魔女
刻壁クロウ
南の魔女
かたん、と。
取り落とした葦のペンが、ごろごろと木の床を転がった。それはやがて、椅子の脚に行く手を塞がれて、止まる。かちんと椅子の足にペンが弾かれる音に、はっと私は意識を取り戻した。
「やらかした」
昨日は年に一度の、お茶会の日だ。
時計の針が、頂点を指す。ぱぁん、と薄いガラスの割れるような音を立てて、空気中に光の粉が散った。魔法で急拵えで作った椅子が、がらがらと崩れる。
ごぉーん、ごぉーん。
遠く、久しく聞いた、鐘の音が聞こえた気がした──。
***
……魔法が使えなくなった?魔女のくせに。
……そう、魔法が使えなくなった。そうだね。私魔女じゃなくなっちゃった。うっかりうっかり。長い生の内だからやらかすこともあるけどさ、まさかこんなことやらかすとはね〜。
……それは大変なことだね……。
そうだね、大変なことだね〜。
「全く困ったもんだよ〜、……あ、こら」
「にぃ」
そう私が飼い猫を両手で抱え、声を代弁しながら顔を見合わせて会話していると彼は心なしか怪訝な顔をした。それからアコーディオンのように体を上手くうねらせて、私の手から逃れる。どろりと床に落ちた彼はツンとした顔をして私に背中を向け、尻尾をゆらゆらと揺らしながらしゃなりと歩いていった。全くつれない子だ。言葉が分からなくなってから特にそう。私はうーん、と顎に右の手を当てて言った。
「惜しいことをした」
うっかりで友人を一人失った。お茶目さんも考えものだな……と思いながら、私は葦のペンが刺さった左手を一瞥した。
***
この世界には、魔女という生き物がいる。……世には、こう謳われる。
彼女らは、人の姿をしていながら、人とは全く異なる臓器、生態を持つ生物だ。その生態の差の最たるは、彼女らは生殖を必要とせず、その体内器官によって魔法という世の法則に反した力を行使する。そんな彼女らは生殖によって作為的に個体数を増加させることが不可能であるため、人に比べて個体数は限られているものの、個の力に於いては人より圧倒的な、常軌を逸脱した存在だ。そんな神の祝福の如き御業を扱う彼女らも、しかして神ならぬ身。その行いには間違いもあろう。だからか……。
大昔の魔女は、全ての魔女に枷となる呪いを掛けた。それは世代を超えて受け継がれる、強力な呪縛……「魔女の茶会」への出席義務である。
その呪いのもとに、茶会へ出席せぬ魔女は、その身に余る祝福を一夜にして失い、人間同然の存在になる。しかし、魔女が祝福を失い、人同然となっても、祝福が魔女を魔女たらしめるのではないことをゆめゆめ忘れてはならない。彼女らがどれだけ人間らしくても──。
それを忘れてはならない。
***
茶会なんて、傍迷惑な話だ──とは、人間嫌いの北の魔女の言だ。前の茶会でそんな話を聞きながら、ぼうっと大昔にこの魔法を全員にかけた魔女たちは寂しかったのだろうか。と考えていたことを思い出す。
私は北の魔女ほどこの呪いを嫌ってはいないが、こんなパッとしない呪いをかけられるくらいならもっと三日三晩悪夢を見るとか……罰らしい罰がよかった、と思う。こんなパッとしない呪いだから、研究に没頭した私がうっかり忘れたりするのだ。魔法を失って実験に集中する為にかけた遮音魔法が解けた瞬間、お茶会終わりの鐘の音が鳴っていた時には軽く絶望の心地だった。
……しかし、なって一晩経ってみれば、人間も悪くない。切り過ぎた前髪が落ち着いて見ればしっくり来る時と同じように、私はそう感じるようになった。
今この体も流れるものはグミみたいなぶよぶよの冷たい魔力ではなく、熱くて赤い血液。柔くて魔法の防壁の一つなく晒された素肌は無警戒に肉食獣に姿を晒す雛のような危うさを持ち、少し転んだだけで感じる痛みは新鮮に私を貫くが、痛みを感じて尚立ち上がる。うん、かわいいじゃないか人間という生き物は。
魔法が使えなくなった時は便利な機織り機でもなくした気分だったが、意外と手編みも味があって悪くない。そんな心地だ。
そう──人間になったのなら、人の街へ出掛けてみよう。今なら、魔女としてではなく人として出掛けて自然な人間の生き方を覗くことができるかもしれない。警戒されずに心ゆくまま観察できるという利点は、少なからずある。そうして仲良くなれれば、嬉しい。誰かが、呪いなんかなくても、研究に没頭して十年間手紙の返信を寄越さなくても……私とお茶を飲んでくれるかもしれない。
それから老いというやつはやってみたい。歳を取る感覚はどんなものだろう。沢山の段階があるようだが、彼らは何を以てその段階を選んでそうなっているのだろう。その基準も気になる。
そしてもし、元魔女とバレて、火炙りにかけられたら……。この脆い体だとどのように感じるだろう。しっかり覚えて、丹念にメモを取ろう。
それからそれから……。知りたいことが沢山あるな、と私は目を細めて微笑んだ。
それから葦のペンの先の刺さった左手に目を向ける。そのまま手を動かせば、未だにたらりと赤色の血が流れる。刺した直後にひっくり返した砂時計は、もう砂が落ち切っていた。
「三分では止まらないんだなあ」
昔、染色の材料にしようと腕を捥いでから捕まえた人間には、悪いことをした。そんなことを考えながら、私は血の滴をまじまじと見る。やはり人間の血液の色はきれいだ、血液の色に個体差はあるのだろうか。今度仲良くなれたら見せてもらおう、と私はうっとりとした。
魔女 刻壁クロウ @asobu-rulu
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