おばあちゃんの形見とわたし

戸波ミナト

転生聖女の最期

 黒いヴェールが邪魔だった。すすり泣く声や祈りの聖句も雨の音で霞んでよく聞こえない。半球の結界が雨粒を弾いてくれて、伝わる雨音も水の匂いのする空気もどこか薄っぺらい。

 何もかも現実味のないぼやけた視界の中で黒の棺に土が被せられていった。スコップを持つのは男の人ばかり。黙々と作業をしていた男の人が不意に膝をついた。

「母さん、ああ、母さん……!」

 立派な軍服が泥で汚れるのも構わず嗚咽したのはわたしのパパだった。

 あらゆる魔術を使いこなし癒しの奇跡を持つ聖女。

 息子がその才能を受け継がなかったのに落胆どころか「やれること全部やってみろ」と励ました型破りな女傑。

 魔術の才能に恵まれたわたしを特別扱いせず普通の子どもとして扱ってくれた優しいおばあちゃん。

 かつて異世界より現れたというひとりの女性は、このノザリア王国で天寿を全うした。


「お疲れでしょう。ごゆっくりお休みなさいませ」

 メイドは両手の塞がったわたしに代わってドアを開けてくれた。ありがとうと言うのもなんだか億劫で、わたしは黙ってうなずくのみ。今日に限ってメイドはお行儀の悪さを咎めず、ただ眉を下げた笑みでドアを閉めた。

 わたしは絨毯の上に座り込んで荷物――両手でぎりぎり抱え込める箱を目の前に置いた。

 ひとつひとつ中身を確かめていく。

 角の装丁が擦りきれた魔法書、鍵つきの本、小さな宝石が光るバレッタ、年期の入った手鏡、台座に魔術文字を刻んだ水晶球。どれも飽きるほど見慣れたものだ。

 ただ持ち主がもういないだけで。

 わたしは鍵つきの本を手に取る。おばあちゃんがよく手に取っていたから表紙は色褪せてしまっていた。何の本かはパパもママも使用人たちも知らないという。わたしがおばあちゃんの部屋に遊びに行った時だってさっと封印の魔術をかけてしまいこんだくらい、おばあちゃんはこの本を大事にしていた。

 おばあちゃんの人生のひとかけらがこの中に眠っている。

 ぎゅっと本を抱きしめるとほのかにぬくもりを感じて、自然と涙がこぼれた。

 鼓動がする。

 ――魔力の波動。

 封印の魔術がわたしの魔力に反応したのだろう。小さな鍵穴から光が溢れ、空中で文字を形作る。

『薔薇の数字を記せ』

 一定以上の魔力量を持つ者が鍵となる言葉を記すことで封印が解かれる。わたしが正解にたどり着けば、誰も知らなかったおばあちゃんの人生のひとかけらを手にすることができる。

 ――子どものうちは子どもをサボっちゃいけないの。

 わたしにそう言ってくれた優しいおばあちゃん。

 魔術の試験で満点を取ったらご褒美として、丸パンに肉とチーズと野菜を挟んだハンバーガーにジャガイモを細く切って揚げたおやつを、なぜかちょっとしたオモチャつきで出してくれたおばあちゃん。

 あのしわしわの手で頭を撫でてくれることはもうない。

 だったらせめて、おばあちゃんの生きた証を見てみたい。

 頭のうちで火花が散る。

 薔薇の数字。遠い昔、確かにそれを聞いたことがある。

 パパやママじゃない。おばあちゃんでもない。もっともっと前――私の母親世代が使っていた隠語だと誰かが――顔も知らない誰かが吹き出し形のメッセージ画面で、140文字に満たない短文で、呟いているのを見たんだ。


 思い出した。

 わたしの前世は異世界『日本』の女子高生だ。そこそこオタ活してたしお母さんもそういうジャンルの先輩だったから、男性同士の恋愛を昔は『薔薇』『やおい』と呼んでいたとか『やおい』に数字を当てはめることもあったなんてトリビアもちょっとは知っている。


 わたしの指先が三桁の数字を描く。

『801』

 その数字が封印魔術と溶け合い、甲高い音を立てて錠が砕け散った。

 表紙に手をかける。

 ゆっくりと開かれる。

 ペンで直に書き連ねられていたのは今まで見たこともない文字だった。この世界のどんな言語とも似ていない、複雑なアルファベットの羅列なのに、不思議と意味が分かる。

 これはだ。

 おばあちゃんが生まれ育った異世界の国であり――わたしがわたしとして生まれる前に生きていた国。

『この本を開いてしまった人へ。大層な魔法書とかを期待していたならごめんなさい』

 秘密の本はこんな文章で始まっていた。


 これは私が個人的に書いていた、素人の手慰み的な駄文です。あなたの期待に応えられるようなものじゃないと最初に断っておきます。

 あなたにはきっと意味が分からないだろうし、万が一分かったとしても好みにあわない可能性が高いと思います。無理して読み進めなくてもいいし、できればそのまま燃やしてください。


 聖女として活躍し、いつも笑みを絶やさなかったおばあちゃんらしくないと思う。言い訳じみた告白は『聖女の秘術とかじゃ全然ないし人目に晒そうと思って書いてないからお願い燃やして』なんて念押しで終わっていた。

 あのおばあちゃんをこんなに弱気にさせるなんて何があったんだろう。何かわたしの知らない過去があるんだろうか。

 紙をめくる指先が震えた。

 次のページの文字列を目に流し込む。

「……?」

 前世を思い出したから日本語だって読める。

 けれどわたしは首を傾げて二度見した。

 なんか思い違いとか誤読とかじゃないかなーなんて期待を抱きながらもう一回読む。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2024年12月19日 21:00
2024年12月20日 21:00

おばあちゃんの形見とわたし 戸波ミナト @tonaminato

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画