3.2 都市伝説
「しかし、なんだってブリーフを盗むんだ? しかも路上で」
エイトオーが当然の疑問を口にすると、マスターはやはり静かな口調で答えた。
「さあ、私には皆目見当もつかないことですね。調査に影響が出るといけませんので、予断を挟むことも差し控えさせていただきますよ」
「……犯人の目的がなんであれ、これだけは言えるな。このクソ寒い外でブリーフを奪われるなんてことは、男の子たちのお腹にとって非常によくない、とても危険だ。場合によっては命に関わることもあるだろう。だから、そんなふざけた犯人は、なんとしても捕まえなくちゃならねえな」
「おっしゃる通りで」
二人の会話が終わったタイミングを見計らってか、入口ドアのカウベルが、カランコロンと音を立てた。
続いて店内に入ってくるのは、硬質で軽い足音。
マスターがちらりと
「ようこそいらっしゃいました、レディ」
レディと呼ばれた女性は右手を少しだけ挙げて挨拶を返し、そのままカツカツと音を立ててエイトオーに近寄る。
歩きながら豪奢な毛皮のコートを投げれば、それはふわりとハンガーにかかり、自身はふわりとエイトオーの隣に腰かけた。
「久しぶりね、エイトオー。あ、マスター、いつもの頂戴」
「かしこまりました」
「……ふん」
エイトオーからつれない返事を返された女性は、しかし、作り物のように整った顔と美しく長いブロンドの持ち主であった。
顔同様に美しいボディーラインを際立たせる深紅のイブニングドレスには、深いスリットが入り、スパンコールがふんだんに散りばめられている。
これからステージにでも立つような格好だが、彼女もまた財団が雇用した専業サンタクロースであり、
そんなことも知らず、目ざとく彼女を見つけた茶色の男たちは、波のように奇声を発し始め、わらわらとエイトオーに近寄ってきた。
「うひょー」
「オヤジ、この美人は誰っすか?」
「こんなべっぴんさんと知り合いとは、さすがオヤジだぜ!」
「おねーさん、名前を、是非名前を!」
「あらあら。エイトオー、この子たちが?」
「ああ、うちのトナカイどもだ。騒がしくてすまねえな」
トナカイども。茶系の迷彩柄のツナギを着た強面マッチョたちは、エイトオーの私設部隊トナカイフォースの隊員たちなのだ。もっともその関係性は、親子と呼んでも差し支えないほどに強固であり、エイトオーは個別にトナ太郎、トナ次郎、トナ三郎、トナ四郎、トナ五郎、ロクと名付けて可愛がっているのである。
「初めまして、トナカイさんたち。私はナインツー。エイトオーの昔馴染みよ。よろしくね」
「うおー! よろしくされたっす!」
「俺、ナインツーさんに一生ついていくっす!」
「姐さんの
「うっひょー、よろしくお願いします!」
「ナインツー姐さん、セクシーすぎるぜ……」
ウインクが添えられた挨拶に、トナカイたちは大興奮。
BARの中はもはや彼女の独壇場の様相であるが、
「お待たせしました。当店のオリジナルカクテル、チャーリーズヘヴンです。ごゆっくりどうぞ」
マスターがカウンターにリキュールをことりと置いたことによって、その喧騒は終わりを告げる。トナカイたちは立つなり座るなりして、エイトオーとナインツーの会話に聞き耳を立て始めたのだ。
再び落ち着きを取り戻した空間。炭酸混じりの赤と緑のリキュールが、カクテルグラスの中で陽炎のように揺らめく。その色は完全に分離しているようでいて、少しずつ溶け合う。
それが彼女の喉を一度通り過ぎたとき、エイトオーが声をかけた。
「酒を飲みにきただけってわけじゃねえだろう。何の用だ?」
「……あなたに会いたかったから、というのは駄目かしら」
「ぬかせ。お前はそういう性分じゃないだろう」
「あら、ひどい」
「で、何の用だ」
「つまらない男になったものね。……あなたが受けたオーダーに興味があってね、マスターに聞きにきただけよ」
「あわよくば自分が解決しようとしたと……いや、待て。どうしてお前がオーダーの内容を知っているんだ? あれは他の人間が見れるもんじゃないだろう?」
「それは企業秘密よ。いい女には秘密がつきものでしょう?」
「お前の場合は
「違うわよ。マスターに話を聞きにきただけって言ったじゃない。女の、それも私みたいな美人の話はよく聞くものよ」
「は! どの口が言うんだか」
「ふふ。それでマスター、例のブリーフ事件だけど、私にもオーダー以外のことを教えてくれないかしら? 噂話程度のことでもいいわ」
それを聞いたマスターは、ちらりとエイトオーに視線をやり、エイトオーは無言で
「最近、このヘヴンズコールを賑わせているブリーフ泥棒ですが、姿を見た者が誰一人としていないとか」
「路上で事に及んでいるのに?」
マスターの言に対するナインツーの疑問も尤もだ。
買い物をしたばかりのブリーフでも現に履いているブリーフでも、盗むとなればどうしても犯人は近寄らなければならない。何かしらの機械を遠隔操作して盗むにしても、その機械を見た者すらいない。
それは、どうにも不可思議なことである。
エイトオーとナインツーで揃って首をひねったところで、マスターから追加の噂話が聞かされた。それはもはや、都市伝説や与太話と呼んでも差し支えないものだった。
「なんでも、犯人は光の速さで動けるという噂ですよ」
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