幕間 - 1
幕間① 春ぼうし
とんびの襲撃に遭い、マリンキャップを奪われた。
船で約一〇分のところにある、海湾に浮かぶ小さな島。
そこにあるアイランドパーク。
県内では行楽地として有名で、季節によっていろいろ色んな花々が咲いている。
菜の花、桜、
ここは、アスレチックが豊富でレストランもあって、一日居ても飽きることを知らない。
花畑のすぐ近くには芝の広場があって、よく団らん家族がピクニックをしている。
わたしは、そこから眺める、海と空と離島、そして花畑と、自然の揃う景色が大好きだった。
とくに、春になると花畑には無限に広がる、菜の花が咲き誇る。ひとつひとつはちょこんとしてかわいいのに、それが広大に咲いていると、なんか、偉大! って感じがして、すごくいい。
これは、そんな三月の下旬に起きた出来事。
今年も菜の花と自然の光景を見るために、芝の広場からその景色を眺めていた。
きれいだなあ、と見惚れていると、空から何者かが、ばざっとわたしの頭を襲撃、お気に入りのクリーム色のマリンキャップが誘拐された。
きゃあ! と情けない悲鳴とともに、とっさに頭を抑えたけれど遅かったみたい。
わたしの目線の先には、クリーム色のマリンキャップを
さすがに取り返すことはできないか、と悔しいながらも諦めかけた――そのときだった。
とんびが、マリンキャップを
空気抵抗と風圧を受けながら、私のマリンキャップはひらひら舞い落ちて――。
――ばふっと落ちた、彼のあたまに。
「――すみません。誘ってみたんですけど、昨晩あまり眠れなかったからって……」
「なんだよ、それ。部室のソファで寝てくれていいのに」
「はい、それも言ったんですけど、『そんなに気を遣ってくれなくていいよ』って……」
「まあ、そりゃそうだ」
「ご、ごめんね、
と身を縮め込むようにして、
「いえ、僕も、こすもさんと一緒に食べられたらいいな、と思っていたので」
和が「夜のバイト」発言をした次の日、水曜日――その昼休み。
部室には、弁当の匂いが立ち込めている。
「うーんっ! やっぱり、和くんの作る卵焼きは最高だぜッ!」
美味しそうに卵焼きを口に詰める一人美。
和は、ランチクロスを解きながら、「ありがとうございます……」と少々困った様子で感謝を述べる。おそらく、どんな料理にでも、「和くんの作る」が前置詞に来るから、本当においしいと思ってくれているのか不安なのだろう、摩怜はひそかに思った。
「あ、」
と一人美が、隣の摩怜を見て、
「そういえばさ、和くんのカレーを食べてほしいって、前に言ったでしょ? これは、カレーじゃないけど、和くんの作った卵焼きだからさ、ぜひ食べてみて! はい、あーん!」
箸で卵焼きを持ち上げ、摩怜の口まで運ぶ。
摩怜に拒否権はないようだった。摩怜は、あーんをする、その照れ臭さを含ませ、あぁーん、と小口を開ける。しかし、「これじゃ、食えないぜ」と一人美にもっと口を開けるよう促される。
摩怜は、やけになって、目をぎゅむッと瞑り、あーん! と大口を開けた。
卵焼きの香りが口の中に充満したのを感じて、あむっと口を閉じる。
もぐもぐ、もぐもぐ……。
ぱちっと目を開き、
「――うん! 和くんの卵焼き、すっごくおいしい……!」
このおいしさは、「和くんの」と前置詞がついても仕方ない。とにかくおいしかった。
「あはは、ありがとう、ございます……」
和が困ったように感謝を告げる。「あー、でも」と自身の弁当箱に入った卵焼きを食べて、呑み込み、
「これよりも、こすもさんの作った卵焼きのほうがおいしかったです」
「そんなに、おいしいんだ……」と、少し関心を含ませて返事をする摩怜。
「へーんだ! ボクは、和くんの卵焼きが至高だね!」と、大胆にムキになる一人美。
「僕、今度、こすもさんに卵焼きを教えてもらうことになっているんですけど、マーレ先輩も一緒にどうですか?」
「えっと……、その……」
和の提案に、摩怜は口ごもる。
この誘いが彼の優しさ由来だと、この数日彼と関わったことで理解しているつもりだ。しかし、摩怜は、へんに彼から気を遣われているような気がして、「もうちょっと、話せるようになってからがいいかな……」と断った。それに、もしも
SNSを通して、再び彼女と話せるようになったものの、まだ直接話すには躊躇があった。その躊躇とは、以前のように消極的なことが頭に過るからではなく、和がやけに気を回して機会を作ってくれているような気がして、それに対する申し訳なさがあった(摩怜は「申し訳なさ」と表現したが、彼女の真意を代弁するなら、和の優しさは「余計なお世話」であった)。
昼休みが終わり、午後の授業が終わり、あっという間に部活動の時間になった。
部室に三人が揃ってから少し経ったとき、お悩み相談部に相談者が現れた。
相談者は、細身に中背、眼鏡をかけた男子生徒。二年一組の
和がクリップボードやメモ用紙を準備して、摩怜がコーヒーを淹れたら、お悩み相談開始。
空人の悩みを要約するとこうだ。
『電車通学時に、いろんなことに気を遣いすぎて息苦しくなる』
もうすこし深入りするなら、電車通学の空人が乗る電車は、いつも満員らしい。空人が乗る駅に電車が到着したときには、すでに満席で、ふだん彼は最後尾の車両で押しくらまんじゅうに耐えながら立っているのだとか。その際、なるべく多くの人が乗れるように、とリュックサックを自身に押しつけ、背伸びをして、それで必死に耐えて、いろいろ配慮しているらしかった。
去年から辛さはあったものの、息苦しくなる――となるまではいかなかった。しかし、最近それが酷くなって、電車に乗っただけでも気分が悪くなってしまう。
これに対して、どう対処すればいいですか? と、そんな相談だった。
「…………」
空人の悩みを聞き終えた一人美が、優等生モードで訊ねる。
「その他に、なにか悩みはないかな……」
「えっと、ないです」
「ああ、そうか……。……それでは、私たちに相談しようと思い立ったきっかけって、なにかあったりするかい?」
「はい。最近、電車に乗ろうと駅のホームに立っただけで憂鬱になっちゃって、これはさすがに酷いなって思ったので」
「あー、そうか。――うん。つまりー……」
「やっぱりこれって病院に行ったほうがいいですかね?」
と、空人が気まずそうに訊ねる。
「ああ、うん。本当にそれだけだったら専門の人に診てもらったほうがいいのだけれど……まぁ、私たちが役に立てるなら、なんなりと頼ってほしいところだね」
「あ、あの……」
「なにか思いついたかい?」
「……ああ、いえ。こ、ここのコーヒーおいしいなって……」
「あー。この味のよさが分かるとは、きみは普段からコーヒーを嗜んでいる証拠だね」
「あはは……。
…………」
「…………」
会話が途切れてしまった。
空人の相談内容をメモし終えた和は、隣の一人美を眺める。シンプルな相談ゆえに、おそらく彼女が提示する解決案は決まっているのだろう。しかし、わざわざお悩み相談部へ訪れるということは、もっと深層に悩みの根本が隠れているのでは? と疑っているようだった。
この感覚は、一年間を通して相談者と関わってきた和も、数日前に相談部へそれなりに深刻で真剣な相談をした摩怜も、空人の悩みの真相心理が気になっていた。三人が疑心暗鬼になっているだけ、ということもあり得るが――とは言うものの、差異はあれども心のヤミを感じ取れる三人が、同時にこの反応をしているのだから、強ち思い違いというわけでもないだろう。
しかし、空人の相談は、あっさり終わった。一人美が、「一日で答えを出すのは野暮なので、明日以降、なにか分かったら親川くんを通して連絡するよ」と今日は帰らせた。
相談者のいなくなった部室で、一人美は、いつもの彼女になり不貞腐れたように言う。
「いや、ぜったい、まだ何かあったでしょ」
「そうだよね……。だって、狭間君の悩みを聞いて、あたしの相談内容を思い出したら……」
摩怜は情けなかった自分の姿を思い出し、両手で顔を隠して「恥ずかしい……」と呟いた。
そこへ、空人に出した分のコーヒーカップを洗い終えた和が、ソファへ戻ってきた。
「たしかに、このままの悩みなら、ひとつ早い時間の電車に乗ったり、気を遣いすぎないようにしたりとか、あとは、読書したり目を瞑ったり気を紛らわして我慢する、とかですかね」
「うん。彼、真面目そうで、しっかりしているみたいだし……。これを言っちゃ部長失格かもしれないけどさー、こんくらいの悩みでわざわざ訪れるとは思えないんだよなー」
摩怜が、和の書き留めたメモを見て、何かヒントになりそうなものはないかと探してみる。
「最近になって症状が悪化してるみたい、だね……。息苦しくなるって……」
「人酔いってやつだよ。人混みにいたら、めまいだとか不快感、それこそ息苦しくなるとか」
「最近ひどくなったってことは、その電車に乗客が増えたんですかね」
「んーっ!」と一人美が伸びをして、「ボクの予想はあれだね。きっと苦手な人が乗っているだとか、あるいはいつも見かける乗客の香水や整髪料の匂いがきついとか、接触しそうな距離にいる女性に気を遣いすぎだとか、――あー、でも、わざわざ相談部に来るってことは、やっぱ苦手な人がいるって線が妥当じゃないの? ふぁあああー」と眠たそうに欠伸をひとつ。
「すこし時間を置いて、狭間くんに解決案を言ったほうがいいかもですね。もしかすると時間の経過が、狭間くんの悩みの心臓部分を教えてくれるって場合もありますし」
「だねー。それはそれとて、和くん、コーヒーおかわり~」
一人美が、ぐで~んと、だらしなくソファに寄りかかり、和にコーヒーのおかわりを頼む。
「ひとみ先輩、そんなにだらだら堕落していると、生徒が来たときに慌てなくちゃいけませんよ」
和がそんなことを言いながら、一人美のコーヒーカップを持って立ち上がる。
「――あ、マーレ先輩もおかわり淹れますね」
と、摩怜の分のカップも一緒に持っていった。
「あ、ありがとう……」と、摩怜が感謝を告げる。
摩怜は、和の書き留めたメモを元の位置に戻した。
まだなんの力にもなれないか……。
刻々と過ぎ去るだけの時間。
お悩み相談部へ入部した、その実感がなくなりつつあった。
次の日、その昼休み。
和は、今日も宇宙を誘ってみたが、「英単語の小テストの勉強をしなくちゃ」と断られ、それから彼女に梅干しおにぎり一つを渡したのち、弁当をもって教室を出たときだった。
「親川くん!」と、ひとりの女子生徒が和を呼んだ。
と思いきや、突然、和の腕を掴んで、階段のうす暗い場所へと連行する。
「急にごめんね!」
と急ぐように謝る女子生徒。
「あの、ひとつ訊ねたいことがあって」
和が状況を把握する前に、ぽんぽんと話を進める女子生徒。
「あのさ、昨日の放課後だけど、狭間くんが相談部に来たでしょ? そのときに話した内容を教えてほしいんだけど!」
和の顔を見上げ、あざとい顔を作って頼み込む女子生徒。
和は困りながらも言う。
「ごめんね。そういうのは、第三者に言っちゃダメだから……」
「そこをなんとか! お願い!」
そう簡単には退かぬ女子生徒。
「そう言われても……、一応、信頼問題に関わることだし……」
「じゃ、じゃあ!」
攻め方を変える女子生徒。
「わたしのこと、言ってなかった!?」
「え――? どういうこと?」
和は、思わず訊き返す。
「あ、言ってないならいいんだ。それだけ! ごめん、それじゃ――」
自己完結し、立ち去ろうとした女子生徒。
和が「待って、
その声に、女子生徒は立ち止まる。
「空江さん、狭間くんとはどんな関係なの……? ――って、訊き方はおかしいかな?」
「ううん。中学が一緒だっただけ。この学年に、わたしと同じ中学出身の人って狭間くんしかいないから、昨日、相談部に入る狭間くんを見かけて気になっただけだよ。ホントにそれだけ!」
ごめんね、急に! と、女子生徒は、申し訳なさそうに苦笑した。
「そっか。僕もごめん、なにかの力になれそうにないで」
「ううん! ……こちらこそ!」
女子生徒がその場を後にした。和が、やっぱり詳しく事情を訊いたほうがいいか、と悩み、決めて、女子生徒を呼び止めようとしたが、その時にはすでに彼女の友達と一緒に廊下を歩いていたため、遠慮して声をかけられず断念した。
「――へえー、空江なるさん、か……」
放課後、一人美が、『鳥頭でも忘れない 初心者のためのタロット占いの教科書』を読みながら、昼休みに和へ声をかけてきた人物の名を口にした。
「その人が狭間君の……今回の悩みと関係しているかも、なんだよね……?」
「はい。同じ中学出身って言ってましたし、たしか空江さんも電車通学だった気がします」
和と空江なるは、去年同じクラスだった。関わる機会こそ最低限しかなかったものの、元クラスメイトということで、ある程度のこと――学力、仲のいい人、通学方法など――は把握していた。
「あ、そういえば――」
和は、あることを思い出す。
「たしか、いま同じクラスだったような」
「あのふたり?」一人美が、本に目を向けたまま訊ねる。
「はい。クラス分けのときに、空江さんも一組だって言われていた気がします」
「あー、じゃあ、これはほぼ確定だね」
ぱたんと、一人美が本を閉じて、謎に期待の膨らませた目を和へと向けた。
「相談内容を言わなかったご褒美に、頭なでなでしてあげよう! ひひっ!」
「ありがとうございます、でも大丈夫です。これからのことを考えないとですから」
「ああ……、ま、まあ、そうだね。相談部としては、それが第一だからな……うん」
「…………」摩怜は、一人美の肩が落ちるのを黙って眺める。
「でもまあ、考えるって言ったって、」一人美が天井を仰いで。「本当の悩みを彼に問うても、簡単には言ってはくれないだろうし、空江さんって子に訊ねるのが早いかな……」
「それがいいかもしれません。……だけど、狭間くんに何も言わず空江さんに訊ねるのは……」
「そこだよなー。じゃあ、彼に問うのが手っ取り早いじゃないかよーってなるしなあ」
「明日、もう一度、狭間くんを部室に呼んで訊きましょうか」
「だね。――でも、その前に、」
一人美が、立ち上がり、夢見る少年のような輝いた目をして言った。
「ボクねぇー、電車通学ってしてみたいなって――!」
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