ラッキーラビットとスプラッシュヒル
山門芳彦
第1話 凧を揚げよう
おぼろげに見えるのは、凧を上げている景色だった。
子どもも大人も、男も女も、何十人もの人たちが広場に集まって、空を見上げている。私は右手で赤い凧を飛ばしていた。子どもたちは声を上げて喜び、大人たちもまた、青空に童心を預けているようだった。私の凧は、広場の中央にある城よりも高く昇っていた。
私は傍らに立つ一体のウサギと目を合わせた。二本の足で立ち、私と変わらない背丈。造られたほほ笑みを崩すことなく、瞬きもせず、ときに子どもたちに手を振るウサギ。
広場に仕込まれたあらゆるスピーカーから、楽しげな音楽が流れ、私は歌った。
笑おう さあ笑おう
君は この世の素晴らしさを 知っている
歌おう さあ歌おう
声は 風にのり 凧が舞う
笑えば 明るい世界
暗闇なんて 思い込み
だから笑おう さあ笑おう
いざや みんなで 笑い合おう
強い風が吹きだした。空はみるみるうちに暗雲に埋め尽くされ、ごろごろとくぐもった雷鳴が響く。広場のスタッフたちが笛を鳴らし、凧を降ろすように指示を飛ばした。私も凧を降ろそうとしたが、風のせいか、私の凧は他の凧たちと絡まってしまった。雨が突然に降り出し、大人は子供たちを濡れさせまいとして近くのショップに避難した。一瞬、視界が真っ白に閃いた。雷鳴がバリバリと轟く。傍らのウサギが私の手から凧の糸を手放すよう促した。その時だった。
二度目の閃きは、私の体に落ちた。天に漂う私の凧と糸は、火を点けた導火線よりも早く、瞬く間に電撃を私に伝達した。
焦げた匂いを感じながら、私は天を仰いで倒れた。ウサギが駆け寄って、何かを言っている。私にはもう聞こえない。
ラッキーラビット――。
雨に濡れていく体は冷たい水底に沈んでゆく。歌が遠くから聞こえる。
水底。
なぜ、私は水底にいるのだ? 消毒された水特有の、塩素混じりの匂いが鼻から流れ込んでいる。息が出来ない。すぐに抜け出さなくてはならない。真っ直ぐ伸びてゆく凧のように、私に差し伸べられた手が見える。右手を伸ばした。掴まれた。温かく太った手に引っ張られて、私は――
「ふっはあっ」
水から顔を出した。私の手を掴んでいたのは、黒い肌の太った男だった。彼は六人乗りのアトラクション用ボートに乗っていた。彼を含め、ボートに乗っている誰もが、怪訝な顔で私を見ている。アジア人の家族が四人と、黒人が一人。奇妙な連れ合いだ。
私を助けた男が、気まずそうにして私に問うてきた。
「あのー。おじさん誰? ここに落ちた僕のパートナーを知らない?」
何を言っているのか意味が分からなかった。お気楽なカントリーミュージックがよく聞こえる。よく覚えている歌だ。ということは。
「ここは、まさか、スプラッシュヒルのアトラクションかい?」
黒人の男は啞然とした顔をして、肩をすくめてから言った。
「……そうですけど」
なんということだ。ありえない。このアトラクションはまだ完成していないはずだ。私はさっきまでウォータースライダー型アトラクションであるスプラッシュヒル建設開始記念の凧あげをしていたのだから。
「私はどうやら、夢の世界に来てしまったらしいな」
「確かにここは夢と魔法の世界Dパークですが。そんなことよりおじさん。僕のビリーを知らない?」
「悪いが君の親友のことは分からないよ」
「そんなはずはない! さっき突然、ビリーはボートから落っこちたばかりなんだ。それと」
「それと?」
「彼は親友じゃない。僕のパートナーだ」
私は肩をすくめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます