ドッペルゲンガーが死んだ

紙白

ドッペルゲンガーの死体

「急にご連絡して申し訳ありません。」

「いえ、気にされないでください。それで、話とは?」

目の前に座っている男はもとより小柄だが、緊張しているのかさらに小さく見える。ウェブライターとして何度も取材をしてきたがここまで弱気な人は初めてかもしれない。

「ええと、どこから話せばいいのか…」

口ごもりなかなか話そうとしない依頼人に、これは長くなりそうだな、と一口コーヒーを啜る。相手も私に合わせコーヒーを飲んだが苦がったのか思い切り顔を顰めた。私は何も言わず砂糖を差し出す。「ああ、すみません。」と消え入りそうな声が聞こえた。

「ゆっくりで構いません、あったことを教えていただけますか?」

笑顔でそう言うと相手は眉間の皺をさらに深くし、真面目な顔でそろそろと口を開いた。

「ドッペルゲンガーって信じますか?」

ドッペルゲンガー?私は拍子抜けした。あんなに話すことを悩んでいたので、てっきりもっと重たい話だと身構えていた。気持ちが顔に現れていたようで、男は慌ててしきりに謝り始める。

「おかしな話をしてしまいました。すいません。」

「ああ、いや気になさらず。続けてください。」

私がそう言うと居心地悪そうに続きを話し始めた。

「いや、僕の知人の話なんですけどね。ドッペルゲンガーがいるって。彼の怖がり方があまりに異様で、有名なオカルトルポライターのあなたなら何かご存知ではないだろうかと相談した次第です。」

知人の話の時は大抵自分の話だ。現に男の額には脂汗が滲んでいるし、心なしか顔色も悪い。

「その、どういった状況なんです?」

「信じていただけないかもしれないんですが、知人が生きているんですけど死んだ…みたいな。」

「え?」

「朝起きたら真横に自分の死体があったらしいんです。初めは幻覚かと思ったらしいのですが触れるし、マネキンにしてはあまりに肌とか色々と精巧すぎるんです。警察に通報するにしてもなんて言ったらいいのかわからなくて。」

「ドッペルゲンガーの死体はいつからあるんです?」

「かれこれ3日前から…」

今は冬といえど死体を3日も放置していたら腐っているだろう。これは幻覚の線も濃くなってきたな。本当だったら事件だし、幻覚だとしてもこの件、関わらない方がいいと直感が告げる。しかし、こういうことには目がないため興味がないといえば嘘になる。

 しばらく2人の間に沈黙が流れる。男の気まずそうな態度も相変わらずだ。すると、男がポツンと呟いた。

「僕、見たんです。実際に。」

実際に見た?死体を?この話本当なのか。ライターとしての興味がむくむくと膨らみ始める。ふと、男の方に顔を向けるともとより悪かった顔色はさらに血の色がなくなり真っ白だ。思わず「大丈夫ですか?」と声をかけようとしたとき、男が涙目で

「見たんです。僕の死体を!」

そう、叫ぶように言い放った。あまり人のいない喫茶店で良かった。完全に頭のおかしな会話でしかない。それにしてもなんだって?自分の死体を見た?死体は知人の顔をしていたんじゃなかったのか?

「落ち着いてください、そこにあるのはお知り合いの死体ではなかったのですか?」

泣きたいのはこっちだ。この男完全におかしいやつではないか。

「僕も最初はそう聞いてたから様子を見にいったのに、行ったらその死体まるっきり僕とおんなじ顔をしていたんだ!」

興奮して、目が血走っている。刺激しないように真剣に聞くふりをするが、頭の中はこの話をどう切り上げるかでいっぱいだ。

「やはり、死体であることは変わりないんですし一度警察に相談された方が…」

と言いかけたところで遮るように

「僕と一緒に来ていただけませんか?その知人の家に」

「へ?」

思わず腑抜けた声が出る。そうきたか、と思わず頭を抱えたくなる。こう言うタイプは言い出すと人の話を聞かない。もう仕方ない一度は受けた話だ。気になっているのも事実だし嘘か本当か見にいこうではないか。

「…分かりました。それでは行きましょう。」

カップに残ったコーヒを一気に飲み干し私は勢いよく立ち上がった。


 中年男性2人で真昼間から住宅街を歩いていると、かなり浮く。コラージュ写真のような違和感を自分でもひしひしと感じながら死体のある家へと向かう。初めは重たかった足取りも、どんな記事に落とし込むか考えるうちに少しワクワクしてきた。よく考えてみたらドッペルゲンガーの死体なんて前代未聞ではないか。これは伸びるぞ。とマスクの下でニマニマしているうちに、

「ここです。」

という声で我に帰った。そこにあったのは、オカルト系には珍しいかなり高そうなマンション。そういえば歩いてきた住宅街も良さそうな家が立ち並んでいた。エントランスで家のロックを解除する。えらく慣れた手つきだ。本当にここは知人宅なのか?不審に思いながらもマンションの中に入る。部屋の前につき、男が震えた手でドアノブを回す。ガチャリという音と共にまず飛び込んできたのは死体がある家とは思えない小綺麗な玄関。男は、ずかずかと部屋に入っていった。あとを追うように私も部屋に入る。リビングに入って私は目を疑った。全く生活感がない部屋にシートにくるまれた大きな何かがごろんと転がっている。これかドッペルゲンガーの死体とやらは。

「これ、開けてもよろしいですか?」

声の高揚が抑えられず、思わず声がうわずる。本当にあるとは思っていなかった。男に目を向けると構わずやってくれと言わんばかりにこちらを見ずうなづき続ける。ソワソワしながらシートを開けると、そこには私とよく似た顔があった。手がとまる。話と違うじゃないか。何で私が死体になっている。うっかり手が体に触れた瞬間、思わず悲鳴をあげそうになった。まだ、生きている。生暖かい皮膚の感覚に鳥肌が止まらない。背中に冷たい汗が伝い、動悸がしてくる。男の方を見ると、何かぶつぶつ呟いている。すると、いきなり喚きながら部屋を飛び出して行った。まずい、と思い

「おい!待て!!」

と叫んだが、もう遅く部屋のドアは無情にもガチャリと音を立てて閉まってしまった。このまま誰かが来たら私は確実に犯人にされてしまう。一刻も早く逃げなければ、と立ちあがろうとしたとき何かが足首を掴んだ。ギョッとして足元を見る。私が足首を掴み血走った目で私を睨んでいる。頭が真っ白になり、体が熱くなる。恐怖と興奮が混じると人間正気を保っていられない。私は私に似た何かに拳を打ち込んだ。一瞬手が緩む。その隙に台所にあった空の酒瓶を掴み私に振りかざした。ゴッという音と共に硬いものにぶつかり瓶が沈み込む嫌な感覚が腕に伝わってくる。完全に手が足首から離れたのを感じ転がるように部屋を飛び出した。数キロほど走ったのか冷たい空気で肺が痛くなり、ようやく正気に戻る。気がつけば知らない街を歩いていた。手にはまだあの嫌な感覚が染み付いている。これは記事どころではない。あの男、騙しやがったのか。クソっ。アスファルトのかけらを目一杯蹴り飛ばす。しかし、あれは一体何だったんだ。嫌なタイプのオカルトだったな。と思いながら知らない街を歩いた。


 1ヶ月ほど経ち私はあのドッペルゲンガーの事件を記事にしようと構想を練っていた。あの時は全くそんな気分にはなれなかったが、やっぱりオカルトの当事者になれるというかなりのレアケース。記事にしない手はない。どう書こうかと、パソコンと睨めっこしていたがなかなか良い書き出しが思い浮かばずテレビをつけた。そこにはマンションで死体が見つかったというニュースが流れていた。ぼうっと眺めていると現場として映し出されたマンションに見覚えがあった。あの時のマンションだ。おい、あれは本物の人間だったっていうのか?

 さらに被害者の名前を見て全身が凍りついた。

「は…?」

ニュースの中では私が死んだことになっていた。被害者の顔写真は紛れもなく私の写真だ。何かの間違いではとネットニュースを検索しても、出てくる個人情報全て私のものだ。鼓動が速くなり、呼吸がうまくできなくなる。あの男は一体誰を殺しかけたんだ?そして私は私にとどめを刺したって言うのか?思考が飛散し全く頭が回らない。何もわからない。私はソファにフラフラと腰掛けた。テレビの中に映る画面は実感があまりに実感が湧かずどうしても他人事にしか思えなかった。

 これからどうしよう。私は死んでしまったらしい。私は誰になってしまったんだろう。テレビの画面ををぼんやり眺め全てを放棄し目を閉じた。嘘であってくれと願わずにはいられなかった。

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