二章 皇女と魔王の取引

「ここは? 随分とセンスのいい部屋ね」


 感心をにじませて、目の前のロカウェルにそう聞くフォルティナ。


「俺の自室だ。ゆっくり話がしたいんだろう?」

「ええ、本当に、有り難う。正直、賭けだったのよ」

「ほお、それは俺などに、その尊い命を賭けるほどの話か?」


 フォルティナの首元の二つの赤い線を整えられた鋭い爪でなぞるロカウェル。

 こく、とその喉がかすかになった。


「痛いわ。それに転移をするのにわたくしを抱きしめる必要などあったかしら?」

「知っているだろう。転移は近いほどやりやすい」

「貴方ほどの魔法でそこまでくっつく必要はないことなら知っていてよ」

「話をそらすな、フォルティナ」


 ロカウェルの低く押し殺した声が、部屋に反響する。

 和やかに話をしていたはずの二人だが、ぴり、とした空気が走るとともにフォルティナの笑みが凍り付く。

 その首には、先ほどまで撫でていたはずのロカウェルの指がかざされていた。


「なあに? 雑談はもうおしまい? なら本題にはいりましょ……」

「話をそらすな、と言っている」


 気丈に返したフォルティナだが、その背筋には冷や汗が伝っていた。

 強張っていた体の力を抜くと、同時にため息をつく。


「どうせ死ぬ命よ」


 端的に告げたフォルティナの目は何を言わせるのだというような、冷酷な光で染められていた。


「だがここで死んだら意味がないだろう。むしろ状況は悪化する」

「同じよ。じわじわと死ぬか、ここで死ぬか。どのみちわたくしが欠ければもうフォルテナに希望はないわ。そして、のうのうと生き延びたところで希望は微かなものにすぎない。フォルテナだけではもう無理。これは、わたくしとフォルテナの五貴人が出した判断よ」

「だから俺のところに来たと?」

「ええ。……魔族は欲に忠実だと聞いたから」

「ほお」

「生きたいという欲があれば……協力してくださるかもと思いまして。それに……、お隣ですものね? フォルテナが侵食されれば第一に被害がでるのは貴方がたディスピアルですもの」

「ほお……、なかなかよくできた誘い文句だ」


 フォルティナの首にかざされていた指が揺らめく、首を一回り冷気が覆うと、次の瞬間には鋭い刃へと姿を変えていた。

 ところがフォルティナは、先ほどよりは余裕そうに口元に微かな笑みを浮かべていた。


「だが、何故俺がこのような小娘に従わなければならない?」

「従う……、いいえ、お願いよ。魔王様」

「お願い、お願いとな! ははは、小娘、フォルティナ、貴様は面白いな。フォルテナの皇女が、ディスピアルの王にお願いだと? それが通るとでも?」


 フォルティナの首から少し指先をずらして、顎に軽く触れ、上を向かせる。ロカウェルは口づけをしそうなほどの距離まで顔を近づけ、黒の中に金の虹彩が鮮やかに光る瞳でフォルティナを睨みつけた。

 魔力さえこもったその威圧に微塵も怯むことはなくフォルティナは口を開いた。


「わたくし、知っていてよ」

「何をだ?」

「今現在、いちばん呪に侵食されているのはディスピアルの民であることを」

「ほお」

「それから、魔族は呪と非常に相性が悪いことも。倒せないんですものね、相当強い方でないと」

「呪を利用した戦争でも仕掛ける気かと問いたくなるな」


 実質、肯定を表す言葉を聞いて、フォルティナは満足そうにうなずいた。


「わたくし、そんなことをするほど馬鹿じゃないわ、失礼ね。ちゃんと魔王様に頷いてもらえるようにちゃんとお勉強してきたんだもの」

「言ってみろ」

「フォルテナの国の民は、世界的に見ても呪への抵抗力が高いのよ。フォルテナがずっと最前線で持ちこたえているのはそのせいね」

「なるほどな」

「問題はこのあとよ。フォルテナの国の民は、どういう定義になっているのかしら? って思ったの」

「フォルテナ出身か、それともフォルテナ在住か、みたいな話か?」

「ええ、そうよ。結論から言うと面白いことに、同盟国、まで含まれるみたいよ。いくつもの文献がそう示している。間違いはないでしょうね」

「世界樹の加護みたいだな」

「実際近いのでしょうね。どうしてこんな加護が生まれたのか知らないけれど。まるで、この世界はこうあるべきであるかのような」


 二人の瞳の奥で、嘘か真か、感情の読みあいが激しく行われていた。

 フォルティナは伝えたかったことを最後まで喋りきると、ロカウェルの真剣な瞳から逃れるように目を伏せた。


「なるほどな」


 深く思案するような、重い声を静かに受け止めたフォルティナは今度は、自分から強くロカウェルの瞳を覗き込む。


「もう一度問うわ。わたくしの、フォルテナの手を取る気はあって? 見返りにわたくしたちは可能な限りディスピアルの民を侵食から守りましょう」

「聞くが、この話は、フォルティナ、貴様が直々に話に来るようなことか? こんなにも危険をおかして」


 いつぞやの手つきと異なり、フォルティナの傷ついた首筋を優しく、触れるか触れないかほどの柔らかさで撫でるロカウェル。

 それに、とロカウェルは続けた。


「震えている。怖いのではないか?」

「愚問ね。わたくしは、フォルティナ・フォルテナ。フォルテナの皇女にして現執政者。国の、命をかけた取引ですもの。わたくし以外に適任はいなくてよ。故に、これは怖さじゃなくて……、武者震いというものよ」

「そうか。随分と勇敢な皇女殿だ。……ここまで断る理由のない取引を、それも皇女殿が持ってきたのであれば、なおさら断るわけにもいくまい。その話、お請けしよう」

「よろしいの? ……後になって撤回なさらないでくださいましね?」

「ああ。だが、今日はもう遅いだろう。詳しいことは、今度にしよう。……、フォルティナ」


 ロカウェルの顔が取引の話をしているときよりも、真剣味をおびる。虚をつかれたフォルティナ、さらに大事な話はあったかしら、と首を傾げた。


「なにかしら?」

「怖い思いをさせて悪かった。それから……、傷をつけたことも」

「あら、そんなこと。もとより覚悟してきたもの。どうってことないわ」

「詫びる隙すらくれないとはな。まあいい、謝罪といってはなんだが、今日は俺が送ろう」

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