幕間 - 2

 幕間② 見えぬ空ばく




 次の日の朝、一人美ひとみなぐは、学校の最寄り駅から二つ前の駅のホームに立っていた。

「やはり、高校生――いや、それ以外にも、とにかく人が多いね」

「当然と言えば当然かもですね。僕たちが降りる駅の周辺には、僕らの高校の他に公立高校がひとつと私立大学、いろんな企業が入ってるビルもありますから」

「これは、まつ子が一緒ではなくて、よかったかもしれないね」

「あ、僕も思いました。きっと圧し潰されちゃってますよ」

「だね。容易に想像がついてしまう」

 摩怜まあれは来ていない。

 前日、一人美が、空人くうとの気持ちを知るために(という建前で)、電車通学を提案したものの摩怜には断りを入れた。理由としては、(一度、高校の最寄り駅から二つ前の駅へと向かい、それから電車通学なんて意味不明なことをやって)彼女の母親にお悩み相談部の存在を不審がられては、摩怜の部員生命にかかわる危険性があったからだ。また、万が一、州凶乃時腔ツキョウノジクウに遭遇しようものなら、彼女が危険な目に遭うかもしれない。生命そのものにかかわる危険性もあるため、摩怜には断りを入れたのだった。本人はお悩み相談部として意気込んでいただけに、断るときは胸が張り裂けそうだった。

 黄色い線の内側に立つ和が、構内を見渡し、そこにいる人の数に、行列に、圧倒されている。

「――あ。」

 すると、改札口から構内へとやって来た空江そらえなると、その友達を見つけた。

 なるもまた和を見つけて、最初こそ電車通学ではない彼に驚きを示していたが、事情を察したように、気まずそうに笑みを作り、一礼をした。その後、友達から「なる、先頭車両の列が少ないみたいだよ」と言われるとともに、なる達は先頭車両の列へと向かっていった。

「あれが、空江なるさんだね」

 一人美が、和とのやり取りを察して言う。

 和が「はい」と首肯する。

「かわいらしい子だね。モデルさんみたいな顔立ちだ」

「実際、スカウトされたこともあるみたいです。さっき空江さんの隣にいた子が、去年僕のクラスにやってきて自慢していました。空江さんは恥ずかしそうに、そのお友達を教室の外に連れだしていましたけど」

「ふーん。あまり目立ちたい子でもないのか……」

 ――と、ジトーと横の和を見やる一人美。

「もしかして、親川おやかわくんもあの子をかわいいと思っているのかい?」

 和は、一人美の意図など知らずに、正直に答える。

「まあ、美人な方だなあ、とは思います」

「うん?」一人美は、和の言葉に嫉妬を抱くよりも先に、違和感を覚えた。「いまの親川くんの言い方、ひっかかるものがあるけど……、まさか嘘をついているのかい?」

「いえいえ、そんなことないですよ。というか僕、嘘をつくのは苦手です。僕をよく知ってくれているひとみ先輩なら知ってますよね?」

 な、なんだよ、その確認の仕方はぁ~。

「ぅぅ~……くっ……。――もちろん。私は、親川くんをよく知る九尾ここのお一人美だから知ってるさ」

 すぐにでも抱き締めたくなるようなことを言われて、こんなへんてこな返事をするので精一杯。

 しかし、現在、優等生モードの一人美はすぐに切り替える。

「悪かったよ。さっきの親川くんの言い草は、なにか裏があるような気がしたもので」

「あーそれは、僕が、空江さんの人柄をよく知らないからだと思います。去年はひとみ先輩と一緒に居たこともあって、それにしても人柄の見えない人だなーって」

「そっか。親川くんは、人の本性的なものを見破れるんだったね」

「あはは、要らない体質ですけどね……」

 そんな会話をしていると、空人を乗せた電車が到着。普段の空人を調べるという目的もあるため、和と一人美は、あえて彼の乗る駅とひとつ離れた駅へ訪れていたのだった。

「乗客数は、そこそこですね」和が、電車の中を眺めて言う。

「いやいや、これからさ」一人美が、後ろを一瞥して言った。

 扉が開いた。降車した人は数人程度。彼らが降りると、先頭の一人美と和が入っていく。乗務員室の扉に寄りかかる空人を見つけた。下を向いている。すでに、体調が悪いのかもしれない。それから高校生に、社会人、学生と、どんどん、どんどん入っていき、和と一人美は反対側の扉のほうへと押しやられていく。

 一人美が、反対側の扉に背をつけた。

 同時に、とさっ、と和が扉に両手をつける。

「お、親川くん――!?」

 一人美は思わず、普段、和に接する口調になってしまう。

 そんな彼女の目の前には、和のしゅっとした首筋が――。

 さらに接触し、押しつけられるは、和のリュックサック。

「あはは、すみません……。ひとの圧が、けっこうすごくて……」

「うひゃぁ……」

 斜め上――、まるで自分ひとみを封じ込めんと、顔を下にやる和が辛そうに頬を赤らめていた。

 おそらく、満員電車の中で、さらに無理やり人が詰め込まれ、和は後ろから強く押されているのだろう。しかし、一人美に負担がいかぬよう必死に耐えているらしかった。

「ふへぇーッ…………!」


(――ああッ、やばいやばいよ!

 ボクを守るために体を張って辛そうにする和くんの顔が、なんかいいッ!

 ていうか、和くんが近すぎて、息が掛かってないか心配で呼吸がしづらいよぉ~!

 いや、そのせいで!

 それに、ふたつのリュックサックを押しつけられるせいで!

 胸が圧迫されて、ヘンな気持ちになっちゃってる!

 胸が膨らむ! 高鳴っちゃって! 躍り弾んで張りまくる!


 鼓動が、ドクドクって、うるさあーいっ!


 ボクの胸を張り裂かんばかりに、激しくビートを刻む!

 凄まじくパルスを鳴らす!

 おかしくなっちゃう!

 ある意味地獄だぜ……ッ!

 この状態を維持とか、地獄じゃあないか!

 次の駅に着いた。あと一駅、もう一駅だ!

 あともう一駅で、この時間が終わっちゃうんだ……!

 ああっ、和くんがさらにきつそうに汗を垂らして、それでも笑顔を忘れず踏ん張っている!

 なんか、もうエロじゃん! エッチじゃん! エロなぐじゃん! エッチなぐじゃん!

 てかてか和くん、耐えられなくなってきたのか、ボクに体を押しつけてきちゃったよお!

 おいお~い和く~ん、それは大胆だぜ~? 不敵じゃないかあ~!

 ああ、惜しい! リュックサックが無ければ密着できたのに!

 てか、本当に押しつけてくる。

 ちょっと、そろそろ痛いかも……。

 でも、せっかく和くんが顔を真っ赤にさせて、守ってくれているんだ。それを口にするのはもったいない――じゃなくて申し訳ない。

 でも、いい加減きつくなってきた。

 あーでも、……このままでもいいかも――ううん、このままがいいかも。

 はぁ~…………。

 ていうか――――)


「――ここ、時腔ジクウじゃないかよぉッ!」


 一人美は、我に返り、現実へと戻ってきた。

「うっ……、じ、時腔……?」和が、後ろからの圧を必死に耐えながら訊き返す。

「ああ。見てみろよ、窓の外。灰色だぜ」

「えっ…………?」

 和が、重たそうに顔を上げて窓を見る。

「あ、あぁ、本当……ですね……」

 他にも、座席の上の網棚には、何輪もの黒い菜の花が、茎を千切りむしり取ったような悲惨な姿で混沌と放り置かれていた。

「なあ和くん! 彼は大丈夫かい!?」

 和で隠れて見えぬ空人の様子を、一人美は何とか見ようと試みながら訊ねた。

 和が、後ろを振り向く。「――う、うわぁ」と、情けない声を漏らして唖然とする。

 その後、顔を一人美のほうへ向き直して。

「あの、僕ら……狭間くん以外の乗客みんなが、窓のほうに押しつけられてるみたいです……」

「は?」と、いまいち掴めぬ状況に、一人美は、和の肩を掴んで背伸びをしてみた。

 意図せず、和の頬と自分ひとみの頬が触れ合う。

 和より身長の高い人が居なかったため、その光景がはっきり見えた。

 そこにあった光景は、和の言うとおり乗務員室の前で倒れている空人を除いて、他の乗客はもれなく全員、両側の窓のほうへと押しつけられていた。また、椅子がある箇所でも同様、椅子に座る人などなんのその、立っている人々が座る人を圧し潰していた。

 集積場で圧縮されたゴミ――この表現が、この場を表すのに最も的確かもしれない。

 けれど、真ん中――通路だけは、その車両の最後尾から先頭まで、がらんと空いていた。

 それはまるで、邪魔な人々を外側に押しつけ、ひとり真ん中に取り残された空人を、前の車両へ導かんとするように。

 一人美は背伸びをしたまま、和と視線を合わせた。

「和くん! おそらくボクらが感じているのは、ただの押し寄せる人の力だよ」

裏無之ウラナシの、力じゃ……、ないってことですか……?」

「ああ。裏無之の力は、個人差あれども一人ひとりに伴うものだろう。だから、ボク自身にも外側へ押される力が加わるはずなんだけど、ボクは和くんが守ってくれているのもあって、他の人より辛さを感じないていないと思う。本来なら、一番外側で最も力を受ける位置だろうボクが、だぜ?」

「じゃあ少なくとも、ひとみ先輩は……」

「ああ。この状況では和くんがどっちの力に抗っているか分からないから、そうなるけど、和くんは裏無意志うらないしと同じ作用のヤミを持っているんだ。和くんも例外じゃないと思う」

 州凶乃時腔にて発生する裏無之の力に抗う方法は、いくつかある。

 ひとつは、裏無意志をもつ人物の意志が、州凶乃時腔を発現させた人物の心のヤミ――すなわち、意思よりも強固なものであるとき。

 もうひとつは、州凶乃時腔を発現させた人物の心のヤミ(意思)よりも、さらに格段の深淵にある心のヤミ(意思)を抱いている場合だ。

 一人美が制服を纏ったまま、白狐の獣人みたいな――真っ白な狐の耳と、八つ尾の尻尾を生やした姿に変身。

「和くんも、あの尻尾か――あるいはさせておけ」

「わかり、ました……」

 一人美に指示された通り、和は濃紫こむらさきの尻尾を生やした。

「それじゃ、いくぜ……」

 一人美は、和の片腕を掴み、押し寄せる人の圧に抗って通路側へと歩み進める。

 一人美の予想通り、ふたりに働いていたのは、ただの人の押し寄せる力だけだった。人々の隙間をこじ開けて、無理やりその隙間を進んでいく。抗い続け、なんとか通路に出られた。

「狭間くん、大丈夫?」

 さっきまで一人美を守るために、とんでもない人の圧力に耐えていただろう和は、その疲労を披露することなく、乗務員室の扉の前で倒れている空人に駆け寄り声をかけた。

「……親川、くん……? だい、じょうぶ……。でもちょっと、気分が悪くて……」

「…………?」

 一人美は違和感を覚えた。狭間空人が、州凶乃時腔を発生させた人物とばかり思っていたが、それにしてはこの状況に彼自身が無責任というか、無関係そうに振舞っている。

 一人美は空いた通路に導かれるようにして、車両の先へ視線を移していった。

「――――!」

 思わず目を見開いた。

 一人美たちのいる車両の前の車両も、その前の車両も通路が切り開かれており、さらにその前の車両――先頭車両にて、黒から白へとグラデーションを彩った特徴的な髪色をした人物を発見。

「――和くん、カラスの野郎だ! あっちに行くぞ!」

 和が、一人美の言葉につられて先頭車両を眺め、目隠れの子を視認。

「ごめん、狭間くん。ここでもう少し待ってて。きっと夢みたいに終わるから」

「う、うん…………」

 そう言って、和はブレザーを脱ぐと、折り畳んで空人の頭の下に、枕代わりにそっと置いた。

 その後、ふたりは急いで先頭車両へ向かう。

「和くん! 混沌カラスのことだから、すぐにでもヤミを消滅させる! キミの――キミのヤミを使って、ひとまずこの状況を、顕現したヤミを発現者へと返してくれ!」

「ごめんなさい! は僕が発現者のことを知らないと使えないです!」

「ああ、そうだった!」

 一人美は、先頭車両に向かって叫ぶ。

「おい、カラス野郎! 待つんだ!」

 その呼び声に反応し、先頭車両の、操縦席の扉の前にいた笑星えぼしが振り返る。両はなから鼻血を流していた。また、左手には黒い短剣を、右手には緑の短剣を持っている。

 ふたりが先頭車両に到着。操縦席の扉の前――目線を下ろす笑星につられて視線を落とす。

「イタチ……?」

「ううん、これはフェレット」

 そこには、身体を丸めて、吊り目で瞑り、気持ちよさそうに眠っているフェレットが。

 そのフェレットの腹部辺りには、刃物で突き刺したような跡があった。けれど、血は流れていない。

「――おい!」

 と一人美が、笑星の胸ぐらを掴み、にらみつける。

「お前の仕業だろ!」

 笑星は、ぷいっと顔を背けて。

「さあね。小生しょうせい、登校するために電車に乗っていただけだから」

「ふざけやがって!」

 一人美が、どん! と、笑星を突き飛ばす。

「おっと」と、和がとっさに突き飛ばされた笑星を支えた。こんなときでも優しさを露見させる和に対して、一人美は、ふんっ! と勢いよく顔を逸らして苛立ちを抑える。

「ありがとう、和ちゃん」

 感謝を述べて、笑星は自力で立つ。

「もう終わったから、――ばいばい」

 そうやって淡淡単調に告げると、人々が圧縮された車両の扉の前を、まるで幽霊みたいにすり抜けて、閉ざされた扉であるにも関わらずそこさえもすり抜け、やがて時腔から姿を消した。

 彼女が去ると同時に、窓の外の景色が、黒と白の交ざり合うマーブル模様に変化する。また網棚に放置された、黒かった菜の花も明るい黄色に変化して、綺麗に整頓されていく。

「和くん……ボクらもここを出よう……」

 一人美が、悔しさを胸に畳み込み、冷静を装って和に告げる。

「……はい」

 和は返事をすると濃紫の尻尾を上へと伸ばして、先っぽが天井に触れると、ぐるりと大きな円を描いた――すると、そこに先の見えぬ真っ黒な穴が現れる。

 州凶乃時腔から出るためには、その時腔のヤミよりも強い裏無意志を具現化させて、それを時腔の壁に接触させて干渉における逆位相によって時腔を乗っ取るか、

 あるいは、その時腔のヤミよりも深い心のヤミを具現化させて、それを時腔の壁に接触させて干渉における同位相によって時腔を支配してしまうか、

 そのどちらかであった。和の場合、後者である。

「和くん、ボクのリュック――ありがとう」

 一人美は、自分のリュックサックを和に渡して、白狐の獣の姿に変身。

《――さあ乗れ》と、前後にリュックサックを負ぶる和に指示を出す。

 和が白狐に乗ると、彼の濃紫の尻尾が白狐の尻尾の一部になり、白狐は九尾になった。

 九尾の白狐が飛び上がる。

 その際、先頭車両の人の圧縮された群れから、「なる……、大丈夫、だよ……」と彼女の名前を呼ぶ――その声を、州凶乃時腔から立ち去ろうとする直前のふたりの耳に届いてきた。

「…………」

《…………。……いくぜ》

 胸糞の悪い、後味の悪い心の詰まりを一心不乱に堪えて、ふたりは時腔を後にした。

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