6-3 古文書の中身
シグナリアス社の事務所のドアが、ガチャリと乱暴に開けられた。その乱暴っぷりに七夏子が帰ってきたのだと思ったサキは、
「おかえりっさーい」
とニコニコ振り返った。だがそこに居たのは狩野 晶だった。サキのニコニコの笑顔が、そのまま固まる。晶はふりふりと手を振った。
「やあ。古文書、持ってきてあげたよ」
晶はそう言うと、背後の女性に目を向けた。
「ね、
「はい」
更目と呼ばれた女性が、一歩前に出た。いつでもロックフェスに出られるような服装の晶と違い、女性の方はいつでもセミナーの講師として壇上に上がれそうな上品な装いのスーツを着ている。
一つに纏められた髪、胸ポケットの赤い万年筆、綺麗に整えられた爪、ぴかぴかに磨かれた靴など、この女性には一切の隙がなかった。
あるいは、隣にいる晶の隙だらけな装いが、対比するように彼女を完璧に見せているのかもしれない。
「どうぞ、お確かめください」
更目はそう言って、手元のビジネスバッグから大きな茶色い封筒を取り出した。
「あ、はい、どうも」
サキは茶色い封筒を受け取ると、小さく「あざっした」と言って、ぺこりと頭を下げた。頭をあげ、しばし……じっとする。そんなサキを、長身の晶がにこにこと見ている。晶の背後の更目は、じっと晶の背を見ている。
――余談だが、机で突っ伏して寝ていた蒼次郎は、晶が訪れた時に一瞬パッと起きたものの、またすぐ寝ている。
漫画の余ったコマのような、何も無い時間が流れる。焦れたサキが言う。
「あのー、ほんと……えー、御足労ありがとっした」
「いいんだよ」
晶は優雅に微笑んで――長い脚を踏み出し、応接スペースにある朱色のソファにどっかりと座った。サキは目をぱちぱちさせながら、唇をむにょむにょさせた。
「えーっと? いや、その。古文書渡しに来てくれただけなんじゃ」
「ああ、だから早く帰れって?」
ずばりと言われ、サキはウッと言葉に詰まり、目を泳がせた。
その時だった。のっそり、と。蒼次郎が唐突に身を起こし、言った。
「古文書に書かれてる、他の内容も知りたいんですか」
「そういうこと!」
「そうですか」
そうですか。そう言って蒼次郎はまた机に突っ伏して眠った。サキの口から、「えぇ~」という声が、とても情けなく漏れる。
「いやいやいや、かといってここで待たれても」
「ああ、お茶なら気にしないで。……更目、微糖がいいな」
「かしこまりました」
更目が鞄を開け、そっと取り出したのは缶コーヒーの微糖であった。それをパキッと開けて、晶は何事も無いように言った。
「どうぞおかまいなく」
「……ねぇえぇえ、ねぇええぇ! 蒼次郎さん起きてよぉアタシ無理だよこのヘンな空間ンン」
ゆっさゆっさと蒼次郎を起こそうとするが、その程度で蒼次郎が起きないことはサキ自身が付き合いの長さでよく分かっているのだった。
それからサキは。
シグナリアス社が追っている、早見という男が贔屓にしているガールズバー付近の防犯カメラの映像を調べようとしていたが。
ことあるごとに背後の応接ソファの晶に、「最近話題のMANAの新譜聞いた?」だの、「スノボ興味ある?」だの、「その髪の毛天パ? それともアイロン使ってる?」だの、ペースを乱され続け。
晶が襲来して約15分後。ヒールの音を響かせ、七夏子が事務所に入ってきたときには、
「あっ、七夏子さぁん」
半年会っていなかった愛犬が主人に駆け寄るような速度で、七夏子に泣きつくサキであった。
***
七夏子は手袋をつけると、封筒から古文書を取り出した。ページ数としてはあまり分厚くはない。全体でおよそ30ページほどだろうか。かなり古びた見た目である。
本自体のつくりも、和紙に字を綴り、それを紐で綴じたもののようだった。表紙には筆で、「狩野家秘法」と書いてある。
「うっわ……」
ページをめくり、中の内容を確認した七夏子が声をあげる。
「なんて書いてあるの?」
「こんなのあたし達一般人の知識で読めるもんか」
「やっぱり難しいんだ、それ」
「あんたの言う通り、だいぶ多方面の知識が求められるな……ただの古文だけじゃなくて、未知の言語、暗号解読にほど近い……」
七夏子は暫し頭を抱えていたが。やがて、「あの人しか居ないか……イチかバチかだけど……」と、顔をあげた。
「誰か心辺りがいるの?」
無邪気に問いかける晶の方は気にせず、七夏子はスマホを取り出した。そして古文書の写真を撮ってPCに取り込むと、通信アプリを立ち上げた。
「頼むぞ、教授」
「教授? その教授って人なら読めるの?」
晶が首をかしげ、七夏子が応じる。
「ああ。
「そんなすごい人居るんだ。どこの大学の教授?」
「教授ってのはあだ名だ。本人は非常勤講師だよ」
「なにそれどういうこと?」
「確かに元々はどっかの大学で教授をやってたんだが、色々あって今は非常勤講師なんだ。で、副業でこういう――さっぱりワケの分からない古文書の解析なんかをやってる。ただなぁ」
七夏子は渋い顔をした。晶はさも面白そうに食いつく。
「何々、気難しい人?」
「いいや。なんか最近の教授、趣味の方が忙しいらしいんだよな。応援してるアイドルがバズっただとか……すぐ返事くれるといいんだが……」
「じゃあもしその人が返事くれなかったら?」
「お手上げだな」
「えぇー」
二人のやりとりを聞いていて、サキが不意に言った。
「っていうか、じゃあそれが読めた狩野さんの叔父さんって何者だったんですかぁ」
その問いかけに、狩野は無毒化された呪いの人形でお手玉をしながら、のんびりと答えた。
「ん? ただの、無類の酒好きのバーの経営者」
「あ、あーそっかそんなこと言ってたなそういえば。いや、でも全然古文書解読に結びつかないんだけど」
「言語学とか民俗学とかそういう学問を究めるのは、叔父にとって趣味だったから」
あっけらかんと言ってのける晶に、七夏子は小さなため息をついた。
「解読不可能な古文書を解読するのを趣味だって言い張るわけか」
「なんだったらバーの経営だって趣味みたいなもんだしね。そもそもホラ、仕事ってあんまり力入れたり頑張ったりするモンじゃないじゃん?」
「そこに関してはアタシとアンタじゃ見解の相違が大いにありそうだな……ん? お、教授から返事来た。はっや」
「なんて?」
「『推しのアイドルからレス貰えたから脳味噌の回転は最高潮! 2時間くれ、これは是非読みたい』ってサ」
「え、じゃあもしレス貰えなかったら読めなかったってこと?」
「そのアイドルとやらに感謝だな」
それからきっかり2時間後。
教授から解読結果が送られてきた。真っ先に読みながら、七夏子が呟いた。
「あの沼は、『巨人の口』という術の一種……」
「巨人の……口?」
「外道の術で偽物の命を吹き込まれた疑似的な生き物、と解釈していいそうだ」
「えっ、あの沼生きてんスか! い、一体狩野家って何者なのぉ」
「狩野家自体は、こういう術を秘密裡に継承、そして開発してきた一族ゆえに……特殊な技術は無くても、方法さえ知っていれば一般人でも沼を作る事は可能」
「へー俺にも作れるんだ」
目を輝かせる晶を、七夏子が鋭く睨んだ。
「絶対作るなよ。作ったとしてもうラボの監視下だからな、あんた」
「ラボってそんなに偉いの?」
「怪異に関しての決定権は全部あそこにあるんだよ。一般人が怪異を恣意的に扱うのはあそこでは重罪だ」
「え、逮捕されるってこと?」
「表の法で裁けないから、ラボがあるんだよ」
「……こわっ」
真顔ながら、おどける晶。
「忠告したからな、手は出すなよ」
釘をさすように言ってから、七夏子はタブレットに視線を戻した。
「とはいえ沼自体にはただ、口の中に飛び込んできたものを咀嚼するという意思しかない。あとは……術を司る過程で、稀にだが『失敗』が生まれることもある」
「『失敗』って?」
「『巨人』のなりそこない……目玉だけとか唇だけとか耳だけとか、そういうパーツだけを生んじまう事があるらしい。とはいえ、いずれ自然消滅する存在だから、よほどのことがない限りこれ単体で悪さはしない」
「うわ挿絵こっわ」
「だな。沼自体を終わらせる術は……あるっちゃあるがこれは面倒だ。沼の処分に関しては、これはうちじゃなくてラボに任せた方がよさそうだな」
自身のタブレットで翻訳文を読んでいた蒼次郎が、声をあげる。
「その後のページにあるのが、呪いの人形の作り方ですね」
呪いの人形の作り方のページも、するするとスクロールしていく。「沼の泥水に人形を浸す」という工程がなければ、それはただの民芸品の作り方の指南のように見えた。
「意外と簡単だな。浸して麻の上に並べて乾燥させる、か……」
「『人間の負の感情を集める沼を作る』なんて過程がなければ、誰にでも作れそうですねぇ」
「ああ。人形自体は要するに何でもいいんだな。……なあ狩野」
「なにー?」
「この古文書、他に誰が読める? あんたの一族では他に読める人間もいるのか」
「いるわけないよ。誰も読めないからこそ、書庫に投げっぱなしになってたわけでさ」
「ってことは、この古文書が読めて中身を理解できた人間の心当たりは?」
七夏子に問われ、晶は首をひねる。
「俺が知る限りは叔父だけ」
その時、古文書を見つめていた蒼次郎が、不意に顔をあげ、言った。
「狩野 巡流という人は、どういう人だったんですか?」
「ん、それ聞いちゃう? うーん、あの人の人生はねぇ……ま、一言で言うとハチャメチャやりたい放題、かな」
晶は楽しそうに、叔父の人生について語り始めた。
<続>
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