「馬鹿じゃないの」

 地面に落ちたような感覚。ゆっくりと目を開けるとほぼ一面の闇、パチパチと燃える焚き火の音が雰囲気を醸し出す。ここは……、山の中だろうか。


 とりあえず身体が痛いので伸びをしようとしたのだが、身体の可動域が狭い。……どうやら拘束をされているらしい。腕は後ろ手に普通の縄で縛られ、手錠まで嵌められている。


「あら、おはようお嬢さん。おはようでいいのかしら? 急に暗くなっちゃったからもうお姉さん時間感覚壊れちゃって」


……そうだ、私はさっきこの女に何かされて。


「そんなに身構えなくても大丈夫よ」


「……二人は?」


「傷つけてないから安心しなさいな。ま、それもお嬢さん……、名前は二条京香、だったかしら? 貴女の返答次第だけどね」


 どうやら自分は攫われた状態らしい。かなりピンチだ。


 焚き火の炎に照らされた暗闇を見回すと、廃寺が見える。小さい時に肝試しに来た覚えがある。ということはここは屋敷の裏の山だろうか。助けが来ることには期待が持てそうにない。


「先に結論から言いましょう。京香さん、私達に協力してくれない?」


「それは双葉と直樹さんに対する人質ってこと?」

 

「いいや、違うわよ。無力化した相手に人質なんて取っても意味ないじゃない。私達が欲しいのは貴女の複製の魔法」


「えっ……?」


「私達は今回貴女を手に入れるためにこの街に来たの。勿論、他にやるべきことはいくつかあるけどメインの目標は貴女よ」


 何を言っているんだこの女は。私は巻き込まれただけのはず。双葉だってそう言っていた。第一、複製もヘボい魔法って双葉が……。いや、よく考えると全くヘボくないな。物を複製できるとか幾らでも悪用できる。……きっと、双葉は罪悪感を感じさせないためにあんな嘘をついたのだろう。


「最近ね、活動資金とかがなくなってきてね。貴金属とか紙幣とか増やすために複製の魔法を使える子が欲しくなっちゃって」


 うーん、とても納得のいく動機である。金のためなら何でもするって人はいっぱいいる。ドラマで見た事がある。でもその上で思うわけだ。……人の命をなんだと思っているのか。


「あぁ、蒼星家を襲った理由?知りたそうな顔をしているから教えてあげる。これから信頼関係を築いていきたいから嘘はつかないわよ。まぁ端的に言うならその目的は貴女を連れ去ることとか、これからやることの邪魔をされると困るってのが一つ、もう一つは八つ当たりね。あと、金庫とかあったら嬉しいなーって。縛縄産業で儲けてるってのは有名だし。あと、あのバカがいれば大抵の物は壊せるしそれなら、……ね?」


 酷く身勝手な理由。ただ、その意思を実行に移せる力を持った存在が襲撃してくる最後のひと押しになったのが私の魔法、というのは笑えない話だ。


……そっか、私のせいで双葉や直樹さんがあんな酷い目に。……本っ当に笑えない。……言葉も出ない。


「ところで京香さん、龍脈って知ってるかしら? 魔力が流れてる川みたいなものなんだけど」


 こちらはひたすらに無言のまま、女は私の自己嫌悪と巡り続ける思考など気にせずに話を続ける。


「まぁいいわ。知ってることにして話を続けるから。それでね、実はこの山の辺りには魔力溜りっていうものがあるの。これは龍脈っていう本流から少し外れたけど流入した魔力が溜まっている場所ね。三日月湖って言えばわかりやすいかしら。うん、分かったわよね。じゃあ、もしそれを決壊させたらどうなるでしょう?」


 口の中、喉の奥が乾き一切の言葉が出ない。グルグルと回り続ける思考の中でそんなことが分かるはずもない。今朝までこちとら何も知らなかったと言うのに。


「……ノリ悪いのね、まぁ簡単に言うと、溜まってた魔力がドカーンって全てこの町にばら撒かれるの。この町の全員を縛縄で縛る感じって言えばいいかしら?」


 ──── 『もし魔力に適性がない人がこれに触れたら急性魔力中毒で死ぬわね』双葉が言ったことを思い出す。


「えっ……?」


「まぁ魔力はの適正の無い人間、つまり魔法使い以外はは皆死ぬでしょうね。で、それが決壊するまであと十分。」

 

「…… 十分?」


 ……クラスメイトや近所の人、名前は知らないけど挨拶はする人など脳内で思い出せる人は多数いる。その人たちがあと十分で皆死ぬ?


 魔力に適性があるのがどれだけの人かは分からないが頭に思い浮かんだ全員では無いはずだ。頭から血が引いていく。


「い、言うこと聞く、聞きます。だからお願いします。やめてください」


 ……だからこそ咄嗟に出た言葉は要領を得ないどもった言葉で。


「ごめんね、爆弾でドーンってやる都合上もう止められないの。貴女があと少し早く起きれればまた話は違ったかもしれないんだけどねー」


 どう足掻いても現状は『詰み』であった。


「さて、あと十分暇だしお姉さんがこんな活動をしている理由を教えちゃおっか。どうせ協力してもらうんだし知ってもらって損は無いよね。じゃあまずは基本的な知識から……」


 『私のせいでこんなことになっている』という思考が更に増して、脳内の九割九部九輪を埋め尽くす。聞こえる音はすべてが右から左へと。


「……でさ、もう魔法使える人の扱いがさ酷いのよ。忌み子とかそのレベルよ。私も大変だったんだから。あのバカもずっと座敷牢に閉じ込められてたらしいし。その点、蒼星はいいよねぇ、いいお家なんだっけ?」


 ぶつぶつと延々と言っているが興味は一切無いし聞く気もない。聞きたくない。


「……そういうわけで、あの人のために私たちはこうして活動してるの。全ては魔法使いがより自由に生きられる世界を作るため」


 ダメだ、思考が生産性の無い堂々巡りをしている。何とかしなきゃ。何かできるわけがない。


「ちょっと? 聞いてる? 指何本かわかる?」


 目の前で手を振る女。ただただうざったい。


 これはきっと全部夢だ。先程も夢だったんだ、今回も夢に違いない。痛む頬の傷がそれを暗に否定するのも認めたくない。


「はーい、決壊まであと三分だよ~。カウントダウンでもしよっか」


「180、179 、178」


 女が刻む一秒一秒が何十何百倍の速度に思える。それでも時が進む速度は変わらず、戻ることも無い。


「129、128、12にゃ……あぁ、言いにくい!」


 状況に合わずコミカルな動きをする女、本人視点なら喜劇かもしれないが私視点だと悲劇だ。だから私はシニカルに笑うしかない。自嘲しながら目を逸らし、横を見て、……だからこそ、それに気付いた。


「特徴一致、二条京香さんだな。助けに来た」


 黒髪で、全身真っ黒な戦闘服? らしきものを着た青年がいきなり現れたと思えば、私が固定されていた木をへし折って、私を背負い、一瞬でその場から立ち去る。


「ちょっと! いきなり何よ! 待ちなさいっ──!」


 余裕綽々だった女の叫び声が聞こえてくる。わけが分からない状況ではあるが、こう言いたい。ざまぁみろ。


「どなたでしょうか?」


 助けてもらったとは言え見知らぬ人物。正直、とても怪しい。言葉も思わず敬語になってしまう。

 

「……俺は協会の人間だ。蒼星双葉さんからあなたを救出するように言われて来た。とりあえず屋敷まで向かう」

 

 双葉から言われて……。なら多分安心だろう。嘘をついている可能性みたいなのは想像したくもないので考えないでおきたい。少し肩の荷が降りた気もするが、冷静に考えると問題は解決していない。……あの場から離れたのって不味いのでは無いだろうか。


「……あの、えっと、多分今から魔力溜まりの決壊? というのが起きるらしいんだけど大丈夫なんですか?」


 そう、魔力溜まりの決壊というものの件だ。もしかして協会とやらから来たこの青年が何とかしてくれたのではないか。少し期待するが……。


「えっ、ちょっ、マジ?」


……あっ、ダメなやつだコレ。


 閃光、地面が揺れ、遠くから爆発音が響いてきて。

 

 ──────視界が白く染まった──────


 意識が薄まっていく……。いや、魔力が大量に身体に入ってくる感覚。その瞬間、ようやく理解した。そういうことだったか。


「光が消えたら、双葉を助けてあげてください」


 聞こえているかは分からないが前の青年にそう囁く。


──── 願うはまだ何も起きていない時間。予知夢、やり直し、否……。


 目を閉じ、開けると私はベッドの上にいた。


 闇に慣れた目は枕元に置いてある目覚まし時計は長針が真上を、短針がその左側直角九十度を指していることを確認できた。


そうしてゆっくりと立ち上がり、机の上に置いてあるガラケーを手に取り、一・一・七を押す。数回のコール音、そして無機質な機械音声が流れ始める。


『午後十時三分、四十八秒をお知らせします』


 あーあ、やっぱり。


 携帯を手に、少し放心状態になる。


 全ての感情の矛先は自分へと。心はさながら針千本、弁慶の立ち往生。いや、少し違うか。


 やがて部屋中に鳴り響くポップな音楽、双葉からの電話の着信音だ。……説明くらいはしなきゃ。


「ちょっと、京香は大丈夫?」


「ごめんね、双葉」


「急に何を言ってるの」


「今のこの空の状況は全部私がやったの。複製の魔術でね、この町の午前九時をコピーして実際の時間に上書きしたの。今のこの町のものは私を除くと全部全部私が複製したものなんだってさ」


 思えばおかしかったのだ、デジャブに痛む手に、正午なのに伸びた影や初めてなのに使えた魔術などなど。それらが全部地続きの時間軸だったのなら説明はつく。私以外の街とそこの人間だけを『複製』して上書きしていたから日は沈んでいったのだろう。そして、きっと、上書きする前のものは全て新しい現実に押し潰されて消えてしまったのだ。


 ゆっくりと左の頬の傷をなぞる。今までの全部は夢じゃなくて現実だった。だから、全部全部本当はあの時に。


「一回さ、双葉も直樹さんも死んじゃってたの。いや、もしかしたら何回も。複製して今の状態に戻ったけどね。──── 今の双葉は本当に双葉なのかな。わかんないや」


 双葉は言葉を返してくれない。


 あくまでこちらが一方的に話しているだけ、理解してもらおうとも思っていない。


「これからね、蒼星のお屋敷に二人魔術師が行くの。片方はナイフで斬撃を飛ばす男で、もう片方は触れた相手を眠らせる女。斬撃の男に双葉も直樹さんも殺された。それで、その二人は龍脈の魔力溜まりを決壊させて魔力の使えない人を皆殺しにしようとしているの。……でも、今私が行けば何とかなるかもしれない。魔術師達は私の『複製の魔術』を狙ってるみたいだから。ごめんね双葉、巻き込んじゃって」


「──── ちょっと待ちなさっ」


 ツーツーと、電話が切れる。再度鳴り響くポップな音楽。それを無視する。


 あぁ、吐きそうだ。と言うより吐いた。昨晩食べた覚えの無いものが混ざっていた。朝食を食べる気は湧かなかった。


 寝間着から最低限動ける格好への着替えには三分もかからなかった。服もそのままだったら良かったのに、なんて思ってしまうが、流石にそんなに都合が良いわけでもないらしい。


 日射が無くなってなおジメジメとして暑い時間帯、そんな中一人、家から一歩踏み出る。しかし、先客がいて二歩目三歩目は踏み出すことはできなかった。


 ……もし仮に双葉が家まで来るにしても、学校から走っても十分はかかる。今から家を出てしまえばとても間に合うまい。


 ──── そう思ってたのに。



「……っ、このバカッ! 京香に何があって、何を見て、何をしたかは知らないけどね。あんたは自己犠牲なんてするタイプじゃないでしょうが!」

 

 目の前に立っていたのは息を切らした双葉。……早すぎる。なんで。


「どうやってここまで……」


「魔法よ! 全く、疲れるったらありゃしない」


 見ると、双葉の両手からは煙が出ていた。振ってそれを散らしている。


「……で、京香がいきなり自己犠牲を伴いたいお年頃に覚醒したのはどういうわけ?」


「さっき言った通り。……私のせいで皆が死んじゃうから。死んじゃったから」


「ワケわかんない、第一、京香は本気でそう思ってるの?」


「思ってるとかそういうことじゃない、実際に見たの!訳の分からない奴らだった。そいつらにやられて私は双葉も直樹さんも死んじゃった。でも、私がアイツらの目的だからきっと私さえどうにかなればアイツらも素直に帰ってくれるはずで……。だから、私は……」


「落ち着きなさい。深呼吸して。とりあえず泣くのやめなさい」


 言われて始めて頬に涙が伝っているのに気がついた。


「私がアイツらのところに行けば、誰も死なずにすむから。私が、行けば。私が悪いから。私が皆を殺しちゃうから……。京香達だって、本当は私が殺したようなもので……。それも何回も……」


 双葉が一瞬静かになる。そうして息を吸い込んで。


「──── んなわけないでしょうが!馬鹿じゃないの!」


 叫んだ。


「私が悪い私が悪いって壊れたロボットかっての。私には本当に何があったのかは分からない。きっと大変だったんだと思う。その過程で自分を責めちゃったんだろうね。でも言わせてもらう。京香は悪くない。襲撃してきたヤツらはどうせ過激派でしょ? そいつらが全て悪い。あなたに一切の落ち度はない」


「でも、複製で」

 

「関係ない」


「『でも』も『だって』も禁止。とりあえず私の話を聞きなさい」


「最初に言っておくわ。私は生きてる。お父様だって生きてる。スワンプマン、ドッペルゲンガー? そんなのどうだっていい」


 頬を両手で挟まれる。顔が近い。双葉の両手と息とから熱を感じる。


「大事なのは私、蒼星双葉が今、生きてあなたの前にいるってことよ。私は私。いきなり死んだ扱いなんてされるのはむしろ失礼じゃない?」


「ごめん……」


「復唱しなさい、『蒼星双葉は生きているし、誰も死んでない』。はい、」


「蒼星双葉は生きているし、誰も死んでない」


「『京香は悪くない』」


「私は悪くない」


「OK、よくできたわね」


 頬から手ををようやく離してくれた。双葉の触れていた頬がまだ熱を持ち、温かい。


「……さて、私達、いえ、京香、あなたがこれからやることはたった一つよ。悪い過激派をぶっ飛ばして、明日私とお出かけするの」


「いや、二つじゃん」


……思わずツッコミを入れてしまった。


「そう言えるくらいになったならもう大丈夫ね」


そう言って、双葉はにっこりと微笑んだ。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る