砂糖菓子にシロップを
愛川 白夜
第1話 小学生みたいな挨拶。
「おはよう!」
「おはよう」
明るくてまぶしすぎるほどの元気な挨拶に気圧されながらも、反射的に言葉を返していた。こんな元気な挨拶を聞いたのは小学生ぶりかもしれない。
高校生活二年目。友人とクラスが分かれてショックを受けていたが、席に関しては、廊下側の一番後ろ。岡田優陽(おかだゆうや)という名前を付けてくれた両親に感謝だ。
先ほど、元気な挨拶をしてきたのは、隣の席の女子だったらしい。茶色がかった髪を高めに一つでまとめ、目元や口元が色づいているが、清楚だという印象を受ける。校則の範囲内でおしゃれを楽しんでいるといった感じだ。
正直、心底驚いた。
俺は、小、中と去年を通して、男子の集団の中の一人というくらいの、陽キャでも陰キャでもない、中途半端な人間。グループワークやペアワークでもなければ、女子と話すことは少ない。
そんな俺に、小学生のような挨拶をしてくる女子がいるということは、まったく予想していなかったからだ。あと、普通に可愛かった。
その女子は、席に座るや否や、筆箱とクリアファイルをリュックから取り出し、ボールペン、シャーペン、消しゴムの順に机の上に丁寧に並べていった。
あんな挨拶をするくらいなのだから、もっと適当なやつだと思っていたが、どうやら几帳面なところがあるらしい。
ホームルームの開始のチャイムが鳴る。
「全員席に着けー。」
なんだか、けだるそうな声とともに現れたのは、髪はぼさぼさ、服はよれよれのみるからなダメ人間。去年も俺の担任であったく黒沢一博(くろさわかずひろ)だ。理科科目を担当している。去年の実験授業では、あの先生にあるまじき適当人間のせいで、クラスみんなが病院送りになるところだった。
「一年間、二年二組の担任になる黒沢だ。まだ全然顔も名前も覚えてない。去年から同じクラスのやつは、どんどんこき使っていくからよろしくなー。」
適当さはいつものことながら、ものすごくこっちを見ていた気がしたので、一応目をそらしておいた。
「授業もないし。眠いし。なんもする気ないから、近くのやつと自己紹介とかやっててくれ。あと20分くらい。」
本当にあきれた人間だ。どうやって教員採用試験に受かったのか、試験の時の様子を見てみたい。きっと、採用を出した人は徹夜明けで、疲労困憊だったに違いない。そうであってくれ。
こんなことを言われて静まり返った教室の中、誰が一番に声を上げるのか。教室内の誰もが、誰かが話し出すのを待っている。
せめてもう少し話しやすい雰囲気を作ってくれよと思っていると、
「うわっ…!」
急に肩をたたかれ、驚いた拍子にこの空気をぶち壊すような大声を上げそうになった。バクバクと早く動く心臓を制しながら、たたかれた方向へと向き直る。
「自己紹介、一緒にしてもいい?」
「うん」
早くなった心臓の音をごまかすように、短い返事を返した。
目の前にいるのは、朝挨拶をしてきた元気な子。少し上目遣い気味に聞いてくるしぐさは、可愛らしい女の子という感じがにじみ出ている。
「ありがとう!隣の席の人が優しい人でよかった…。友達とクラスが分かれちゃったから、新しいクラスで友達ができるか不安だったんだ。」
感謝を言葉にするときは、ヒマワリのような笑顔で、安堵を口にするときは、親を見つけた迷子の子どものようで、不安を表すときは、受験を目前に控えた学生のようだ。ころころと変わる彼女の顔の一つ一つが、脳のメモリの深いところに刻まれていく感覚を覚える。
「そうなんだ。俺も友達と分かれちゃった。」
返事を返した瞬間、また笑顔に変わる。
「え、そうだったんだ!じゃあ新しいクラスの第一友達に立候補してもいい?」
「こちらこそ、俺でよければ。」
「よろしくね!」
なんだかあっけなく、新しい友達ができてしまった。しかも女子。
「もしかして、黒沢先生のクラスになるの二回目だったりする?」
「え、うん。なんでわかったの?」
黒沢を、先生という呼称をつけて呼ぶことに違和感を覚える。去年のクラスでは誰一人として、そう呼ぶ奴はいなかったのだ。
純粋な疑問を口にしつつ、周囲に目を配ると、少しずつみんなが会話を始めていたことに気が付く。意図していたのかはわからないが、彼女が話をする空気をつくってくれたらしい。
「さっき先生が、去年から同じクラス奴はどんどんこき使っていくーって言ってた時に、すっごく見られてたし、目をそらしてたから。」
楽し気に笑いながら話をしている。
そんなことよく見ていたな、と感心するのと同時に、気恥ずかしさと、もしかしたら、俺に気があるのではないかという慢心が浮かんでくる。
「そっちは、去年の担任誰だったの?」
「え、今年一組の担任の先生だよー。」
一瞬戸惑ったような表情を見せた気がしたが、すぐに話は続けられる。彼女の表情はまたころころと変わっていく。
「そういえば、まだ名前言ってなかったね。白鳥甘音(しらとりあまね)って言います。私も聞いていいかな?」
毎度毎度、可愛いしぐさをしながら聞いてくる。
「うん、岡田優陽です。よろしく、白鳥さん。」
「そんな堅苦しい呼び方しないでよ。甘音でいいよ、優陽くん」
同級生の女子にくんづけで呼ばれることにむずがゆさを感じる。これもまた小学生ぶりだ。
わざとらしいまでの対応に、この子はぶりっ子と呼ばれる類なのだろうかという考えが頭をよぎった。まあ、正直ぶりっ子だろうが何だろうが、可愛いくて自分にも、自分の友達にも優しければ何の問題もない。
「わかった。よろしく、甘音。」
「うん!」
やっと満足そうな顔をして、元気に返事を返してきた。
話が途切れたタイミングでちょうどチャイムが鳴る。そして、黒沢が飛び起きる。
「よし、終わった。俺は帰る。お前らも早く帰れよ。」
そう言い残しそそくさと教室を後にした。今日は月曜日だから、毎週月曜日の六時に放送されるドラマを見たいのだろう。そのために、早めに仕事を終わらせて家に帰ろうという魂胆だ。
「もう帰っちゃった。」
隣で甘音が驚いている。
「六時の放送されるドラマを見るためだよ。月曜はいつもこう。」
「へー。なんかめっちゃ自由な人だね。」
「うん、早めに慣れたほうがいい。」
「そっか、頑張る。」
何をどう頑張るのかはよくわからないが、一応応援しておこう。
「あ、今日月曜日か、早く帰らなきゃ。」
「何か用事でもあるのか?」
甘音が買えり自宅を素早く進める。先ほどの黒沢のようなコソ泥感がある動きではなく、きびきびとした動きだ。
「うん、見たいテレビがあって。」
「え、黒沢と変わらないじゃん。」
言ってしまった後に、失礼だったと後悔したが、甘音はあまり気にしていないようだった。
「アハハ…、まあ、趣味があるのはいいことでしょ!」
少し、目をそらしながら言い訳をするように答える。
「そうだね。」
思わず笑ってしまった。
甘音は俺が笑っているところを笑顔で見つめてくる。
「やばい、帰らないと。優陽くん、また明日ね。」
「うん、また明日。」
甘音は顔の横で手を振りバイバイと言って、早歩きで帰っていった。あくまでも廊下は走らないようだ。
砂糖菓子にシロップを 愛川 白夜 @nina1210
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