太極の神子 ~ Lost archive ~

無銘

第1章 阿州の鬼小町

第1話 残念な美少女

 職員室から怒号が鳴り響いたのは、昼休みに入ってすぐの事だった。


「月岡アアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァッッ‼︎」


 麗らかな午後の一時ひととき

 陽気に弾む生徒達の音声は実に騒がしいものだが、不思議と校内に於いては、穏やかに聴こえる。例えるのなら、早朝に奏でられる小鳥のさえずりだ。騒々しいはずなのに、どこか落ち着く——それが一瞬、一際大きな咆哮によって真空と化した。


 言わずもがな、とある生徒が教員の説教を受けている真っ只中。だが、その生徒こそが問題なのだ。

 の容貌は、到底教員から切諌せっかんを受けるほど乱れているようには見えない。


 結論から言うと、彼女は美少女なのだ。とんでもなく美少女なのだ。はなはだしいくらいに美少女なのだ。千年に一度のアイドルなど容易く凌駕して余りあるほど、美少女なのだ。もはやこの星の寿命に一人の美少女だ。


 胸元まで伸びた銀色の髪をハーフアップに束ねており、頭上には編み込んだ髪でカチューシャを飾るなど極めて愛らしい。その毛色と言えば、美しいなんてことは言うまでもなく当然であり、透き通るような艶麗えんれいな光沢と、神秘的とさえ言えるほどの圧倒的存在感は、さながら女神——‼︎ 加えて、ハーフアップの結び目に飾られた青色の大きなリボンが、まだ成熟し切っていない高校生ならではの、童心的な愛くるしさを感じさせる。びんは細くしなやか伸び、目元で規則正しく整えられた前髪はシースルーに仕上げられている。


 端麗な顔立ちは、眉目びもく共に秀麗。毛束豊かな睫毛まつげに、つぶらな瞳が穏やかにけぶる。その様子は、闇夜に灯る清らかな月光と見紛みまがうほどだ。


 総体的に俯瞰した時、その風貌は御伽おとぎの国のお姫様を連想させる。あるいは、絶対完璧完成型優等生と言ったところだろう。そんな美少女が一体全体どのような不手際にさいなまれ、この少々毛が薄めの教頭の頭に、更なる追い討ちを掛けるに至ったのか——。


「——お前は、学校を何だと思ってるんだァッ‼︎ 毎日毎日平然と遅刻早退を繰り返し、あろうことか講義中は夢の中へとフルダイブ‼︎ 放課後になれば他校の生徒と喧嘩三昧‼︎ 昭和か——ッ‼︎ お前は昭和のヤンキーか——ッ‼︎ あらゆるデジタル化が進み、今ではソーシャルゲームが解決してくれる人の不念を、この令和二二年の時代に未だアナログをもちいて物理行使するなど言語道断ッ‼︎ 時代錯誤もいい加減にしろオォ——ッ‼︎」


 人差し指で耳穴を塞ぎ、教頭の怒声を拒絶する美少女——月岡愛鐘つきおかあかね、十六歳。何食わぬ顔で目前の般若はんにゃの音を遮断する。


 溜め込んだストレスを一通り出し切り、荒ぶる呼吸に整理をつける教頭。その汗ばんだ鬼の面に、愛鐘ははにかむように微笑み、——煽った。


「もぉ〜。そんなに怒ると頭皮がより鮮明になっちゃうよ?」


「——————ッ‼︎ ふざけるなアアァァ————ッッ‼︎ 阿波高あわこうの恥晒しがアァ——ッ‼︎ 翌る日も翌る日も、殺到する苦情の電話に頭を下げる私たちの身にもなれッ‼︎」

「電話で頭下げてどうするのよ……」

「黙れッ‼︎ 先日も——『お宅の生徒さんが、撫養町むやちょう立岩たていわにあるスーパーの駐車場で喧嘩してるんですけど、何とかしてくれませんかねぇ〜』などと電話が入り、いざ駆け付けてみれば、鳴二高なるにこうの生徒三人が倒れている状況で肝心のお前は既に逃走‼︎ ふざけるなッ‼︎」

「——ウソっ⁈ ま、まさか——ッ‼︎」


 何やら虚を突かれた様子の愛鐘。驚愕の相貌をあらわにし、衝撃のあまり一歩退いた。


「——教頭先生が、こんなにもモノマネが上手だっただなんて——っ‼︎ 知らなかったわ」


 わざとらしく芝居じみた驚きを見せつけ、果てには興味深そうにあごに指を立てた。


 そろそろ叫び疲れたのか、そんな愛鐘の様子に、教頭が再度咆哮することはなく、まだわずかに荒ぶる息の中、彼は愛鐘にさとす。


「〝阿州あしゅう鬼小町おにこまち〟などとおだてられ天狗になっているようだが、あれは蔑称だ。畏怖いふの念を込めて付けられた忌み名。月岡の令嬢にあるまじきお前の破滅的な人間性を呪った名だ。〝稀代きだい鬼子おにご〟——。こっちの方が万倍相応しいと俺は思っている」


 目前の醜女しこめから目を伏せ、自身の席へと腰を下ろす教頭。もはや目を合わせる事はせず、彼は卓上に散らばったプリントへ赤筆を走らせた。


「とりあえず今日はもう良い。相変わらず反省の色は見えないようだしな。帰りたければもう帰れ。やる気のない奴に時間をろうするほど、高校教師はお人好しじゃねぇ」


 その言葉を最後に、愛鐘は職員室から追い出された。

「………………」

 ——阿州の鬼小町。愛鐘がそう呼ばれるようになったのは、彼女がまだ十歳の頃だ。

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