永遠のカデンツァ
蒼月 涼
第1話「運命のソナタ」
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暗闇が支配するコンサートホール。その静寂を引き裂くように、重い音が響いた。舞台中央のグランドピアノ。その前に膝をつき、奏多(そうた)は震える手で鍵盤を見つめていた。
「これで、本当に終わるのか...?」
観客席は見渡す限りの闇。人の気配はない。しかし、舞台袖から足音が近づいてきた。その音が止まり、視線を感じた瞬間、奏多は顔を上げた。
「どうして...ここに?」
彼の前に立っていたのは、一人の女性。透き通るような白いドレスを纏い、微笑んでいる。しかし、その瞳には深い悲しみが宿っていた。
「あなたが選ぶべき道を、最後にもう一度聞かせて。」
女性の声が空気を震わせた。奏多は答えを探すように、震える手でポケットを探る。そこから取り出した一枚の紙。それを見た瞬間、すべての記憶が鮮明に蘇った。
「俺は...」
言葉を発した瞬間、彼の視界は白い光に包まれた。
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深夜、静寂が支配するホールの片隅で、奏多は一人、グランドピアノの前に座っていた。月明かりがその横顔を優しく照らし、彼の奏でる音だけが部屋に響いている。
奏多は、若手クラシック音楽家として注目を集める存在だった。その音楽には情熱が宿り、技術も非の打ち所がない。しかし、彼の心には常に何か満たされない思いが残っていた。
その原因は、未完成のソナタだった。彼が情熱を注ぎ込んできたその曲は、いつも途中で途切れ、どれだけ時間をかけても最後の一音が見つからない。彼の頭には、幼少期からの記憶が走馬灯のようによぎる。
両親は音楽家であり、奏多にとって音楽は人生そのものだった。幼い頃、母親がピアノを弾く姿に憧れて、自らも鍵盤に向かうようになった。しかし、彼が本当に音楽に没頭するきっかけとなったのは、彼が10代の頃に出会った初恋の相手、彩音(あやね)の存在だった。
彩音はヴァイオリニストとして将来を期待されていた。二人は同じ音楽学校で切磋琢磨しながら成長していった。彼女の演奏には、奏多にはない自由さと情熱があり、奏多はいつしかその音色に惹かれるようになった。しかし、彩音はある日突然、奏多の前から姿を消してしまった。その理由は、いまだに奏多の中で謎のままだった。
「また、あの夢か...」
奏多は思い出の中にいる自分を追いかけるように指を動かし、未完成のソナタを弾き始めた。鍵盤に触れるたび、彩音との思い出が蘇る。彼女の笑顔、共に奏でた音楽、そして別れの日。胸の奥に痛みが走る。
「この曲を完成させなければ、前に進めない...」
彼はそう呟くと、深く息を吸い込み、鍵盤に再び指を置いた。その瞬間、ピアノの内部から不思議な音が響き渡った。それは、どこか遠い記憶の奥底から引き出されたような音色だった。まるで水面に小石を落とした時の波紋のように広がり、部屋中に満ちていった。
「なんだ...この音は?」
視界が次第にぼやけ、周囲の景色が変わっていく。次に目を開けたとき、奏多は見知らぬ場所に立っていた。周囲を見渡すと、そこは古びた石造りのホールだった。天井には豪華なシャンデリアが下がり、観客席には19世紀の衣装を身にまとった人々が並んでいる。
「ここはどこだ...?」
奏多は戸惑いながらも、目の前のピアノに導かれるように近づいた。見知らぬ場所と異なる時代に対する恐怖と同時に、その場に漂う荘厳な雰囲気に飲み込まれるようだった。ピアノの前に座るよう促されると、自然と腰を下ろし、手を鍵盤に置いた。
その瞬間、彼の脳内に鮮明なメロディーが流れ込んできた。それは、未完成のソナタの最後の一部のようだった。指がそのメロディーを追うように動き、彼は衝動的に演奏を始めた。
演奏が終わると、ホール中が拍手喝采に包まれた。その音に包まれる中、一人の女性が観客席から立ち上がった。彼女は彩音に似ていたが、どこか異なる雰囲気を纏っていた。彼女は舞台の端まで歩み寄り、奏多に向かって微笑みかけた。
「この曲に込められた秘密を解いてください。それが、すべてを繋ぐ鍵です。」
彼女の言葉は謎めいていたが、どこか懐かしさを感じさせた。彼女は小さな手紙を奏多のポケットに差し込み、そっと彼の耳元で囁いた。
「まだ戻るべき場所があるはずです。」
奏多は彼女の言葉に何かを感じながらも、頭の中が混乱していた。しかし、この出来事が自分にとってただの夢や幻想ではないことを本能的に理解していた。
彼の新たな旅が、ここから始まる――。
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