第7話

 僕らは歩き続け、高架下をくぐり抜けてすぐのとき。物騒なことが起きている場面に遭遇した。コスプレに素顔を隠した二人の男が、ストリートファイトをしていたのだ。なんでこんなことが起きているのかは知る由もないが、周囲にはたくさんの人だかりができている。人だかりが多すぎるせいでどんなコスプレをしているかわからないが、一方は白い被り物をしていて、もう一方は緑の被り物をしていた。


 ストリートファイトとはいっても殴り合っているわけではなく、相撲のようにぶつかり合っているらしい。互いに衣服を掴みながら、必死で相手を倒そうとしていた。


 そして周りに集まる野次馬は、目の前で起きている出来事に対しさほどの危険感を抱いていないようで、「いいぞー」とか「ぶっつぶせー」などの野次を飛ばしていた。二人ともコスプレをしていることもあって、まるで覆面レスラーがプロレスをしている光景だが、戦い方は相撲なのが妙な光景だった。


 すぐ近くには交通整理をする警察がいるというのに、よくやるものだ。と思いながら、僕ら三人は野次馬に混ざってファイトの見物をすることにした。


 人が多すぎて現場に近寄ることはできないので、後ろのほうで眺めていた。すると、僕らより少し身長の高い真田がいち早く現場を見られたようで、「おい隆介、洋太」と声を上げ、指をさした。「ストームトルーパーとザクが戦ってるぞ」


「え、面白そう」


 隆介は何度かジャンプして、現場をよく見ようと頑張っている。彼は生粋のSF好きなので、心躍る気持ちがうかがえた。


 僕も興味をそそられたので、ジャンプして見てみる。真田の言うとおり、全身に白い装備をまとったストームトルーパーと、緑の装備をまとった量産型ザクが取っ組み合っていた。


「敵同士で戦うなんて。不毛な争いじゃないか」と僕は呟く。


 戦況としてはストームトルーパーのほうが優勢なようで、ザクのほうはスコースコーとここまで聞こえるほどの荒い息を上げながら押されていた。両方とも作中では主人公たちに蹂躙される存在だが、現実世界で人間とモビルスーツで争うと、思いのほか人間のほうが一枚上手なのだろうか。珍しいものを見た気がした。


 そんなとき、隣で真田が「やつらが敵同士かなんて、俺ら側の都合だろ」と言った。「俺らを勝手に主人公サイドの論理に当てはめようとするなよ」


 驚いた僕は真田の顔をまじまじと見てみる。怒っているわけでもなく、かといってふざけている様子もない。何の表情も浮かんでいなかった。


「俺らがいつ正義の側に立った。確かに作品の中では主人公たちの勢力が正義で、彼らは敵対する勢力として出てくる。だから作品の見え方を現実世界にそのまま持ってくると、彼らが敵同士に見えるのは無理もないのかもしれない。だが彼らにとっては自分たちが正義なのだから、視点が違えば敵も変わる。彼らにだってそれぞれの主義や主張があって、それを守るために必死に戦っているのかもしれない。そう考えると、洋太が帝国軍やジオン軍側の思想に共感し、彼ら側の勢力に加わる可能性だってあるだろう。そんなとき、果たして彼らは敵という見え方になるか? ならないはずだ。だから彼らの思想を全く把握できていない現時点で、敵か味方か区別するのは時期尚早すぎるんじゃないか?」


 僕は気圧されてしまい、何も言えずに立ちすくんでしまう。反論できなかったからというより、いきなりどうしたんだという思いからだった。いつも真田はよくわからない男だが、今日は輪をかけてよくわからない。


「露出度の高い女を見に行こう」との提案もそうだし、いまの発言もそう。何かあったのだろうか。例えば日和と喧嘩でもしたとか。恐らくないと思う。真田はいつもよくわからないからだ。ふと頭に浮かんだから、大した理由もなくいろいろ言葉を並べる性格をしている。


「洋太はそこまで考えてないと思うよ」と隆介が助太刀をしてくれた。「いま目の前にいるストームトルーパーとザクはコスプレでしょ。作中の話と現実を混同するもんじゃない」


 僕は少しだけ馬鹿にされた気持ちになった。隆介はいま「そこまで考えてないと思う」と言った。これはつまり、僕にはそこまで考える頭がないから、真田の言説に思い至ることがないという意味だろうか。たぶん違う。言葉をそっくりそのまま返すと、彼もそこまで考えていないだろう。ただ、僕も突然変なことを言いたい衝動に駆られた。真田に影響されてしまった。


「僕は真田の主張に賛同したい」


 真田は驚いて僕のほうを見てくる。予想外だったらしく「そうなの」と呆けたように返した。


「彼らが敵同士かどうかなんて、まだわからないもんな。確かにそうだ。映画やアニメを観すぎたあまり、自分まで主人公のような気持ちになってしまってたみたいだ。思い込みはいけない。真田に言われてハッとさせられたよ。さすが真田。僕に気づけないところに気づいてくれる」


 真田は僕が話に乗ってきたのが意外なようで「え、あっ」と一瞬だけ焦りを見せたものの、即座に立て直して「そうだろう」と言った。どうやら勝手に話を広げられたせいで、話の落とし所に困っているらしい。真田は強気なところもあるが、臆病なところもあった。言わば虚勢を張る性格をしているので、こうして意地悪をしてやれば一瞬で手懐けることができる。


 しかしこのときの真田は少し違っていた。場の雰囲気に酔っていたせいもあるかもしれない。


 現場に変化があった。ストームトルーパーが左腕をかざして、「勝ったよお」と語尾を伸ばした声を上げた。ここからはよく見えないが、どうやら決着がついたらしい。野次馬も勝者を祝し騒ぎ立てている。対する敗者のザクは、地面に倒れているようだ。


 ストームトルーパーがザクのことを見下ろしながら、奇妙なロボットダンスを踊っているのが見えた。相手がすでに戦意喪失していることもあってか、こちらまでいらいらしてくるほど大袈裟に挑発行為をしている。それから休憩もせずに「チャレンジャーきなよ」と言っている。ゆっくり喋るものだから、なんだか気味が悪かった。


 野次馬が一層沸き立ち、どいつが行くお前が行けと騒ぎ立て始める。


 そんな中、真田が僕たちだけに聞こえる声で「俺が行く」と宣言した。いきなりのことに僕は反応できなかった。


 驚いた隆介が「ちょっと」と吃りながら止めようとするが、真田は制止を振り切って、野次馬の中をかき分けるようにして行ってしまった。つい一分前までただの見物人だったはずなのに、なぜあいつはいきなり変なことを言い出すのだろう。たぶん、僕がおだてたせいだ。


 真田は進んで行くと、まもなく観衆の中心に躍り出た。右手にはどこかで拾ったらしい小枝を持っていて、マイクのつもりなのか「俺が相手になる」とパフォーマンスしている。僕が突然変なことを言い出したせいで、こんなことになった。


「君が次の相手なのかい」ストームトルーパーは顔を下から上に動かして、真田の全身をなめまわすように見ている。相手の実力を測っているのだろう。


 僕たちは急いで野次馬の中をかき分けていく。


 中心にたどり着くと、真田のもとに近づいた。隆介は「どうしたんだよ急に」と心配している。


 真田は小枝を握りながら答えた。「俺は、村上春樹が好きだ。先生がエルサレム賞を受賞したときのスピーチで話した『高く強固な壁とそれに打ち砕かれる卵があるなら、私は常に卵の側に立つ』という言葉にも共感している。俺は力を持つ者が弱い者を打ちのめす構図が大嫌いでな。だから先生の言葉に倣ってここに来た。ザクというザコは卵だ。弱い者に味方をするのが、俺の矜持でもある」


 それから真田は袖をまくって、ファイトの準備を始めた。止める気はなさそうだった。


 僕は「こんなときに使う言葉じゃないだろ」と言ったが、真田は聞く耳を持たなかった。黙々と四股を踏んでいて、すでに戦闘態勢に入っていた。


 対するストームトルーパーも準備のためか腕や足をぐるぐる回し始める。先ほどのファイトがあったからか、準備運動としては軽いものだった。それから「よくわからないこと言う人だね」と言った。ずいぶんと余裕綽々だ。


「駄目だ。真田はもう止められない」隆介が肩を落とした。諦めてその場から一歩下がり、野次馬の一員になろうとしている。


 僕は周りを見回した。だが時すでに遅し。周囲の野次馬は先ほどよりも盛り上がりを増していて、後戻りができなくなっている。ここで何を言ったところで、もうどうにもできないだろう。万事休すだった。


 僕は大いに心配をしていた。真田ではなくて、ストームトルーパーのほうを。


 実は真田は中学のころからボクシングをしていた。


 近所にボクシングジムがあって、そこのオヤジが知り合いだという縁から、お遊びとして指導を受けていたらしい。大学生になったいまでも定期的に練習に通っているようで、僕たち──この場合、日和や音々のことを含む──に対し、ときどき練習の成果を見せつけてくることがあった。


 先日あったケースだと、創作研究会にて各々が自分の作業に取り組んでいる中、暇を持て余した真田がいきなり立ち上がり「うおおお」と叫びながら服を脱いで、シャドーボクシングを始めたことがあった。それくらい、戦いに飢えている男だった。とはいえプロを目指すほどではないし、試合に出ているわけでもないという。それでも戦うことに関しては素人ではないし、人並み以上に強いのは確かだった。


 その他にも筋肉の自慢は毎日のように行われていて、真田が筋肉について語らないのは、いまのように外出しているときくらいだった。僕たちとしてもその奇行はいつものおふざけと同一視しているので、真面目に取り合うことはないほとんどない。でも、日常的にかなり鍛え上げているのはよく知っていた。


 それに昔、一度だけ真田が人を殴っている場面を見たことがある。当時はボクシングを始める前だったけれど、あのときからずっと、真田という男は戦いに対し手を抜いたことがなかった。だから真田と戦っても勝つのは難しいし、ろくなことにならないというのは、誰よりも僕が知っていた。


 今回の対戦はボクシングではなく相撲に近いものの、やはり格闘技の経験は活きてくるはずだ。万が一のときがあったら、取り返しがつかない事態になる。そして先ほどまでの相手がザコだっただけに、ストームトルーパーの本当の力量が把握できていない。だからこそ、ストームトルーパーがどれだけ耐えられるのかが心配だった。


 加えて相手はコスプレをしている身でもある。その体にどれだけのパワーを秘めているのかがまるで計り知れなかった。もしかしたら真田と互角のパワーを持っていて、激しいファイトになるかもしれない。そんなことが起きようものなら、警察沙汰になる可能性だってある。僕らはただ渋谷ヒカリエに行きたかっただけなのに、どうしてこんな事態になってしまったのか。


 動き出してしまった真田を止められる者はもう、ここにはいない。変な人間である真田を、僕や隆介が止められるわけがないのだ。そう諦めかけていたところで、ふと視界の端にある女性を見つけた。警察官のコスプレをした日和と魔法少女のコスプレをした音々がいた。


 ますます最悪の事態になった。

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