ビューティフル・ブラック

泡森なつ

第1話 クリスマス

 十二月二十五日、夕刻。

 世間は週の真ん中。いつもならそれは憂鬱な平日の一日に過ぎなかったが、この日だけはカップルまたは幼い子供にとって心躍る、とても大切な一日だった。

 ――今日はクリスマスだ。


 寒空の下を駆け回る小学生たちを横目に、我が子が門限を守ってきちんと帰っているか、今晩の妻の手料理はどんなものだろうかと考えを巡らせた。暖かい家庭が待っている。過去の自分からは到底考えられないほどの満ち足りた一日が、今日も終わって明日も始まる。俺は思わず頬を緩ませた。




かおる……?」

 玄関を開ける。暗い廊下の奥から水滴のしたたる音が聞こえる。

 そこには血まみれの我が子が、こちらを見つめて立っていた。

 足元に倒れているのは、腹から血を流す妻、結奈ゆいなの姿。苦しそうに俺を見つめ、弱弱しく何かを呟いている。


「真白、さん……」

「強盗か、何があったんだ! 薫、お前も怪我をしてるのか!」

 靴を脱ぐ暇もなく、俺は廊下の奥へと駆けだす。

 しかし次の瞬間。背筋に悪寒が走り、本能が危機を叫んだ。

 だが、それを感じた頃には遅かった。

「真白さん、逃げてっ……!」

「……は」


 遅かったのだ、何もかも。

 腹部が熱く燃えるようだった。瞬きの間に視界が真っ赤に染まった。目の前には我が子、佐倉薫が立っていた。

 体温が急激に下がっている。地面の位置がおかしい。自分が今まさに倒れているのだと気付く。そばに立つ薫が、血をまとわせた包丁をこちらに向けている。

 何故、どうして、何があった。沸き立つ疑問をよそに、俺は彼の瞳を見た。

 我が息子ながらに美しいその真っ黒な双眸からは、底知れぬ恐怖が顔を覗かせていた。




 固いベッドが軋む。リノリウムの床を鳴らす何者かが居る。男は自分が病室にいることに気が付いた。

「……またか」


 悪夢から目覚め、しわがれた寝起きの喉で呟く。

 時刻は朝の六時半。時間まで猶予はあるが、とても二度寝をする気分にはなれなかった。

 男は頭をガシガシと掻きながら、ふらついた足で洗面器に向かう。

 寝惚けた眼をこすると、そこには黒髪の美少年が立っていた。端正で大人しい顔立ちと、艶やかなキューティクルの黒髪を携えた絶世の美少年。夢で見たあの子供と似ている。それが自分の姿だと認識するまでに数秒の時間を要する。

 ――だが、相変わらず不愛想な顔つきは変わらない。


「気に入ってくれたかい。かつての姿は」

 鏡の外から、金髪の少年が現れた。かたわらに寄り添い、なまめかしく彼の頬を撫でる。金髪少年の皮膚は至るところが縫い目で覆われていた。

 そのあたかもフランケンシュタインのような出で立ちはとても美しいとは言えない。継ぎ接ぎだらけの皮膚は見るだけで痛々しい。しかし、男の狂気の試行錯誤が黒髪の彼を絶世の美少年に仕立て上げたのもまた事実だった。


「再現度が高すぎて気味が悪いよ、ドクターペド」

「当然。『美少年』だった時の君の姿は、この俺様が毛の一本に至るまで完璧に覚えているからな」

「……訴えたら勝てそうだ」

「時効だよ。何年前の話だと思ってるんだ」

 ドクターペド――継ぎ接ぎ少年のいやらしい手つきを払い、黒髪の彼は身支度を始める。目指すは敵地、携えるはたった一つの武器だけだ。


「ああ、そうだ。潜入するなら偽名も必要だろ。ええと、確か名前は……」

「抜かりない。既に決めてあるさ」

 かつての名を思い浮かべ、黒き美少年は呟いた。

「――犬上真黒いぬがみまぐろだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る