第17話 休息は,いつも皆のなかに。

「ん……」




目を開けるより先に,久しぶりの柔らかくや温かい感触に気がついた。


ボーッとして,喉が乾く。


目も,何故か目蓋が重たいせいで上がらなかった。




「っ凛々彩さんっ!!!」




ぎりぎり開いた薄目に,必死な形相のサムが映り,私の心臓が跳ねる。




「……サム?」




どうしたのと思いながら,私はそう言えば久しぶりだと思い出した。


徐々に自分の居場所を理解する。




「ここは,蘭華のお屋敷? 他の皆は……」




そうか,私は。


あの悪夢のような場所から,助け出して貰ったんだった。


権利も選択も奪われて,必死な中でダーレンが死ん……で。


夜雅の手に渡るよりも前に,私はここに戻ってきたんだ。


瞼の重さが,全てを現実だと思わせた。


早く,冷やさなきゃ。




「あっ,ダメですよ凛々彩さん。まだ半日しか寝てな」




おもだるい身体を起こすと,それとは別に重い要因があることに気づく。


重たく温かい人の体温。


その正体に直ぐ気がついた私は,サムに人差し指で合図をした。


いつからここにいてくれたのか分からないけれど。




「だめよ,サム。蘭華が起きちゃうわ」




顔を赤らめたサムは,言葉を飲み込んで。


何かを振り払うように顔を振る。


その動向を不思議に思いながら見ていると,サムはくるりと背を向けた。




「じゃ,じゃあ,俺はアンナを呼んできます。それまで絶対に安静にしていてくださいよ!」




私は蘭華の髪の毛に触れながら,うんと手を振る。


サムが走り去っていくと,私は目を開いたり閉じたりして,はぁと息をはいた。


ようやく落ち着ける場所だと全身が理解する。


アンナは氷,一緒に持ってきてくれるかしら……


私が触れすぎたのか,もぞりと太ももの当たりを蠢く蘭華。


動きが止まったかと安心すれば……


数秒後に勢いよく顔をあげた。


頭を抱え込まれて,首がいたい。




「良かった……おはよう,凛々彩」


「お,おはよう……」


「何にも良くないよ! さあ退いて貰おうかね,蘭坊っちゃん!!」




びくりと肩を震わせる。


見ると,慌てて来てくれたと見えるアンナが私の目をばっちりと見ていた。


渋々離れた温もりに目を奪われていると,今度はアンナからの抱擁を受ける。




「ああ……っ無事,とは言いがたいけれど,凛々彩が戻ってきてくれて本当に良かった。似合わない心配でもしてるのか,うちの男どももうるさくてね。ああ,蘭坊っちゃんが少しも離さず抱えて戻ったとき,どんな心地になったことか」




ごめんなさいとアンナの背中をさすると,自分の服装が変わっていることに気が付いた。


心なしか顔回りもすっきりしている。




「桶で頭だけ洗った時も,凛々彩の服を取り替えたときも。どんな目にあったんだろうと想像するだけで恐ろしかった。凛々彩,もう心配ないんだからね」




怖かったね。


そう,アンナは私を抱き締め続けた。




「うん……」




そう答える喉が震えて,抱き締めるアンナの温もりに瞳が滲む。


えへへと笑って離れると,心配そうにしたアンナも笑ってくれた。




「ただいま,アンナ」




行ってきますと言って出たきりだったと思うと,申し訳ないと思う。




「ああ,お帰り。ここはもう,とっくに凛々彩の居場所なんだからね」




嬉しいことを言ってくれる。


私はまた,アンナに微笑んだ。



「ご飯もお風呂も用意があるよ,本当は休んで貰いたいところだけど,我慢できない事はあるかい?」


「えっと……じゃあ,お風呂」




こんな汚い身体のまま,ベット寝ていたなんて……


そう考えながら見渡して,ハッとした。


初日に通された部屋と同じ,つまりこのベッドは……普段,蘭華が使用しているもの。




「えっあ……! ごめんなさい,私直ぐに」


「どうしたの? 凛々彩。お風呂にするんでしょ? 僕も一緒にいくよ」


「蘭坊っちゃん,いけませんよそれは。あたしは許可しかねます」


「……アンナ……。ここが誰の根城なのか,忘れたの?」




そう呆れた声を出しながらも,やはりアンナには弱い様子の蘭華。


それを見て,先ほどの発言が冗談でもなんでもなく,本気だったことを知る。




「え,ちょっと……蘭華?」




一緒に入るなんて,私,まだとても無理よ。


私が戸惑いにストップを掛けると,蘭華は丁寧な手付きで私を抱き上げた。




「ね,凛々彩。凛々彩が1つ頷いて,僕が脱がせてしまえば勝ちだと思わない? 流石のアンナも,僕の裸体まで覗き見る権利はないのだから」




私は蘭華の腕の中で硬直する。


近い。


それしか私の頭には無かった。


ふるふると唇が震える。


混乱が何よりも勝った。




「やめて,蘭華。アンナの言う通りよ,私に,私に触れないで!」




組織のトップに触るなとは,何事なんだろう。


サムすら目を飛び出す爆弾発言だった。


けれどそんなこと頭からすっぽ抜けている私は,ぐいぐいと蘭華の胸を押す。


落ちたってどうでもいい勢いだった。


怒りなのか悲しみなのかよく分からない感情で,とにかく蘭華を睨みつける。


蘭華はショックを受けたような顔をした。


私は悪くない。


悪いのは蘭華の方よ。




「だから言ったでしょう蘭坊っちゃん。聞くところによると,数日はお風呂に入れなかったんですよ。そんな状態で男の目に触れていいと,凛々彩に思えるとお思いですか?」


「…………でも僕は凛々彩がどんなでも変わらないし,凛々彩自身だって変わらずきれ…」


「それでも数々の女性を籠絡してきた東の支配者ですか? 笑われますよ。明日にして下さい」




えっと私は目を剥いた。


アンナ,そこ?


気にするのは本当にそこだけなの?


まさかその籠絡してきた数々の女性の中にも,わざわざ入浴を一緒に……




「アンナ……凛々彩の前で他の女の話をするなとあれ程……分かったよ,凛々彩。そこまで言うならここで待ってるから,ゆっくりしておいで。溺れたりしないように」


「流石に大丈夫よ。……多分?」



大丈夫,よね?


いくら心身ボロボロで久しぶりの入浴と言っても……




「……頼んだよ,アンナ」


「分かっていますとも。ほら,凛々彩。場所は分かるね? 着替えを持ってくるから,脱衣所で待ってておくれ」




大丈夫,のはずなんだけど……


私はいらない心配を掛けてしまったと,1人そっと反省した。


1人で歩く廊下は,綺麗な壁に触れてもまだ実感が少ない。


こんなものか,と。


私はマリアを待つ間,ベルトゥスとの日々や夜雅の事を考えた。



「ごめんね」


「いいんだよ,凛々彩。今はたっぷり甘えるべきだからね。それに,凛々彩は普段綺麗だった分ダメージが大きい。自分でやると傷になるかもしれないよ」




1度既に洗ってくれたと言う頭ももう一度洗って貰い,背中まで流して貰ってしまっている。


ヒリヒリする肌や垢を,何度も泡立てた泡で洗い流していった。


何度目か,私はただ大人しくしている。


誰かに洗って貰うなんて久々で,少し懐かしい。





「凛々彩は私の頃と違って見目もスタイルもいいからね。直ぐに目をつけられる。もう蘭坊っちゃんの側を離れるんじゃないよ。ベルトゥスのとこよりも,ずっと蘭坊っちゃんの方が安心できるからね」




流石はアンナ。


蘭華の信用を勝ち取っている彼女は,もうすっかり丸々と事情を知っている。




「あたし達の為だったのかもしれないけどね,凛々彩。どうせちょっと過ごしただけの仲なんだから。それより,蘭坊っちゃんを不安定にしないでやってくれ」


「……ごめんなさい」


「ただでさえ,奥様方の死体を発見したのは蘭坊っちゃんだったからね……蘭坊っちゃんは数少ない大事な人間なら,必ず迎えにいくに決まってる。その蘭坊っちゃんの前で,なんて,冗談でも勘弁しておくれよ」


「……ごめん,なさい」




知らない話と,私や蘭華への愛情を交えて。


アンナは静かに温かく語った。


今もまた,優しくさっき洗ったばかりの頭にお湯を掛けてくれる。


くしゃりと前髪を潰した。


まだ硬い前髪は,私の指に不快感を与える。




「そろそろ水に変えた方がいいかな?」


「ううん,アンナ。お願い,しばらくこのままにしておいて」




このまま,瞼なんてどうでもいいから。


私を,ずっと隠しておいて。


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