ひとりぼっち令嬢は正しく生きたい~婚約者様、その罪悪感は不要です~
参谷しのぶ
第1章 伯爵令嬢アイシア
1
「アイシア、お願いだ。君のその胸で輝くブローチを貸してもらえないだろうか!」
婚約者同士の月に一度のお茶会の席で、アクアノート公爵家嫡男のランダル様が勢い良く頭を下げました。
「もしかして、エイドリアナ王女殿下のためですか?」
紅茶のカップをソーサーに戻し、私は小首をかしげます。
私こと十七歳の伯爵令嬢アイシアと、公爵令息で王女の護衛官でもある十九歳のランダル様が婚約したのは三年前。
月に一度のお茶会は、婚約時に交わされた約束事です。でもランダル様は王女の護衛という仕事が忙しいらしく、ドタキャンや遅刻や途中退席は数知れず。
今日は久しぶりに定刻通りに始まって、王女様からの呼び出しもなく、平和に終わりそうだと思っていたのに。
「このブローチは我がフォレット伯爵家に代々伝わる家宝です。そう簡単にお貸しできる品ではありません」
私が言うとランダル様が頭を上げ、テーブルに置いた右の拳をぐっと握りしめました。
金髪碧眼のランダル様は見た目こそ柔和な王子様のようですが、内面は男くさくて直情的で、誰よりも熱い心の持ち主です。
「エイドリアナの婚約が、今度こそ決まりそうなんだ。相手はクランデル王国の第三王子だ。だが国王陛下も王妃陛下も、エイドリアナのために金を使う気はない。彼女は押しも押されもせぬクロスランド王国の王女なのに」
「たしかに、エイドリアナ様は素晴らしいお方だと伺っておりますわ。容姿端麗、頭脳明晰、温厚篤実。彼女に足りないのは身を飾る品々だけ。現国王陛下と不仲だった、先代国王陛下の娘と言うだけで虐げられて、お可哀そう」
私は脳内でエイドリアナ王女の絵姿を思い浮かべました。
画家の手による彼女は、抜けるように白い肌、銀の巻き毛、空色の瞳が冴え冴えと美しく輝き、まるで氷の妖精のよう。ランダル様ご自慢の気高き孤高の王女は、地味な黒髪黒目の私の何倍も美しいのです。
「そうなんだ、不憫でならないんだ! だから見合いの場となる大舞踏会で、最高に美しく着飾らせてやりたいんだ!! 十七歳のエイドリアナが、社交界デビューするその日にっ!!」
ランダル様が頬を紅潮させます。私は扇を開いて、漏れたため息を隠しました。
「なるほど。お見合いは、デビュタントの初舞台となる大舞踏会で行われるのですね」
「その通りだ。私にとっても大仕事だ。何をおいても、エイドリアナを全力で支えなければならない」
「ランダル様にとって、それは最優先事項ということですか?」
「そうだ」
「では私がブローチをお貸ししたとして……他のアイテムはどうなさるのですか? ドレスは? 扇や手袋や手提げ袋は? 靴は? 髪飾りは?」
「そ、そこらへんは、王女付き護衛官としての俺の給金から何とかする。ずっと使わずに貯めていたんだ。父上──アクアノート公爵は現国王の宰相だから、頼れない」
私は「まあ」と感嘆の声を漏らしました。
「そうですか。なけなしの貯金を全部、エイドリアナ王女殿下のためにお使いになるんですか。素晴らしい忠誠心ですこと」
(私は花の一本も貰ったことがないけれど)
扇に隠れて呟いてから、私は咳払いをしました。
「でも残念ながら、ジュエリーまではお金が回らないということですね。さっきランダル様は私に『ブローチを貸してくれ』とおっしゃいましたよね?」
「あ、ああ」
「でもブローチだけでは、エイドリアナ様はクランデル王国の第三王子に受け入れてもらえないと思います。ジュエリーはセットで身に着けてこそ意味を持つのですから」
「そうなのか?」
ランダル様はきょとんとした顔になり、それから恥ずかしそうにうつむいてしまいました。
「目立つ装身具がひとつあれば十分だと思っていた。俺は母がすでに亡くなっているから、ジュエリーには疎いんだ。おまけに七歳で騎士団に入って、男子寮で育ったし」
私はやれやれと肩をすくめます。
「ランダル様がジュエリーに疎いことは存じていますわ」
(だって普通の貴族の若者なら、婚約者に指輪ひとつ送ったことがないなんて、ありえませんもの)
私は扇に隠れて呟いて、また咳払いをしました。
「ジュエリーは女の鎧です。ステイタスシンボルです。同種の宝石を用いて意匠を凝らしたアイテムをひと揃い身に着けていないと、舐められます。公式の場では特に」
「そ、そうなのか。でも君が俺とのお茶会で、ジュエリーをフルセットで身に着けた姿は、見たことがないように思うのだが」
「ええまあ。婚約者とのお茶会は気軽なものですから」
(私だって最初の一・二回は気合を入れていたわ。でも土壇場キャンセル・遅刻・途中退席が当たり前の人相手に、着飾る意味ってある?)
扇に隠れて呟いて、私はまたまた咳払いをしました。
「アクアノート公爵家の金庫には、亡きお母上のジュエリーセットがいくつも収められていると思いますが……エイドリアナ王女陛下の為となると、公爵様は貸してくださらないでしょうね」
「ああ。父上は、俺が前国王の娘の護衛官をしていることが気に入らないんだ。だがエイドリアナを守れと、亡き母上が俺に遺言を残した。だから俺は全力をもって職務に邁進しなければならない」
「ランダル様の亡きお母上ジョスリン様と、エイドリアナ王女殿下の亡くなったご母堂の前王妃キャサリン様は、双子の姉妹だったんですよね」
「そうだ。俺にとってエイドリアナは主君であり、従妹であり……正直、妹同然だと思っている」
「つまり、何よりも大切な存在であると。婚約者のジュエリーセットを使わせてやりたいほどに」
「ああ、その通りだ」
私の確認に、ランダル様がこくんとうなずきます。その答えが婚約者の心を抉るとも知らずに。
(この三年で慣れてはいるけれど……やっぱり傷つくなあ)
私は扇に隠れて、目に浮かんだ涙をハンカチでそっと拭いました。
(裏表のない性格のランダル様。一本気で猪突猛進のランダル様。私ではなくエイドリアナ王女を愛しているランダル様。たぶん、これから起こることを何も考えていないランダル様)
私は扇を畳み、じっとランダル様を見つめます。
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