第2章 アイシアとランダルと王女、それから新顔の騎士

「ランダル・アクアノートはどこ?」


 王立騎士団男子寮の門番に、ジノービアちゃんが尋ねます。

 八歳の公爵令嬢をコントロールできるだなんて、そんな風に思った私はとんでもない馬鹿でした。

 なにしろジノービアちゃんときたら、やけに気合の入った金の巻き毛、バシバシのまつ毛で縁取られた緑のつり目、花やらリボンやらが山ほどついたゴテゴテのピンクドレス姿。おまけに高飛車な口調で傲慢な態度の、まさしく『ミニ悪役令嬢』といった見た目なのです。

 そんなジノービアちゃんを見た、十代とおぼしき門番の目が丸くなります。


「あ、えっと、どなたですか?」


「まあ、何てこと! マッキンタイア公爵家の紋章が目に入らないなんてっ!」


 ジノービアちゃんが叫びます。プライドを傷つけられたらしく、彼女の声は裏返り、頬がピンク色に染まっています。


「私は筆頭公爵家マッキンタイアの長女ジノービアですわ! 私のお母様は隣国セフトフォードの王女。おばあ様は海を隔てたスケフィントンの王女。両国は女性の王位継承を認めている。つまり私は両方の王位継承権を持っているの!」


 私は礼儀正しく、慎ましやかにジノービアちゃんの後ろに立って、内心で頭を抱えました。


(そうだった、ジノービアちゃんってそうだったっ!)


 彼女は普段はすごく気さくな子で、まったく血筋をひけらかさないので、私はすっかり忘れてしまっていたのです。


「今日はランダル・アクアノートの婚約者、アイシア・フォレット伯爵令嬢の付き添いで来ましたの。さあ急ぎなさい、この私を待たせるのは途方もなく無礼でしてよ?」


 ジノービアちゃんにこう言われて、いったい誰が反論できるでしょう。


「は、はいいいっ!」


 自分より五十センチは背の低い相手から、虫けらを見るような眼差しで見下された門番は、いつの間にか増えていた野次馬たちに「ランダルさんを探してきてくれえええ」と頼み込みました。


「私たちをここで待たせるつもり? 今すぐ最上級の応接室へ案内してちょうだい!」


「はい、中にお入りください!」


 門番が扉を大きく開けます。門の向こうからこちらを眺めていた人垣が、ぱっと大きく割れました。非番の騎士さんって思ったよりたくさんいるんですね。


(お茶会の日のランダル様は非番。でもあれだけ不測の事態が起こるくらいだから、寮にはあんまり人がいないんじゃないかと思ってた……)


 ずんずん歩いていくジノービアちゃんと、スキップするような軽い足取りのシルチェスターの後ろを、私はうつむき加減に歩きます。八歳児二人に付き従う、強くて過保護な護衛合計十名に前後左右を守られながら。


(ダメだ……目立たないようにしようとしても、まったく思うようにいかない)


 そもそも出発の時点でひと悶着あったのです。

 私は途中までは我が家の馬車に乗り、騎士団寮の近くから徒歩に切り替えたかったのに、ジノービアちゃんはマッキンタイア公爵家の紋章入りの馬車で門前まで乗りつけると言って、一歩も譲りませんでした。


(うう、騎士団の皆様が顔を寄せ合って、ひそひそ話をしている……っ! 『あれがランダルさんの』とか『初めて見た』とか聞こえる。たぶんだけど『大したことないな』とか『地味だな』とか『不釣り合い』とか言っていると思うっ!!)


 私はサファイヤのジュエリーセット『ファム・ピール』の入った革製のアタッシュケースを、ぎゅっと抱きしめました。

 何しろ私はデビュタント前。人が多い所にほとんど行ったことがないのです。 


(婚約しているのだから、付き添い付きならランダル様と一緒に外出しても問題ないけれど、一度も誘われたことがないし……)


 私なら騎士団の誰にも顔を覚えられていないから、目立つわけがないと思っていました。そう、ひとりで来てさえいれば。シルチェスターに同行を頼んだ時点で、私は失敗していたのです。


(何をやっても裏目に出てしまうこの状況。ランダル様にジュエリーセットを渡して、謝り倒して即刻帰ろう)


 応接室に案内してもらった時には、私は疲れ果てていました。しかし騎士団の皆様はこれ以上ないほどのもてなし上手で、隅っこにちんまりと座る私にも優しく接してくださいます。


「ランダルが来るまで、もう少しかかると思いますよ。手分けして敷地内を探し回った結果、エイドリアナ王女殿下と訓練所で剣の打ち合いをしていることがわかったので」


 茶色の髪を長く伸ばした穏やかそうな騎士さんの言葉に、私ははっと顔を上げました。


「エイドリアナ王女殿下は剣を振るわれるのですか?」


「ええ、まあ、あのお方はちょっと変わっておられるので。とはいえ練習に付き合っているのはランダルだけですよ」


「あの、私でも見学できますか? ランダル様の邪魔にならないように、こっそりひっそり」


 今更こっそりひっそりもないだろう、という声がどこかから聞こえてきそうです。それでも私は騎士さんに「お願いします騎士様」と頭を下げました。


「私のことはクロードとお呼びください。サレイジュ王弟殿下付きの騎士で、ステヴァートン伯爵家の嫡男です」


 クロード・ステヴァートンという名前らしい騎士様が、丁寧に頭を下げてくださいました。


「先ほどのアイシア様のお望みですが、叶えて差し上げることは可能です。ただ付き添いがこう大人数では、こっそりひっそりとは……」


 クロード様が困ったように応接室の中を見回します。私もつられて、彼の視線を追いました。


 私とクロード様の視線が、ジノービアちゃんで止まった次の瞬間でした。彼女がにんまりと笑いながら立ち上がったのです。


「あなた、ステヴァートン伯爵家の嫡男だと言ったわね?」


 ジノービアちゃんがこちらに近づいてきながら尋ねます。結構距離があったのに、恐るべき地獄耳ですね。クロード様が「はい」とうなずくと、彼女の笑みはさらに深くなりました。


「サレイジュ王弟殿下付きだと言ったわね。あのお方は三年以上遊学の旅に出ていたはず。あなたも同行していたの?」


「はい、もちろん」


「年齢は?」


「十八歳です」


「婚約者はいる?」


「おりません」


「それは素晴らしいわ……っ!」


 ジノービアちゃんの頬が薔薇色に染まりました。

 私は早くエイドリアナ王女をこの目で見たくて、そわそわしてしまいます。そんな私の様子に気づいたのか、ジノービアちゃんが傍らのシルチェスターに言いました。


「シルチェスター様だけが、アイシアお姉様に付き添って差し上げて。私はここで、ランダルの様々な『やらかし』を騎士団の皆さんに教えなきゃいけないから!」

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