第2話 町一番の喧嘩娘

——阿州の鬼小町。愛鐘がそう呼ばれるようになったのは、彼女がまだ十歳の頃だ。


 戦後百周年の安寧を迎えた日本は、今や移民至上主義の時代。


 少子高齢化による労働力の低下や、それに伴う経済と文明の衰退。これらを解決すべく現行政府は手厚い外国人優遇政策を開始した。中でも一躍世論を騒がせたのが〝国費外国人留学生制度〟。一人当たり十四万もの支援金を、国の税金から外国人留学生へと支出。加えて往復分の航空券と教材費、授業料を別途で支給するなど、日本の未来を担う移民に、政府は寛大な対応を見せた。


 他にも、経済循環のため、観光客への渡航費や宿泊費の減額を国をあげて実行。


 国内の在留に限らずとも、現日本は他国へ多額の支援金を贈り、広い懐をアピールした。


 しかし、移民が多くなれば、それだけ国内秩序は乱れていく。高い民度と規範性を持つ日本だからこそ、そんな治安の悪化はより顕著に現れた。


 昔から喧嘩に明け暮れていた愛鐘の猛威はこれを機に肥大化。素行の悪い連中を見つけては、日本人であれ異人であれ有無を言わさず叩き伏せた。


 元々月岡家は長崎県島原市に居を構えていた元氏族——つまり武家だ。ゆえに産まれた子は皆幼くして、剣術や体術を基本とした様々な武術をたしなめる。ことに愛鐘はその才覚に富み、男顔負けの実力を身につけた。


 傍若無人は言うに及ばず、粗野で荒くれ者。見てくれの白き美貌はただの見かけ倒し。


 口より先に手が出る性質たちで、狼藉を働く不貞浪者には有無を言わさず殴り掛かる残念な美少女。そこに慈悲や道徳心といったおよそ常人的な感情は持ち合わせておらず、蛮行を働く者であれば見境なく制裁を加えた。——それが、この徳島県鳴門市に転住してからも変わることはなく〝鬼小町〟という異名はここで名付けられたのだ。


「——月岡愛鐘です。よろしゅうお願いします」


 小学四年生にして転校し、慣れない環境下での生活が始まった、まさにその初日——。一限目を終えた休み時間に、ある男子生徒三人が彼女に言い寄った。

 真ん中のリーダー的存在感を放つのは岡庭といった。


「よぉ月岡ぁ〜。なんで髪の毛白いんだよぉ。老いるにはちと早過ぎやしねぇか?」

「へへへババアだババア‼︎ 本物のロリババアだぁ‼︎」


 左隣の男は山田といった。

 最初は、愛鐘も寛容に見過ごすつもりだった。

 しかし——。


「おい! 聴こえてんのかよ‼︎ 聴覚まで老いてんのか⁈ なァ‼︎」


 岡庭は愛鐘の繻子のように艶やかな銀髪を引っ張り出し、乱暴を働いたのだ。

 ここで堪忍袋の尾が切れた愛鐘は岡庭の手を払いのけ——、


「あ? ンだよ」


 鉛筆を握ったままの拳を彼の顎に思いっきり撃ち込んだ。

 鈍い衝撃音が教室一帯に鳴り響き、倒れ込んだ岡庭の体が、立ち並んでいた机や椅子を無作為に転倒させた。

 撃たれた顎から血が滴り、真っ青に染まる彼の形相。

 左隣に居た山田は一瞬唖然とするも、敵討ちのつもりか愛鐘に殴り掛かった。


「なにしやがるババア‼︎」


 撃ち放たれる右拳。愛鐘はそれを左手でさばき、その肘の内側に自身の右手首を引っ掛けて重心を崩す。すると呆気なく、山田の肉体が床に沈み込んだ。

 あとは単純だ。

 横転した山田の顔面を何度も何度も何度も踏みつけた。鼻の骨が折れるほどに——。

 粘り気のある鼻血が床を真っ赤に染めてもなお、愛鐘による一方的な蹂躙は続いた。

 終いには胸ぐらを掴んで山田の体を持ち上げ、その右頬に重い一撃を放ってシメとした。

 岡庭の右隣に居た高橋という男は、恐怖に慄き逃げ去った。

 言うに及ばず、岡庭は早退。山田は病院に搬送された。

 転校初日にして、二限目を丸々教頭先生による説教に費やした愛鐘は、その後、三限目の歴史を受講した。


「——えぇ〜、幕末維新においてのキーパーソン。敵対していた薩摩と長州をチュッチュさせちゃった坂本龍馬は、その後、日本初の商社である『亀山社中』を設立し、勝海舟と共にまぁよくも悪くも武器商人やってたわけですわ。んでコイツ、北辰一刀流と呼ばれるこの時代でチョ〜有名で大人気な剣術流派を極めていてな、そこで出会った『千葉佐奈』通称『千葉の鬼小町』とまぁ良い恋仲にあったそうな。この女がエラい強くてな〜、男顔負けの豪剣だったらしいぜ。けどどういうわけか、実際に婚姻を結んだのは『楢崎ならさきりょう』とかいう死んだ魚のような目をした女なんすわ」

「せんせ〜。なんでそんな昔のことが分かるんですか〜?」

「色々と文献や記録が残ってんだよ。この二人に関しちゃ、当時の宇和島藩の……八代目だったかな? ——の、伊達だて宗城むねなりっちゅう人が事細かに記録しとったんよ。今の愛媛県の一部を支配してた伊達政宗の子孫な」

「伊達政宗は仙台でしょ?」

「あぁ〜色々あんだよ。みんなは知らなくて良いからな。話すと教育委員会がクソうるせぇから……」


 先生がそんな昔話を語ってしまったばかりに、愛鐘のあだ名が決まってしまったのだ。

 廊下を歩けば——。


「うわ……あの岡庭をぶっ潰した鬼女!」

「アイツみてぇなのを鬼小町って言うんだろ?」

「や〜い徳島の鬼小町だ〜」


 ——これが、鬼小町の原点。


 転校初日にして暴力沙汰を起こし、見事に問題児としての汚名を着た愛鐘。友達など、もはや望むべくもなかったが、一週間もすると声を掛けてくれる人がいた。


「——あ! あの! 月岡……さん!」

「なに?」


 艶やかな濡羽色の髪をお下げに結いた、少しばかり地味な女の子だった。

 肩は内側に寄っていて、両手は胸の上に置かれ少し震え気味。足は内股でとにかく気が弱そうな少女だった。

 そして、わずかにすねや腕に痣が浮かんでいた。

 少女は、素朴な傍目を見せる愛鐘へ、緊張しつつも果断を装って言い放つ。


「わ、私に……強くなる方法を教えてください……‼︎」

「は?」

「……え、あ……いや、もちろん……イヤならイヤで良いんです……。私みたいなゴミと関わって、月岡さんの大切なお時間を取らせるわけにもいきませんから……」


 愛鐘の鬱陶しげな目に、少女はあたふたと狼狽えた。

 しかし、愛鐘はその様子をどこか微笑ましく思い、ゆっくりと歩み寄った。


「君、名前は?」

「……え、あ、えっと……、と、遠星とおじょう美海みなみ……です」

「美海ちゃんね。——私、今を変えたいと努力しようとする人は好きだよ。安全な鳥籠に閉じこもって文句ばかりいう雛鳥よりも、よっぽど勇敢だもん」


 あるいは、群れることしか脳のない猿よりも——。


「美海ちゃん。剣術に興味ある?」

「け、けんじゅつ?」

「ないなら、柔術とかの方がもっと身近で良いかも知れないけど……」

「い、いえ! つ、強くなれるのなら、なんでも……‼︎ 私、頑張ります!」

「——そう。じゃあおいで」


 さりげなく、愛鐘は美海の手を握って道場へと案内した。

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