第49話 決意

「……はぁ、ほんと自分が嫌になる……」  



 二月下旬の、ある宵の頃。

 自室にて、ぐったり勉強机に身体を預け呟く。何と言うか……ほんと、申し訳ないにもほどがある。あたしのために……あたしのせいで、深く頭を下げることとなった彼の姿を思い起こすと、今でもぎゅっと胸が締め付けられて――


 ――トゥルルルル。


 そんな自己嫌悪の最中さなか、ふと机の隅から響く電子音。発信主は……まあ、大方察しはつくけども。ともかく、スマホを手に取り表示画面を確認する。そして、そっと通話ボタンに指を添え――



『――ほんと、世話の焼ける妹だよ』


 スマホを当てた右の耳に、あからさまに呆れたような声が届く。まあ、当然と言えば当然か。……ただ、それでも――



「……まあ、悪いとは思ってるけど……でも、別にあたしが頼んだわけじゃないよね――氷兄ひょうにい


 そう、僅かながらの反論を試みる。……まあ、自分でも苦しいなとは思うけども。


 そんな私の返答を受け、スマホ越しにクスッと声を洩らすのは氷兄こと郁島いくしま氷里ひょうり――小学校の頃、両親の離婚に伴い生き別れになった実の兄だ。


『――そうは言うけどさ、夏乃かの。勝手に俺を利用してくれたわりには、ほとほと何の進展もないみたいだし、そりゃあ俺だって多少はお節介も焼きたくなるよ』

「……別に、何の進展もないわけじゃ……」


 続けて、やはり呆れたような声音で話す氷兄に再び僅かながらの反論を試みる。……うん、何の進展もないわけじゃ……その、ちょっとくらいは距離も縮まった……はず。



『――ところで、今更ではあるけど……なんで、俺に告白するなんて馬鹿なこと言っちゃったの? まあ、何となく察しはつくけど……正直、悪手もいいとこだよね』

「…………うん。ほんと、なんでだろうね」


 尤も過ぎる氷兄の指摘に、反論の余地もなく自問するあたし。……うん。ほんと、なんでだろうね。


 ……いや、まあ一応あたしなりに理由はあったんだけども。恋愛相談を受けてもらっていたはずの友達といつの間にやら両想いになり、結局そのまま付き合うことになった――さてどうしたものかと思案していたあの頃、あたしの友達から丁度そんな話を聞いて、それで……うん、我ながら浅はかにもほどがあるね。


 そういうわけで、あのお願いをきっかけにその後、彼と同じ時間ときを過ごせるようになった。……ただ、なったは良いのだけれど……どうにも、友達以上に距離は縮まらなくて。……まあ、それはそうだよね。郁島会長ほかのひとに告白したいって言ったんだから、あたし。


 そして、あれから五ヶ月ほどが経過したあの日――いよいよ痺れを切らしたのか、まさかの氷兄から行動アクションを起こしてくるという事態に。……いや、痺れを切らしたというより――自分が高校を去る前に、何かしら出来ることをしようと思ってくれたのだろう。うん、やっぱりお節介で……やっぱり、凄く優しい。


 ただ、それにしても……うん、随分と大胆な手に打って出たよね、氷兄。ほとんど関わっていないはずの一後輩に、卒業前に突然告白なんて。



 ともあれ――それから数日後、彼のもとにメモが届いたとのこと。大事な話があるから、放課後待っています――そんな旨の記されたメモだったようで、俄にあたしの胸は騒ついたけど……待ち合わせの場所を聞いて、ふと別の可能性に思い至った。


 いや、だって……あの場所だよ? 一階と二階を繋ぐだけの、あの階段のとこだよ? まあ、限りなく人目に付きづらいという点でいえば、そういう用件には最適な場とも言えそうだけど……そもそも、あんな場所を知ってる生徒自体、相当に限られているのではないかと。あたしだって、彼が教えてくれなきゃきっと卒業まで知らなかったと思うし。


 そして、タイミングから考えてみても――これは恐らく、彼を誘き出す氷兄の策ではないかと踏んだ。そういうわけで、彼が待ち合わせ場所へと向かった少し後にあたしも出陣――そして、あの辺りの校舎裏にひっそり身を潜め窓からこっそり中を……うん、まごうことなき不審者だよね。



 ともあれ――岩崎いわさきさんが去っていった後、一人になった氷兄のもとに段裏辺りから彼が現れた。いっそう高鳴る鼓動をどうにか抑えつつ、その後の展開にいっそう意識を集中して――


「…………」


 ぎゅっと、胸が苦しくなる。何の義務も責任もないはずの彼が、何かを懇願するように氷兄に深く深く頭を下げていたから。

 いつものごとく、彼は筆記で伝えていたようなので具体的な内容までは分からない。それでも……その懇願ねがいが誰のためかなんて、流石に確認するまでもない。こんなどうしようもない身勝手なあたしのために、彼はあんなにも真摯に――


 ……うん、分かってる。矛盾も甚だしいって。それでも……そんな彼の姿に、胸がじわりと熱を帯びていくのを自覚しないわけにはいかなくて。 



『まあ、個人的には『お前に夏乃は渡さない!』――みたいに言われる展開を期待していたんだけど……でもまあ、やっぱり良い子だね、朝陽あさひくんは』

「……うん」


 そう、楽しそうな――それでいて暖かな声音で話す氷兄に対し、沁み沁みと同意を示すあたし。……あっ、同意っていうのはあくまで後半部分に関してであって……まあ、前半のような展開を全く期待してなかったかと言えば……うん、それは嘘になるけども。


 ……でも、流石にそんな展開はないかな。それは、もし彼が多少なりともあたしにそういう感情を抱いてくれているとしても、やはり事情は同じで――


 だって――彼は、どうあっても自分を優先できない人だから。だから、自分の気持ちを押し殺してでもあたしの気持ちを――あたしの幸せを、一番に優先してくれる。


 だけど……だったら、あたしのすべきことは単純明快――ただ、ありのままの想いを素直に伝えればいい。そうすれば、きっと彼はあたしの望む答えを返してくれるから。


 ……でも、それはしないと決めている。自分でも、ずるいなとは思う。それでも……あたしの気持ちじゃなく、きちんと彼が自分の気持ちを一番に優先した上で、あたしの気持ちを受け入れてほしい。そして、そのためには――



「――でも、心配しないで氷兄。誰かの幸せとか、誰かを傷つけるとか心配する余裕なんてなくなるくらい――いつか、あたしのことを好きになってもらうから」



 ――だから……覚悟しててね、朝陽?

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