第16話 一瞬の選択。
暴れる私を見越してか,ダーレンは私を見向きもせず,四肢を使って私を強く押さえ込んだ。
「まさか,助けてもらえるとでも? もし仮にベルトゥスであったとしても,あなたを取り返しに来たとは限らないし,ベルトゥス如きに負ける場所でもないのですから」
今この場に置いて,侵入者は関係ないのだと。
突き放すように行為を続行しようとするダーレン。
私は,その言葉に目を丸くした。
私がここにいるのは,夜雅の望み。
拐われた時,場所はベルトゥスの南の組織の秘匿された場所だった。
その私を誘拐した目の前のダーレンは,私が元々は西にいたのだと,知らされていないよう。
もしかしたら,今乗り込んできたのは。
関係のない組織でもなく。
ベルトゥスと蘭華,どちらか一方でもなく,両方なのだとしたら。
優しく義理堅い2人。
もしこれが,ただの希望的観測でないとしたなら。
ここで終わるのも,奪われるのも。
私にとって,1番あってはならないこと。
私の隠し事を,見逃してくれた蘭華。
蘭華や私を大切に思い,けれど私を好きだと告げたベルトゥス。
彼らはとても強い。
この島にたった3人の支配者のうちの2人。
待ってさえいれば,私を助けてくれるって,信じてもいい?
2回目の人生は,より臆病になった。
蘭華からの愛があるのか,分からない。
好かれていないのか,多少好かれているのか。
前回と比べてみても,こうとは言えない。
たとえ2回目だとしても,明確な愛を貰ったことは1度もなかったから。
ここに来てからも,蘭華が来てくれるかもしれないなんて。
小さな希望は,ずっと無視していた。
責任を感じるであろうベルトゥスは来るかもと思いつつ,蘭華が来てくれることだけは,ずっと期待しないでいた。
たとえ不可能でも,自分で何とかしようとばかり頭を働かせていた。
なのに,でも。
でも,いる。
そう,どうしよもなく感じてしまう。
蘭華,助けて。
私をはやくみつけて。
蘭華じゃなきゃ,私,いやなの。
前も今も,蘭華だけがいい。
私をみつけて,抱き締めてほしい。
誰の手にも,渡らないように。
つ……と涙が頬を流れて。
反対の頬に舌を這わすダーレンが,どうしよもなく嫌だった。
足音が一際大きくなっていくのに気付く。
ハッとまた肩を揺らせば,また邪魔が入る,とダーレンが離れないまま眉を寄せた。
扉から目を離せない。
お願い,誰か,開けて。
念でも飛んだのか,ピタリと部屋の前と思われる場所で足音が止む。
やはりここはとても大きな施設のようだと分かった。
ダーレンが後ろを気にしながらも,首に唇を這わせ。
ジュッっと汚い音を立てて,なんの傷も負った事がない肌を吸う。
「───……やぁっ……」
そんな私の声が掻き消えるほど。
どかりと大きな音を立てて,扉がベッドの横に落ちた。
抱き寄せるように密着したまま,ダーレンは首だけ後ろに回す。
「蘭,か……」
まだ,大きな事は何もなかったけど。
見られたくなかったと,思ってしまった。
この紅い印は,他の男が私を奪おうとした証。
だけどなのに,やっぱり来てくれたのがあなたで,嬉しいと。
そう,ごちゃまぜの感情で涙が溢れる。
ダーレンから見ても,蘭華から見ても。
涙を流しすぎた私の顔は,とてもお世辞一つ言えない顔になっているはずだ。
「お久しぶりです,蘭華。そんな顔,出来たんですね。……で,一体なんのつもりですか? 出来れば後にしてくれません?」
煽るような言葉と共に,私を見たダーレンは。
また纏わりつくように身体を巻き付け,私の脇を掴みながら胸に触れた。
小さくはないそれが,ふにゅんと形を崩す。
喉でなる,か細い悲鳴。
蘭華を見れば,銃を構えていた。
「どけ,ダーレン。その子は,凛々彩はお前のものじゃない」
珍しく,銃を握る腕に,力が籠りすぎている。
私に当てないための配慮なのか,自分を抑えているように見えた。
そういえば,ダーレンが不思議なことを言っていたと思い出す。
そんな顔って,蘭華。
どんな顔だろう。
ツゥと視線でなぞる。
顔まで到達して初めて,私は蘭華を瞳に映した。
思わず,息を呑む。
ふわふわで,綺麗な蘭華の髪。
そんなものも,今はぼさぼさと荒れていて。
出掛ける時はいつもアイロンでピシリとしたズボンも,右足に染みた血液で重たそうに見える。
青筋だち,歯が摩りきれそうなほど。
蘭華は歯を噛み締めて,鋭くダーレンを睨み付けていた。
誰がどう見ても,怒り苦しんでいる蘭華。
大きく吐き出される息は,行き場のない感情をよく表していて。
もう既にめちゃくちゃな涙腺が,崩壊してしまう。
パサパサになった髪の毛を引かれ,背後から抱き締められた。
誰に,なんて。
今はダーレンしかいない。
ダーレンの手には,一丁の銃。
この状況でふてぶてしくも,ダーレンは蘭華を脅している。
「効果はないかと思っていたのですが……案外そうでも無さそうですね」
毒々しく,ダーレンは蘭華に笑顔を向けた。
片手とは言え,拘束は強い。
だからきっと,私はそれを解かなくてもいい。
蘭華が立ち往生するのは,私がお荷物だから。
ダーレンの銃は幸いにも一丁で,蘭華か私,片方にしか向けられない。
そして今,それは私に向けられている。
私はダーレンの腕に捕まったまま,頭を前方に勢いよく倒した。
蘭華と目が合う。
これで,ダーレンの弾も,蘭華の弾も。
きっと私に当たる確率は低い。
ダーレンは私に引きずられるようにして,ほんの少し傾く。
ダーレンの銃口は,私の頭のほんの数ミリ後ろを捉えている。
鳴り響く3回の銃声。
1つ目は蘭華のもの,2つ目は咄嗟に引いただけのダーレンのもの。
そして3つ目もまた,1つ目を撃った後の蘭華のもの。
ダーレンの放った弾は私の髪の毛を舞い上がらせ,壁にシュウと収まった。
突然の襲撃を受けた壁もまた,無事ではない。
蘭華の2発の銃弾は……
2発とも,狂いなくダーレンの頭に。
蘭華すら向けず,驚きの表情のまま撃たれたダーレン。
彼に当たった感触は,その衝撃で後ろへ傾いたダーレンに抱かれている私にもはっきりと伝わって。
「はんだんを……あやまった。すみません,よる,が………………さ…ま」
目の前にあるのは,むごたらしい現実だけ。
小さな細い声が届き,私はゆっくりとダーレンの腕をはずす。
何も言えないでいる私の前で,初めて,人が死んだ。
蘭華が殺したんじゃない。
私はどうすれば何が起きるのか,分かってて,動いた。
分かってる。
西も東も南も,この島自体が,元々こうゆう場所だってこと。
自分で選んでおいてこんな気持ちになるのは,そんな卑怯な人間は私くらいしか存在しないこと。
人が死ぬことを厭う私が,人を殺してしまった。
今更ながら,心に響く。
正当防衛と言う言葉を,治安の悪い場所では度々耳にした。
子供を抱く母親と,血気だった男。
その目の前で倒れる暴漢なんて,良くある話だった。
ーダーレンは,倒れた。
ここにいるはずの他の人達は,無事なんだろうか。
元通りなんてきっと無理で,対処できる薬があるのかも分からない。
でも,彼の手を離れるのなら。
せめて誰か救われていて欲しいと,そんな逃げ道を探してしまう。
ふと,2人の姉妹を思い出した。
あの子達,この騒ぎのなかで,現れなかったな……
"敢えて"来なかったと言うことは,想像に難しくない。
ここは,そういう場所。
弱いだけの人間は,朽ちるか,他者を死に追いやるだけ。
ここは,そういう場所。
全ての現実はどれも。
何度も,同じ結論を連れてくる。
乾いた唇が,ぷちりと切れた。
「凛々彩……!!!」
突然私を襲った温もり。
涙色の深い声は,深い安堵の感情に大きく震えている。
蘭華は微弱に震えた私の肩を,咎めもせずに強く抱え込んだ。
存在を確認するように,私の小さな肩に首をかけて。
表情を崩した私も,蘭華の肩に顎を置く。
1つになってしまいそうなほど,深い密着だった。
「良かった……!!!」
よかった。
そう言って貰えることが,望んで貰えることが。
今の私にとって,どんなに嬉しいことだろう。
言葉なんて1つも出てこなくて,ただ泣きじゃくる私の姿は。
20を越えているとは思えないくらい,もっと幼い少女のようだった。
この人にだけは,溢しても良い。
私が変えようとしている未来に比べれば,へっちゃらだって,寧ろ対価なんだって。
強がり笑う必要は,ないんだ。
「っ……怖かった,もう,蘭華には逢えないって,もうだめかと思っ……」
「うん,ごめん,ごめん」
背中を引っ掻くほど強く手を回しても,蘭華は私を手離さない。
ぎゅうぎゅうとしがみついて,何の意味もないことを訴えて。
蘭華に贅沢なほどあやされた私は,少しずつ,少しずつ意識を手離した。
私が間違っていた。
彼の手を,離してはいけなかった。
こんな思いも,あんな思いも。
もう2度と,嫌なのよ。
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