第5話
僕らは話し合い、先に夕食を済ませることになった。
わざわざ飲食店を探しに歩き回るのは面倒とのことで、近場のところに入ることにする。またスクランブル交差点を見渡せられたほうがいいとの真田からの提案により、近くにある建物の、二階にあるスターバックスに入る。各々が列に並んで注文して、窓際の席に着く。僕は真ん中に座って、二人は両脇に着いた。
僕は独り暮らしの苦学生なので、安いサンドイッチを一つ注文するだけだった。さほど腹も減っていなかったので、これで十分。
隆介と真田の手を見ると、そこにはいかにもスタバに来たという甘そうなフラペチーノが握られていた。
「学生のくせに贅沢しやがって」と僕は悪態をつく。
「そんな高級なものでもないでしょ」と隆介はストローを咥えながら言い、続けて真田が「俺が奢ってやろうか?」と言った。僕は手をひらひらさせて、いらないとの手振りをする。
隆介が言う。「洋太もバイトしてるんでしょ? スタバで注文する余裕もないくらいお金ないの?」
「別にそんなことはない」
「ならなんで──」と隆介が不思議そうにしたところで、真田が身を乗り出して「違うぞ」と口を挟む。「洋太はただケチなだけだ」
「正解」
僕はたかが飲み物に、五百円以上も出す気になれない性格である。喫茶店などに行っても水を貰うだけだし、出費をしないで済むなら極力出さないというのがモットーだった。
決して金がないわけではない。かと言って、掃いて捨てるほどあるかといえばないが、ぽっと五百円を出す余裕くらいならある。ただ、咀嚼もせず舌に一瞬だけ味覚を感じさせたあと、すぐに喉を通り過ぎていくだけのものに五百円以上も出したくないのだ。なら奢ってもらえるならいいのかといえば、それも違う。他人から借りは作らないようにしていた。僕はとことんケチな人間だった。
「じゃあ、洋太は普段、何にお金使ってるの? おれも独り暮らしだから生活するだけで手一杯なのはわかるけど、それでもいくらかは残るでしょ」と隆介が言った。
「もちろん映画館に行ったり小説を買ったりも多いけど、一番はそうだな」と僕はサンドイッチを口に含みながら言う。「株だよ」
そこに真田がなぜか補足してくる。「洋太は昔、仮想通貨で大損したらしくてな。そのマイナスを取り戻すために必死で金を貯めてるらしい」
「へえ」と隆介は僕に対し哀れみの表情を向けてきた。「意外と切実な理由だった」
「コロナ禍が落ち着き始めたいまがチャンスなんだ」と僕は言って、サンドイッチを平らげた。
そうして金の使い道やらおすすめの銘柄などどうでもいい話に花を咲かせていると、隣で真田がいきなり「あ」と声を上げた。ポケットからスマホを取り出して、何かをし始める。
「どうした」と隆介が言う。
「ああいや。そういえば今日、日和たちにサークルには行けないって連絡してなかったなあと思ってな」
ついつい油断していたが、音々たちも渋谷に来ていることについて、真田たちへの根回しを忘れていた。まずいと思った僕は、咄嗟に「さっき電車に乗ってたとき、僕の方から代わりに連絡しといた」と嘘をついた。
「そうか? ならよかった。というかさっき独り言してたのも、本当は日和か音々ちゃんに電話してたのか?」
そんなわけないだろうと内心でつっこみながらも、それで納得してくれるなら好都合だと思ったので「実はそうなんだ」と答えた。いまにして思えば、音々と会話していたすぐ隣に真田や隆介もいたのだから、彼らにバレていてもおかしくない。だが、バレていないということは、よほど真田が単純なのだろう。そういう面では助かった。きっと隣で目を閉じている間中ずっと、いかにして僕を言い負かそうかとでも考えていたのだ。
だが隣で隆介は「日和ちゃんたちが今日のこと知ったらどう思うんだろうなあ」と言いながら罪悪感を抱いている。
戦々恐々とした僕は、「たはは」と誤魔化して、スクランブル交差点を眺めることにした。
「だいぶ人も増えてきたな」と僕は呟く。「ハロウィンだなーって感じ」
上から見るだけでも、たくさんのコスプレ姿が見える。さすがにサラリーマンや私服姿の通行人のほうが多いが、カラフルな服をした人も負けないくらい多く歩いていて、異様な光景が広がっている。遠くを見てみると、駅の近くには警察車両が止まっているのがわかった。こんなときまでご苦労様です、と心の中で労った。
「そういえば」と真田が言った。「ビル・マーレイとスカーレット・ヨハンソンが東京に来る映画があるが、あれはなんて言ったか。コッポラの娘が監督をしていたはずなんだが」
僕は隣を向く。「『ロスト・イン・トランスレーション』だろ? ソフィア・コッポラ監督の映画だよ」
あの映画には、スクランブル交差点を俳優たちが突っ切るシーンがあるので思い出したのだろう。
「そう、それだ。最近、日和に勧められて一緒に観たんだけどな。馴染みの景色にハリウッド俳優たちがいる物珍しさみたいなのは感じたんだが、正直言ってどこをどう楽しめばいいのかわからなかった。それで日和に感想を聞かれたとき、俺はなんて言えばいいかわからずに『よかったよ』って答えたんだが、『どういうところがよかった?』って食い下がってこられて、結局何も言えなかった。俺はあのとき、なんて言えばよかったんだろう」
真田は遠くを見る目で言った。世にも珍しい真田のお悩み相談だった。普段プライベートの話なんてろくにしないというのに。
「真田って、人間ドラマみたいなのはあんまり好みじゃないでしょ。いつもドンパチしてる映画とかアニメを観てるイメージあるし、合わなくても仕方ないんじゃない?」と隆介は言った。
「まあな。わかりやすい対立構造がないと退屈で仕方ない。最低限血が流れる作品じゃないと観てられないんだ。静の作品は眠くなる」
僕は尋ねる。「日和さんも知ってたんじゃないのか、お前がその手の映画は苦手だってこと。僕らが知ってるくらいだし。二年も付き合っていれば、互いの好みくらいわかりそうなものだけど」
「もちろん知ってるはずだぞ。俺もちゃんと話してるし、日和が好きなジャンルも話してくれてるしな」
「じゃあ、なんで一緒に観ようって勧められたんだ? 真田が微妙な反応をすることくらい予想がつきそうだけど」
「それはまあ」と真田はさも当然のように答える。「俺が日和の好きな映画を一緒に観たいって言ったからだ」
「なんだよ」と僕はげんなりした。「お前が撒いた種じゃないか。日和さんも気の毒なもんだな。自分の好きな映画を一緒に観ようと提案されたから勧めたというのに、つまらなそうな反応が帰ってくるなんて。もっと楽しむ努力をしてやれよ」
「う、うるせえ童貞野郎!」と真田は僕の肩を叩いてくる。と思ったら彼はいきなり「ごめん」と謝ってきて、「言い過ぎた。確かに俺が悪かったよな。洋太は何も間違っちゃいない」と勝手に反省し始めた。
真田が勝手に自己完結した中で僕は一方的に傷ついたわけだが、一応謝罪は受けているので許さないわけにもいかず「いいってことよ」と返した。
そうしているうちにいつの間にか一時間が過ぎ、僕らは店を出ることになった。
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