかげで特にトラブルもなかったよ。

 ガデリウス搬送ロボットも機嫌よく動いてくれたしな。」

「そうですか。それはよかった。

 ガデ彼女は試運転で壁にパンチで大穴を開けるジャジャ馬でしたからね。

 出張中こっちは・・・、まぁ、ぼちぼちでした。」


 僕に封筒を出した先輩社員、天間先輩が長い海外出張から帰ってきた。

 僕は彼に事件の事を話すか迷っていた。

 事件は既に人事預かりの秘匿案件として、僕ら事件の関係者にも箝口令かんこうれいが敷かれていた。


 「俺がおまえに送ったのはオレンジの封筒だよ。

 なーんかヤバイ感じがしたけど、次の日から出張だったからさ。

 おまえなら何とかすると思って松野に頼んだんだよ。へへへ。」


 国際電話で話していた天間先輩の言葉が引っかかっていた。

 あの時はとにかく時間がなかった。他に調べる事が山積みになっていたことで、気にしないようにしていた胸に刺さった小骨が今になって僕の心を内側から突っついていた。

 あの時は、天間先輩の「らしい台詞」と信頼に応えたいという責任感が納得した気にさせていたが、僕はずっとその「らしさ」に潜む違和感を拭えずにいた。


 ふつう差出人も書かれていないあんな重たい封筒が届いたら、開封せずに誰かに渡すものだろうか?

 たとえ翌日から海外出張だったとしても、渡す相手を信頼していても。

 自分なら一度は封筒を開けて中身を確認するだろう。

 そしてそれが「ヤバイ」と天間先輩はどうして感じたのか。

 僕に渡すかどうかは、まず中身を見てからの話だろう。

 そこにあるどうしようもない違和感に、僕は違ったエンディングを迎えるルートを見落している自分を撮ったゲーム実況を観るようなもどかしさを感じていた。

 僕にとって禁断のワードが頭を過る。

 「もし、あのとき・・・。」


 最初にフロッピーディスクをPCで見た時に、全てのファイルの最終アクセス日時を記録しなかった。あの時、僕は幾つかのファイルを開いて中身を確認した。そのことで、そのファイルの最終アクセス日時は変わってしまっていた。

 その後、ディスクを解析した僕は自分が開いて最終アクセス日が変わったファイルを除外して解析した。

 しかし、脳裏に残っているおぼろげな記憶が、僕が最初にディスクの中身を見たとき、すでにアクセス日付が他と違うファイルが存在していたのではないかと僕に詰め寄っていた。

 僕は捜査中、その事に気づいていた。しかし確証もなく確かめる術もないこの記憶を追うことはせず、犯人を追い詰める有力な証拠集めを優先した。あの時の僕には確かにその選択しかなかった。

「もしあのとき、いまの俺がいたら」


「解決脳」

 僕ら設計士は複雑で難解な仕事をどれだけ効率よく短時間で終わらすか、常に最短ルートを探索しながら仕事をしている。

 それは刻々と変化する状況や明らかになった事実を受け容れて、ゴールにたどり着くために必要な情報を取捨選択しながら実行する「解決脳」を養う訓練をされているからだ。

 その直感にも近い嗅覚が囁く。

 あの時の決断は「あの時の僕」には間違っていないと言い切れる。しかし、同時に「現在の俺」の直感が告げていた。

「あの時、今のおまえならどの道を選ぶ?」

 その仮定をした瞬間、脳内で解決脳のスイッチが入り思考が勝手に走り出した。


 左目の視界の先に無数の「もし」が重なったルートが展開される。それはあたかもこれから設計する製品が利用者に使われるイメージが浮かんで見えるように。

 難攻不落のサバイバルゲームの謎のを解く攻略サイトのように。あの時の自分が選ばなかったルートを進む自分の映像が鮮明に流れ出す。


 あの時の僕はディスクに刻まれた情報が重要な手がかりになるなど思いもよらなかった。それ以前にこんな事件になる事など想像もできなかった。それは仕方ない事だったし後悔などない。

 あくまで仮定で言えばだが、あそこに他のルートに続く分岐路があったとしたら?

 と、その映像が僕に詰め寄っているような感覚を覚えていた。


 無事帰ってきた海外出張チームを僕らバックアップチームを実験棟の休憩所で迎えながら、交わすさ他愛ない会話の中で、涼介が描いて見せてくれた職場の相関図が皆の頭上に浮かんで見えた。


 「天間先輩は封筒を開き、中身を確認していたのではないか?」

「なんでそんな事をした?」

 「その時に封筒をオレンジからグレーに入れ替えられたのだとしたら?」

 「天間先輩はなぜそれを隠す?」

 

 聞き込み捜査をしながら、刻々と過ぎる時間の中で、皆の記憶がどんどん薄れていく焦りと、まだ見ぬ黒い犯人像にジリジリと追い詰められていく焦燥感が蘇る。

 切り捨てた違和感や疑念を押し込んだ壺の蓋を、今になって内側からジンワリと押し上げてくるのを感じていた。


 それはまるで、捕まって焦るゴンさんが口をついて言った「まだ、他にいる」であったり、誠司が言った「あいつは絶対やっている」という台詞たちが、黒い人型をした言霊となって、その先に隠された真のゴールに続く道を指差し、まだ僕の記憶の書庫の返却棚に置いてあるこの事件簿を抱えて薄ら笑っているような気がした。


 「天間先輩が、もし犯行に関わっていたら?」

 考えたくなかったことが頭をもたげてくる。

 天間先輩もこの事件に関わる一味で、ゴンさんがデータ入手係。リサがフロッピーの運び屋。それをバラまく係だった天間先輩が、何かの理由で裏切ったのだとしたら?

 冷静に振り返ると要所に散りばめられたこの違和感の正体が、まだ明かされていない事件の真相に辿り着くために天間先輩が残した、「おまえが救え」というメッセージの欠片だとしたら?

 僕はまだ真相を明かす事が出来ていないのだとしたら。


 そんな僕の疑念を見透かしているように、この件の質問に天間先輩は答えようとしなかった。

 「まあ、俺はよくわかんねーけどよ。

  もう済んだことならいーんじゃねえか?

  楽しくやろうぜ。な?」

 と、はぐらかした。


 捜査序盤に封筒の宛名と似た筆跡を探したときに、天間先輩の筆跡を確認しなかった事が悔やまれた。

 封筒はもう、証拠品として課長たちに押収されて手元にない。


 ゴンさん獲捕後のあまりに早い課長達の対応。元凶のハラスメント事件を無視して、リサの被害届を優先する対応は、いくら訴状が出ていたとしても不自然だった。

 被害にあったOLたちの中で、リサのPCだけが操作された痕跡がなかった違和感に、今になって気づく。

 誠司が言ったように、もしも、全てが会社組織に深く根づく組織の仕業だとしたら?

 大山田部長の「こちらの事情」がそれだとしたら?

 ゴンさんはただの尻尾切りだとしたら?


 考え出すと気になることが際限なく湧いてくる。僕の心の中の後悔の壺は、苦い蜜が蓋を押し上げ溢れ出す寸前だった。

 しかし、それを暴く証拠も気力も、もう僕には残っていなかった。人を、仲間を疑うことにも疲れ果てていた。

 何より僕にはもう捜査の原動力となる、「救うべき誰か」がいなかった。

 僕はその「事件簿」を、記憶の図書館の返却棚に放置して、仕舞うことも読み返すこともしないまま、やがて忘れていった。


 一方で、この事件の経験はそれまで技術者として歩んできた僕の考え方を大きく変えた。

 それまで探求者としての好奇心や探究心を原動力に働いてきた僕に、科学やテクノロジーは人を救う事のできる魔法になり得るのだと気づかせた。そしてそれを自らの手で成し得る達成感に、他に代えがたい充実感を感じていた。


 「もっと凄いテクノロジーを身につけて、

  もっとたくさんの人を救いたい」

 その為に必要な知恵と技術を磨き、それを役立てるために自分に足りないもの探求するため、僕は会社を辞めた。そして同じ思いを抱える人たちが集う場を求めて大学に通うことにした。

 そこでは様々なデータ解析技術と、僕らの住んでいるこの社会の仕組みと法律や経済、生きた経営手法や組織統制術を実践形式で学んだ。

 授業は現役の経営者やコンサルタントが担い、社会人を中心としたクラス編成だった。クラスメイトは大企業の幹部候補や自衛隊のキャリア、還暦を過ぎてなお海外進出を目論む歴戦の経営者たちと歯に衣を着せないディスカッションが行われた。

 明確な目的と意欲をもった多彩な人たちとの交流は、僕に多くの刺激と成長の機会を与えてくれた。

 そして、それまでどこか遠くの出来事のように観ていた企業や社会、国や世界も、一人ひとりの相容れない人間の想いで成り立ち、人同士の繋がり方ひとつで成功も失敗もする。

 人こそが僕らが生きる社会を築き、未来への希望だということを知った。

 御しがたく、そこに渦巻く欲望や業が引き起こす悲喜劇にこそ、仕事の、人生の醍醐味があるのだと教えてくれた。

 それまで職場の人間関係や知人とのつき合いを煩わしいと思うこともあった。今回の事件はその煩わしさをより強く感じる出来事でもあった。しかしそんな僕の些末な気持ちを笑い飛ばすのに十分な、力強い人たちに僕の瑣末な失望は癒されていった。


 人とテクノロジーに魅せられた僕は、その後、経営システムを開発する企業で経験を積み、30歳半ばに小さなコンサルタント会社を立ち上げた。

 時代の移り変わりは益々早くなったが、人は簡単には変われない。

 取り残された人たちが巻き起こす問題に向き合わなければ社会は前に進めない。

 僕の会社は、何かに導かれるように軌道に乗っていった。

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