99%がBADエンドの同人乙女ゲームに転生したので、幼馴染とともに王女殿下の恋愛エンドを全力で阻止します

藤宮晴

99%がBADエンドの同人乙女ゲームに転生したので、幼馴染とともに王女殿下の恋愛エンドを全力で阻止します

 自分が作った同人乙女ゲームの伯爵令嬢(モブ)に転生しました。


「んなわけあるかっ!」


 鈴木嵐子――アナベルは力の限り叫んだが、人目を避けて隠れた庭園で、叫びを聞くものはいない。

 嵐子の転生先は、自作の同人乙女ゲーム『無垢な聖王女は闇落ちる者たちに溺愛される』の世界である。

 公式で略称は定めていないが、エゴサした結果、購入者からは『闇溺』と呼ばれているらしい。

 幼馴染と一緒に初めて作った同人ゲーム。加減が分からず、これでもかと性癖を詰め込んだ傑作だ。

 嵐子は闇落ちか好きだ。

 特にシチュエーションとしては、闇落ちしたキャラが、光に触れ、浄化される――のではなく、光を逆に闇の道へ堕とす、そんな展開が大好物である。

 そのため、ゲームの攻略キャラクターたちは皆個性あるイケメンだが、どいつもこいつも最終的には闇落ちする、『かなりヤベーやつ』揃いであった。

 そして、用意したエンディングは百にも及ぶ。九十九がバッドエンド。

 結果、主人公が死に、世界が滅ぶ。

 ひとつだけ用意したノーマルエンドは、主人公は誰とも結ばれず、世界を救う、言うなればハッピーエンドに近い。

 そんな超絶ハードモード世界観の乙女ゲームに、嵐子は転生してしまったのである。


 ***


(百分の一だけノーマルエンドなんて、誰がそんなクソゲー作ったのよ……)


 密かに罵るが、本人である。

 前世、鈴木嵐子。二十六歳。幼馴染と有志を集って同人ゲームを作成した。

 その方向性を酒の勢いで決めて、シナリオを書き上げたのは嵐子張本人である。


(でもあたし、好きなものを作りたかっただけで、まさかこんな目に合うとは思わなかったのよ……!)


 嵐子の転生先は、アナベル・エヴァンス。ゲーム中には登場しない、いわゆる『モブ』の伯爵令嬢である。

 年齢は十歳。小さな手のひらでペタペタと頬を触ると、アラサーの肌にはない、モチモチ感がある。

 ここが転生先の世界であると気づいたのは小一時間前のこと。

 主人公であるセラフィーナ王女殿下主催のお茶会に呼ばれ、クッキーを齧っていると、突然雷に打たれたような衝撃がアナベルを襲った。

 そして、すべてを知った。

 前世を。そしてアナベル・エヴァンスという人間を。

 急に挙動不審になったアナベルを、セラフィーナ王女殿下を筆頭に、周りのご令嬢たちは心配したようだ。

 アナベルは咄嗟に「おほほほほほ、わたくしお花を摘みに参りますわっ!」とにっこりと笑い、そそくさとお茶会の場を抜け出したのである。そうでもしないと、錯乱した自身が何を口走るか、制御する自信がなかったのだ。


「うーわ、マジで、どうしよう……」


 嵐子とて、異世界トリップとか、異世界転生にはいい年しながら憧れを抱いていたが。

 だが、それがこんな形で叶うなんて。まったく望んでいない。

 どうせなら、ヒロインになって異世界ハーレムを形成したり、悪役令嬢になって運命に抗ってみたり、そういう展開が良かった。難易度ナイトメアな乙女ゲームは固くお断りだ。

 アナベルは頭を抱えて、ブツブツと愚痴を口にする。


「せめて、あたしが主人公に転生していたら……」


 主人公はフェニックス王国の第一王女、セラフィーナ・メイ・フェニックス。

 セラフィーナは十六歳の誕生日、魔物に襲われ、九死に一生のところを、闇を払う力に目覚める。

 そして彼女は聖女と呼ばれ、王国を脅かす魔物たちを滅ぼす――それが『闇溺』のざっくりとした共通ルートである。

 個別ルートに入ると、多種多様なイケメンと恋に落ち、強力関係を結び、魔物たちの首長である魔王を滅ぼす。

 しかしいずれも、最終的に攻略対象は闇落ちして、主人公を殺すのだ。

 聖女である主人公が死ぬことで、魔物たちが復活し、王国は滅びる。

 仮に、嵐子が主人公に転生していれば。攻略対象としっぽり仲を深めながら、しかし本気の恋には落ちないよう、ノーマルエンドを攻略していただろう。

 だが今は、モブだ。作中には登場しない名無しさんである。

 仮に攻略対象を誘惑したとて、作者でさえ想定されていないルートを選んで、無事嵐子が望むノーマルエンドが迎えられるだろうか。


(いや、絶対に無理だろ……)


 親であるからこそ分かる。

 攻略対象は光を好む。中身がアラサーで、『闇落ち大好きだからバッドエンドだらけのゲームを作ろう!』なんてゲスに、まず惹かれはしない。

 逆に、王女との恋路を邪魔する、それこそ悪役令嬢として断罪されるだろう。

 幸運なことに、『闇溺』の物語は、主人公のセラフィーナが十六歳を迎える少し手前から始まる。

 セラフィーナ王女殿下は現在六歳。つまり、あと十年の猶予があるのだ。


(何とかしないと……。でも、モブひとりでどうにかできる問題か?)


 アナベルがウンウン頭を悩ませていると、生垣から、カサカサと葉が揺れる音がする。

 まるで乙女ゲーのイベントのようではないかと思いながら、アナベルは音の先に視線を向けた。

 何か、夢中になっていたのだろう。生垣の隙間からひょっこりと飛び出したのは、アナベルとそう歳の変わらない少年だった。


「信じられない……。まさか、この世界って、『闇溺』?」


(…………ん?)


 ふわふわの金色の髪に葉っぱが乗っているが、本人はそれどころではないのだろう。

 幼い顔には似合わない深刻な表情で、少年は俯きがちにブツブツと呟いていた。


「なんで僕、伯爵家の次男に転生したんだろう……。せめて攻略対象のひとりだったら、セラフィーナ王女を攻略して、ノーマルエンドにすることだってできたのに……」


 その声には聞き覚えがある。

 まだ幼い横顔も。


(まさか、まさか……)


 アナベルはゴクリ、と息を呑んで、未だアナベルの存在に気づいていないだろう少年に声をかけた。


「ねえ、あんたまさか、ユヅ、なの?」


 すると少年は、大きな瞳を限界まで目を見開いて、くちびるをわななかせた。


「…………ラン、ちゃん?」


 ***


「えーっと、つまり状況を整理すると、ユヅあんたも転生して、今はダニエル・レコードっていう、作中では登場しない伯爵家の次男に転生したのね。今日ここにいるのは、第一王子の友人である兄の付き添いと」


「うん。ランちゃんも『闇溺』のモブ役に転生したんだね……」


 アナベルの隣に身を縮こまらせて座る少年、ダニエル・レコード。

 その中身は、木佐木結弦。

 嵐子の二つ年下の幼馴染で、『闇溺』のイラストやデザイン担当である。


(まさか、ユヅも一緒に転生するなんてね……)


 結弦とは家が隣同士で、家族ぐるみの付き合いがあった。

 昔から結弦は、嵐子を実の姉のように慕い、頼っている。

 内向的な結弦はからかいの対象となることが多く、そんな結弦を守りイジメっ子を追い払うのは、男勝りな嵐子の役目だったのだ。

 彼は読書やゲームが好きで、二人の姉の影響か、昔から少女趣味なところがあった。

 嵐子が乙女ゲームという存在を知ったのも、彼が勧めたからである。


『僕、ランちゃんに、僕が好きなもの、知って欲しいんだぁ』


 キラキラとした瞳で口にされれば、興味がなくとも断れまい。

 彼に勧められるがまま、嵐子は次第に乙女ゲーム沼にズブズブと沈んでいったのだ。

 オーソドックスなハッピーエンドを好む結弦は、同士を作りたかったのだろう。しかし独自に癖を開拓した嵐子は、辿り着いてしまったのだ。

 『闇落ち』というジャンルに。

「『闇落ち』したイケメンだらけの乙女ゲームが作りたい。もちろん全エンド、バッドかメリバで」

 と嵐子が提案したとき、彼はものすごく困った顔をしながらも、「ランちゃんがそこまで言うなら……」と了承してくれた。

 ただし、ひとつだけノーマルエンドを入れて欲しい。あまりにも尖りすぎているから、と懇願されて、嵐子はしぶしぶ妥協した。


(あの時妥協して正解だったわ……あたしの性癖丸出し物語だったら、転生後の人生、バッドエンド確定だったもの……)


 いわば彼は、救世主である。

 その救世主の姿をまじまじと眺めていると、アナベルの頭にはひとつの疑問が浮かぶ。


「ねえ、ユヅ」


「うん? なに、ランちゃん」


「あたしたちって、異世界トリップしたのかしら。それとも異世界転生?」


 昨今の流行りで言えば、信号無視のトラックに轢かれたり、過労や病気で倒れたり、死を迎えるパターンが主流だろうか。

 しかし生きている状態で、異世界にトリップする、その可能性も捨てがたい。


「……もしかして、ランちゃん、覚えてないの?」


 困惑顔で控えめに訊ねるダニエルには、どうやら思いあたる節があるらしい。


「まあ、無理もないか。ランちゃん、かなり酔っぱらってたし……」


「えっ?」


「ランちゃん、歩道橋の上から足を滑らせて、階段から落ちちゃったんだ」


「はっ?」


 あまりにも間抜けで自業自得な死因に、アナベルは耳を疑った。

 それに、結弦もダニエルとして転生しているということは。

 ダニエルはひどく言いづらそうに、続けた。


「僕もその、…………巻き込まれて」


 つまり結弦の死因は、嵐子にあった。


「申し訳っ、ございませんでしたぁ!」


 アナベルはダニエルに向けて、勢いよく土下座した。


「えっ、ランちゃん、ダメだよ、汚れちゃうから、頭を上げて……!」


「うわあああああ、アラサーにもなって、お酒のやらかしで自分だけじゃなく、幼馴染を殺すなんて、ドジとかいうレベルじゃないよ! 『闇溺』の攻略対象よりも、あたしが一番やべーやつじゃん!」


「しょ、しょうがないよ、起きちゃったものは」


「いやいやいやいや、死んじゃったんだよ! そんな軽く納得すんな!」


「でも、今はこうして生きてるし……ランちゃんと一緒に生まれ変わったんだもの、これほど心強いことはないよ」


 小さな手が、アナベルを抱きおこす。ふにゃりと笑うダニエルが眩しすぎる。

 作中に存在しないキャラクターだからだろうか、ダニエルの容貌は、転生前の幼い結弦によく似ていた。

 少女めいた顔立ちを本人は嫌っていたようだったが、嵐子は天使のように可愛いなぁと思っていた。


(ああ、天使ダニエルの光に浄化されて、消えてしまいたい……)


 いや、それではダメだ。

 この光の幼馴染を守らなければ。

 アナベルは立ち上がると、グッと握り拳を作った。


「ユヅ、決めたわよっ! あたしたち、絶対に、生き残ってやる!」


「え?」


「責任取るわ。ううん、取らせてください。今度の人生はあんたが死なないよう、あたし『闇溺』のストーリーを変えてやるんだから!」


「う、うん……」


 アナベルの勢いについていけないのだろう。ダニエルは呆然としながらも、頷いた。


「それじゃあ、明日から本格的に話し合うわよ。集合場所は――」


「あのね、ランちゃん」


 困ったように眉を下げたダニエルは、アナベルの袖を引きながらオズオズと言う。


「今の僕たちは伯爵家の子息と令嬢で、これからは簡単には会えないと思う。何かパーティのような集まりがないと……」


 言われてはたと気づく。そうだった。

 前世は家が隣だったから互いの仕事がなければ、気軽に会いに行くことができたが、今世はそうもいくまい。


「しばらくは文通して、社交界デビューするようになったら、顔を合わせることができるようになると思うから……」


「そんな悠長にしてる余裕なんてないわよ……そうだ!」


 あるではないか。二人きりで作戦会議の密談ができる方法が。


「ユヅ、あたしたち婚約するわよ!」


「……えっ?」


 アナベルの突拍子のないプロポーズに、ダニエルは青い瞳を見開いた。


 ***


 それからのアナベルの行動は早かった。

 前世のころから、これと決めたら真っすぐに突っ走る性格である。それはアナベルになっても変わらない。

 帰宅したアナベルは、


「王城で偶然出会った伯爵子息ダニエル・レコードは運命の相手だ、彼と婚約したい」


 と父に頼み込み、なんとか婚約までこぎつけた。

 それだけではない。可憐なセラフィーナ王女殿下を守る騎士になりたいと、剣術の訓練に来る日も来る日も明け暮れた。

 その努力が実を結び、アナベルが十八歳、セラフィーナ王女殿下が十四歳の時に、護衛騎士を任されるようになったのだ。

 ダニエルは剣の才能こそなかったものの、魔術の才能があったため、セラフィーナ王女殿下の護衛役として指名された。

 王女殿下のノーマルエンドは攻略対象と規定値以上の恋愛イベントを発生させて、だが誰とも結ばれずに、魔王を滅ぼすこと。

 アナベルとダニエルは綿密に議論を重ねて、結論を出した。

 ヒロインであるセラフィーナを、攻略対象を手玉に取る悪女にする計画である。

 セラフィーナ王女殿下はヒロインらしく、無垢で優しい、可憐な乙女だった。

 彼女と親密になったアナベルは、そんなヒロインに『洗脳』という教育を施した。


「デイミアン王子は、笑顔が素敵で、どなたにも優しいの。素晴らしい人格者ですね」


 デイミアン王子は、先日視察で出会ったばかりの隣国の第二王子だ。

 爽やかで、身分分け隔てなく、公平に振舞う紳士。

 そして、攻略対象のひとりである。

 頬を赤く染めて口にする王女に、アナベルはニッコリと笑顔を浮かべながら言った。


「そうですかぁ? あの貼り付けた笑顔の下で、何を考えているか分かったものじゃないですよ。誰にでも優しいのは、むやみに敵を作りたくないから。今度諜報員を使って調べてみましょう。彼の『お友達』は、白日の下に晒すには不適切な方ばかりです」


「そ、そう? 分かったわ。アナベルが言うなら……」


 後日、王国の優秀な諜報員に調べさせた。

 魔王踏破後、王位簒奪を狙うデイミアンの交友関係は、真っ黒である。

 セラフィーナ王女殿下は報告を受けて、真っ青な顔をしていた。

 そんな彼女に、アナベルは吹き込んだ。


「王女殿下は受け止め切れないと思いますが、人間、多面性があるものです。清廉潔白ではないデイミアン王子。その顔も含めて、デイミアン王子と言えるのではないでしょうか?」


「……そうね。わたくし、その人の本質ではなく、綺麗な上辺だけしか見えていなかったみたい」


「はい。人の本質を見極めて、人間関係を築くことは、大切なのです」


 しっかりと言い含めるアナベルに、セラフィーナはくすくすと笑いながら言った。


「ふふっ。それではアナベル。貴女の裏の顔を見せてくださる?」


「もちろんです、セラフィーナ様。私は、『闇落ち』が大好物のオタクです」


「……『闇落ち』……?」


 アナベルは小一時間、『闇落ち』について、教授した。

 ダニエルは呆れた顔で、会話に興じる二人を眺めていた。


 ***


 十六歳の誕生日を迎えたセラフィーナ王女殿下は、聖女としての力に目覚めた。

 そして攻略対象のイケメンたちを攻略しつつ、何とか魔王を封じることに成功した。

 攻略対象を散々利用しておいて、言い寄られながらも誰も選ばない。最高の悪女である。

 魔王を倒した聖女一行の凱旋パレードを眺めつつ、アナベルはポツリと呟いた。


「ダニエル。あたし、思うんだけど」


「うん」


「ハッピーエンドも、案外悪くないわね」


 王国の民たちから歓声を受け、花咲くような笑顔を浮かべる王女殿下、セラフィーナ。

 魔王を倒した。彼女の未来がどうなるか、作者であるアナベルでも分からない。

 だが、強かに成長した彼女であれば、きっと正しい未来を選び取れるだろう。

 闇に打ち勝ち、光で照らす彼女であれば。


「あのランちゃんから、そんな言葉が引き出せるとは思わなかったよ」


「あたしだってそう思うわ。でもようやく、肩の荷が下りた感じ」


 グッと背伸びをすると、ダニエルはアナベルの躰をそっと引き寄せた。


「……ダニエル?」


「物語は一段落したから、これからは僕たちのハッピーエンドの時間、だよね?」


 恥ずかしそうに、モジモジと言うダニエルは、ここ十年で見違えるほどの成長をした。

 背はアナベルを越え、頭ひとつぶん差が開いている。魔術師でありながら、アナベルよりも逞しい躰。少女めいた顔つきは、中性的な美しさを残しながらも、男らしいそれへと変わっていた。

 互いに二十歳になって、だが、物語改編のために四苦八苦していたアナベルたちは、未だ結婚していない。


「そうね、それなら、第二の人生を、満喫するとしますか」


 背伸びして、アナベルはダニエルの頬に手を添えて。触れるだけの口づけをした。

 うん。ハッピーエンドも、なかなか悪くない。


 ***


(ランちゃん、ランちゃん。大好き、大好き、大好き……)


 軽く触れるだけの口づけでさえ、躰がジン、と痺れるようだった。

 抱きしめればすっぽりと腕の中に納まってしまうアナベル――嵐子を、結弦は転生前から愛していた。

 だって、結弦にとって、嵐子は光だったから。

 幼い頃から男らしさとは程遠い顔と趣味。だから結弦は、同級生や年上から虐められることが多かった。

 だが、嵐子は身を挺して助けてくれた。

 結弦のヒーロー。恋に落ちるのは、必然だった。

 思春期を迎えても恋愛ごとにまったく興味がない嵐子に、結弦は少女漫画や乙女ゲームを勧めた。結弦の好きを理解してもらいたい、その一心で。

 初めは「なんでこの俺様我儘御曹司を、主人公が好きになるの?」と眉を顰めて首を傾げていた彼女も、場数を重ねるうちに、男女の機微を理解し始めたらしい。

 そんなサッパリとした彼女が『闇落ち』にハマるとは、予想外であったが。

 結弦はハッピーエンドが好きだ。しかし嵐子はそうではない。

 だが、互いの好きを否定せず、語り合える時間は、心地よい。

 それは恋する相手だから、余計に。


「『闇落ち』したイケメンだらけの乙女ゲームが作りたい。もちろん全エンド、バッドかメリバで」


 と、嵐子からお願いされたときは、正直困惑した。

 彼女の性癖は理解しているが、あまりにも極端すぎたから。

 嵐子の好きを否定するつもりはない。

 でも、結弦はちょっとだけ、欲を出した。


(僕は、ランちゃんと、ハッピーエンドを迎えたいよ)


 誰も愛さなくていい。

 それでも身を滅ぼさず、生きていて欲しいと、結弦は願ったから。

 だから『闇溺』にはひとつだけ、ノーマルエンドの道が残された。

 そして、同人乙女ゲーム『無垢な聖王女は闇落ちる者たちに溺愛される』は発売された。

 『闇落ち』は一定数の需要があり、『闇溺』はそこそこ好評のように思えた。

 同人サークルの飲み会帰り。結弦とふたりの帰路。

 酒で高揚したのか。顔を赤くして、視線が定かではない嵐子は言った。


「あたしもぉ、ヒクッ、闇落ちイケメンにぃ、愛されたいのぉ~」


「…………ラン、ちゃん?」


 歩道橋を上り、フラフラと千鳥足で、彼女は言う。


「ヒクッ……父さんたちは、あたし、二十六歳だし、ヒクンッ、はやく結婚、しろって、ヒック、言うけどぉ……、あたしのことを殺しても手に入れたい男と、結ばれたいのぉ、ヒッ、ただ愛されるだけじゃ、物足りないのぉ……」


 歩道橋の欄干に体重を駆けながら、嵐子はぼやく。


「特別に、強烈な愛が、欲しいのぉ!」


 へべれけな嵐子に、正常な意識があるかは不明だった。


「うへへ、マッチングアプリ、始めちゃおうかなぁ~」


 人差し指で不器用にスマホを叩く嵐子の姿を目にして、結弦の頭にカッと血が上った。


(嵐子ちゃんが、他の男のモノになる……?)


 そんなこと、あっていいはずがない。

 だって、嵐子は。

 僕だけのヒーロー。


(他の男は見ないで。僕だけを見ていてよ、ランちゃん)


 欄干に身を委ねる嵐子の躰を抱きすくめると、嵐子は夢見がちな表情で、「ユヅ?」と呼んだ。


「そうだよ。僕は君だけの、ユヅ」


 そして君は、僕だけのランちゃん。

 誰かに奪われるくらいなら。

 壊してしまえ。

 結弦がパッと手を離すと、嵐子は階段を転げ落ちる。


(ああ、でも死ぬときは一緒だから。それが夫婦の、約定だもの)


 彼女の死を見届けて、結弦は歩道橋の欄干に足をかけ、迷いなく飛び降りた。


 そして、物語は始まる。

 結弦の望む、ハッピーエンドを迎えるために。

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99%がBADエンドの同人乙女ゲームに転生したので、幼馴染とともに王女殿下の恋愛エンドを全力で阻止します 藤宮晴 @fujimiya_hare

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