第9話

~ベータシア星系の第十六惑星宙域へ向かって航行中~


 サンゴウはグレタを発ち、一旦は針路をベータシア星系の主星である第三惑星へと向けていた。


 ただし、そのまま主星へと向かうだけだと、ロウジュたちを送り届ける案件については完遂できるが、ベータワンの曳航引き渡しの問題は同時に片付くことがない。


 航行中の現段階では、それがジンの収納空間に入ったままであるため、そもそも曳航状態にすら、まだ移行していないのだ。


 付け加えると、ベータワンがジンに持ち運びされている状態なのをベータシア伯爵家に知られるのは非常に不味い。


 よって、その点をなんとか誤魔化す目的で、さも「ここに隠してあったんですよ」と言い逃れができるような、最も都合の良い宙域をサンゴウは探していたのだ。


 そうしてサンゴウが見つけたのは、同じ星系内の第十六惑星宙域。


 そこには、結構な密度と範囲を誇る、『小惑星帯』が存在しているのである。




 ジンはサンゴウが発見した小惑星帯についての説明を受ける。


 とは言っても、『実質的に他の候補地はない』わけであり、ジンの判断基準は『そこで大丈夫か否か?』でしかない。


 もし、条件的にダメそうに思えたら改めて他を探すようにサンゴウへ指示を出すしかなく、そうでなければそこで決定するだけとなる。


 これは、サンゴウとしては最上を目指して候補地を探したわけだが、ジンの側にはそこまでの拘りはなかっただけの話なのだった。


 尚、少々未来の話を先に語っておくと、結果的には「わりと、どうにでもなるどうでも良い案件だったね」になったりするのだが、予知能力を持たない勇者と生体宇宙船のコンビにそれを事前察知させるのは不可能である。


 密談の結果、『小惑星帯にベータワンを隠していたことにして、収納空間の存在を誤魔化すのが適当』という結論になり、サンゴウが設定する当面の目的地はそこに決まる。


 針路変更であった。


 そうと決まれば、次に注意を要する点は、『乗船中の旅客であり、ベータシア伯爵家の関係者である七名に、誤魔化すことを悟られるわけにはいかない』という部分となる。


 小惑星帯への到着時刻が、彼女らの就寝中の時間帯に重なるように。


 つまりは、サンゴウが上手く時間調整をせねばならないのである。


 そして、それはジンの手が及ぶ領域の話ではない。


 そのため、そういった調整は全てがサンゴウに丸投げとなってしまうのだった。


 そうして、決めるべき事を決め、サンゴウとの密談を終わらせたジンは、入浴も済ませてくつろぎモードに入って行く。


 いかに「勇者」と言えど、二十四時間、年がら年中常在戦場モードを継続していては心身ともに持たない。


 むろん、完全な無防備状態までジンの警戒レベルが下がることもまた、よほどのことがない限りはないのだけれど。


 とにもかくにも、ベータワンの取り扱いの案件以外は、取り急ぎで決めなければならないことが何もなかったのもあって、ジンは少々気を緩めたのである。




 そんな経緯で気を緩めたこの時のジンの思考は、食べ物のほうへと向く。


 特にやりたいことがないと、人間は自然に日々の食事へと興味が向かう生物なのかもしれない。


 少なくとも、勇者ジンはそちら側なのだった。


 サンゴウで毎日朝昼晩と用意される食事は、栄養価の面では文句をつけるところがないレベルとなっている。


 個々の乗員、例えばジンに出される食事を例にとると。


 ジンの身長と体重に始まり、骨格や体型、筋肉量や体脂肪を勘案した上で、ベストの状態を保てるよう、計算され尽くした食事が提供されるのだ。


 むろん、日々の運動量もサンゴウの計算要素に含まれているのは言うまでもない。


 それに加えて、味の方もまぁ、レベル的に『一流』ではなくどちらかと言えば『下の方』ではあるかもしれないが、一応プロの料理人の域に達しているので「美味しい」とは言えるだろう。


 ただし、ジンからすると、それで問題が全くないわけではなかった。


 サンゴウから提供されるそれが数日続いた段階で、ジン個人としては「全く問題がない」とは言えなくなってしまっていたのだ。


 それは何故か?


 サンゴウに用意できる食事のメニューとは、デルタニア星系の軍のそれと、サンゴウを試作船として完成させた、とある軍事向けの造船企業のそれとがベースとなっている。


 そしてそれらは、ジンの視点で語ると『全てが洋風』であり、いわゆる『洋食ばかり』なのだった。


 元々のサンゴウの搭乗員が食べていた料理はいわゆる軍人向けのモノだったため、『料理レシピ自体がそう多くはなかった』という寂しい事情もあった。


 けれども、和食や中華に始まって、カレーなども恋しい一般的な日本人的感覚が残っているジンにとって、それはきつい。


 食事ではないけれども、日本で流通していたような駄菓子の類や、コンビニレベルで全く問題ない多種多様なスイーツ類だって欲しいのが実情だ。


 ジンがルーブル帝国にいた頃ならば、状況が状況だっただけにそれらについての我慢ができた。


 最終的には元の世界に帰れるはずだったのも、ジンに我慢ができた要因の一つだったりする。


 また、それだけではなく、その時には、金さえ出せば日本風の食事も一応食べられたのだ。


 これは、過去にジン以外の勇者がルーブル帝国にいたからなのだが、そんなことはジンにとっては重要ではない。


 むろん、食べられる日本風の食事の種類は限定されていたし、どこまで行ってもモドキレベルでしかなく、似て非なるモノではあったが。


 それでも、何もないよりはマシであろう。


 サンゴウが提供する日々の食事は、「調理されたもの」と言うよりは「レシピ通りの配合品、合成品」と言う方がより正確で実態に近い。


 つまり、サンゴウの持つ素材の組成データを前提に、同じく持っているレシピデータを上回る、上手い料理を作ることができる料理人のレシピや調理技術のノウハウが学習されれば、単純に提供される料理の質も味も上がる。


 けれども、そこは。


 実のところデルタニア星系においては、タブー視されていた部分でもあった。


 簡単にコピーされてしまうと、新たな料理人の出現が抑制され、創意工夫や創造力が減少してしまう可能性が高くなるので、それは好ましくないからだ。


 そうした理由が絡み合って、サンゴウの現状があったりするわけなのだが。


 しかし、今のサンゴウは、過去の呪縛めいたモノから解放されてもいるのだ。


 つまるところ、「サンゴウの乗員に提供できる料理が美味しくなるのなら、それで良いじゃないですか。『簡単にコピーしたらダメ』ですって? そんなの知りません」と吹っ切れてしまっていた。


 また、艦長であるジンの要望を叶えるには、サンゴウはそうなるべきでもあった。


 それ故に、だ。


 ジンのあやふやな知識の中にある、醤油や味噌を始めとするサンゴウにとっては未知の調味料となるモノへの興味は尽きない。


 また、ジンの語る和食や中華などの料理の味の完成形から、逆算して新たなレシピを試すことも積極的に協力する。


 異なる世界の食の文化の融合。


 ジンの思考が食べ物に向いたことは、サンゴウにとってもメリットがあり、両者に得となることでしかなかった。


 そんな流れで、地球産の、日本にいれば食べられるような懐かしい食べ物の再現は、ジンの暇な時間とサンゴウの全面的な協力によって進んで行くのであった。




「艦長。ロウジュさまから『二人だけで、お話がしたい』と申し入れがありました。『三十分後に前回お話した時に使った部屋へ来ていただく』ということでよろしいですか?」


「おう! じゃあ俺は先にその部屋へ行って、お茶でも飲みながら待つかな」


 この時のジンは、操船艦橋でモニターに映し出されている外部の宇宙空間の様子を眺めながら、サンゴウと日々の食事について話し合っていた。


 具体的には使用食材、調味料、調理方法は言うに及ばず、料理完成時の外観や食感、味についてまでもアレやコレやと語っていたのだ。


 よって、操船艦橋から談話室へ向かって、いそいそと移動することになる。


「それではロウジュさまには、『艦長は先に部屋でくつろいで待っているので、準備出来次第、面談をするお部屋へどうぞ』とお伝えしますね」


「そうだな。それで良い。じゃ俺はその部屋へ行くから、お茶出しだけ頼むな」


「了解です。ロウジュさまにも今、その旨をお伝えしました。では、艦長。頑張ってくださいね」


「おいおい。何を頑張るんだよ」


 サンゴウはロウジュがジンに対してするであろう話の内容について、この段階で当たりを付けている。


 三姉妹によって繰り広げられた、言い争いに限りなく近い話し合いの内容を、全て把握しているのだからそれは当然であった。


 しかし、それを事前に直接的な表現で艦長へと伝えるような、そのような無粋な真似をサンゴウはしない。


 せいぜいが、やや含みを持たせた言い方で、暗に伝えるだけである。


 もちろん、本来ならば暗にすらも伝えるべきではない。


 サンゴウだって、それを承知している。


 けれども、まだ短い付き合いであるにもかかわらず、ジンの女性への対応能力の低さを、サンゴウは理解できていた。


 人が持つ感情の機微の部分に対しても、有機人工知能は優秀なのだった。




 とにもかくにも、ロウジュがジンの待つ部屋へとやって来る瞬間が訪れた。


 ロウジュはテーブルを挟んでジンと向かい合う席へと着く。


 彼女の外見の美しさや、流れるように優美な所作にジンが見惚れてしまうのは、最早既定路線であろう。


 そして、ジンはロウジュから型通りの挨拶を受け、まずはグレタからの脱出のお礼を言われる。


 ただし、そこからは、ちょっとした沈黙の時間が発生してしまうのであった。


 美貌のエルフ女性には、ジンに伝えたい言葉があった。


 ちゃんと覚悟を決めて、ジンとの会話を望んだはずのロウジュ。


 それでも、いざ己の意中の相手を目の前にすれば、すんなりとことが進むはずもなかった。


 彼女に、そちらの面での経験値は、残念なことになかったのだから。


 謎の緊迫感が漂う沈黙の時間を受けて、戸惑いの表情へと変わりかけたジン。


 その様子を見て、ようやくロウジュは意を決することができたのか?


 ロウジュの口から、はっきりとした言葉が発せられる。


「ジン。まずは私の父から受け取るはずの報酬についての、確認をさせてください。『今、決まっている分の報酬』というのは、『最初の賊の時の掃討』と、『私たちの保護』と、『私たちをグレタまで送り届けたこと』の三つについてですよね? それらを全てひっくるめて父から報酬が提示されていて、ジンがそれに合意しているのですよね?」


 ロウジュは、前述の発言のように少し前からジンのことを『艦長』ではなく名前で呼ぶようになっているのだが、『そうした細かい変化が何故起こっているのか?』について鈍感勇者は気づけない。


 このような部分も、残念なところなのであろう。


 まぁ、そんなことは問題にもならず、話は進んでいくのだけれど。


「ああ、そんな感じだと思う。ただ、細かく個別の内容まで確認した覚えはないけれど。それでも、救助と送ったことに対しての報酬だったハズだから、その認識で合っていると思うぞ。もう伯爵さまとの間で合意していることだが、それがどうかしたのか?」


 真剣な表情のロウジュが、ジンの受け取る報酬の確認を済ませた。


 彼女がジンに向ける眼差しには、恋愛感情からくる熱量が込められている。


 けれども、ジンの側からすると、その眼差しの意味するところには気づけず、『一体何が目的で、何についての話をしたいのか?』が、よくわからない。


 この時のジンに、鈍感な部分がガッツリあったのは否定できないであろう。


 さりとて、ロウジュ側の話の進め方も、決して褒められたものではなかった。


 そこのところは、緊張状態であるから、許してあげるべきなところではあるのだろうが。


 それはそれとして、二人の会話はまだ続くのである。


「はい。以前お話をして、『現状のベータシア伯爵家は財政難』という事情をジンは知っていますよね?」


「それは理解している(おいおい、まさかとは思うが。『報酬を反故』にしたり、『値切ろう』って話じゃないだろうな?)」


 事前に聞いていた事実を肯定しつつも、ジンはロウジュの発した言葉で警戒モードに入った。

 

「今回の宇宙獣の駆除。そして屈辱的な男爵家との政略結婚を回避。実質グレタに閉じ込められた形にあった、私たちのベータシア星系への帰還に向けた救出。それと、今後の話にはなるけれど、宇宙獣の駆除を終えた伯爵領の惑星二つの復興に向けて、更にジンが動いてくれる。それらの点については、報酬のお話がまだ何もされていないのです」


 早合点をしてしまって、ちょっと警戒モードに入ったジンであったが、続くロウジュの言葉でどうやら別件だとわかって、内心ではホッとする。


 ロウジュは知る由もないことだが、ジンはルーブル帝国での経験により、『約束を反故にされる』という事象に対しては、極度の拒否反応を示すようになってしまっているのだ。


 ルーブル帝国におけるジンへの扱いは、常人の感性を以ってすると聞くに堪えないレベルで酷いモノであった。


 よって、それは仕方のないことではあるのだが。


 ここでその地雷が踏み抜かれることがなかったのは、双方にとって喜ばしいことであったのは間違いない。


「ああ。それはその通りだ。でも、それについては、だな。その、ほら、なんだ?」


「何ですか?」


「こう、なんと言うかだな。『単純に俺が個人的に気に入らなくてムカついたから、自主的にやった!』って部分もあるしな。更に付け加えて言うと、『経費として、すごいお金が掛かった』という事実もないワケだし。そもそもな。最初から『報酬をもらうので仕事として受ける』って話じゃなかったような気がするぞ」


 事実として、くだんの宇宙獣の殲滅は、ジンが独断で決めたも同然であった。


 また、経費がほとんど掛かっていないのも事実でしかない。


 まぁ経費について言及すると、より正確に表現するなら、「ほぼゼロ」が正しい。


 何故なら、ジンの食費以外は、全てがジンに融合されている『龍脈の元』からノーコストで生み出される無尽蔵の魔力によって賄われたのだから。


 勇者が聖剣を振るって、宇宙獣に攻撃をしていたのは事実なのだが。


 それでも、実際にやったのは僅か二撃だけ。


 いくら最大威力の一撃が二回であっても、それで減るのは、せいぜいほんの少しジン本人の腹くらいだろうか?


 勇者の一撃はエネルギー保存の法則だけに限らず、あらゆる物理法則に真っ向から喧嘩を売っている。


 だが、そんなことは些細なことでしかない。


 聖剣はジンの魔力で自動メンテナンス状態なのだし、今回の案件で生じた必要経費は、本当にジンの飯くらいなものであろう。


 しかしながら、それを知っているのはジンとサンゴウのみなのである。


 短時間での長駆の往復と、膨大な数に及んでいたはずの宇宙獣の完全駆除の両方をはたしてどうやったのか?


 その実態を知っていなければ、必要経費がわかろうはずもないし、理解できない話でもあろう。

 

 ただし、ロウジュの常識的感覚からすれば、ジンの主張をそう簡単に受け入れるワケには行かない。


 往復の燃料費や、宇宙獣の駆除に使った武器弾薬の費用など。


 そうした部分に必要なお金が『最低限の経費として、掛かっている』と考えるのが自然となる。


 そして、それは。


 通常であれば、決して「『経費として、すごいお金が掛かった』という事実もない」などと言って無請求で済ませるような、僅かな金額であるはずがないのだ。


 だが、その点の『今』における重要性、優先順位はどうであろうか?


 ジンに伝えたい言葉があるロウジュにとって、現時点で、わざわざ指摘して論じなければならない部分ではない。


 むろん、『重要事項には違いない』のは確かだ。


 そこに異論をさしはさむ余地などないが、今の優先度は低いのである。


 そのため、とりあえずその部分をスルーして、ロウジュは話を先へと進めた。


 ベータシア伯爵家の長姉にとって、最も重要な本題の部分には、まだ微塵も触れてもいないのだから。


「はい。そうですね。ですが、私の父は立場上、ジンに無報酬で、『ジン、ありがとう!』というお礼の言葉だけでは済まないハズなのです。おそらく、『全ての案件が片付いた段階で、諸々含めての清算をする』と、いうような話だけでもされているのではありませんか?」


 ジンはロウジュの言葉を受けて、当時の状況へ思いを馳せた、


 ロウジュのことを気にしていて、急いでいたから流してしまっていたが、宇宙獣駆除を完了させてからの伯爵への通信報告を行った際。


 伯爵との会話の中には、確かそんな感じの話もあったような気がする。


 けれども、正確な会話の内容をちょっと思い出せないジンなのだった。


「(確かあの時は、『お見合い中止の指示が入ったデータを伯爵から受け取って、ロウジュの元へ急いで持って行く』という、そのことだけしか俺の頭にはなかったからなぁ)」


 改めて当時を振り返ってみれば、反省すべき点があったことにジンは気づいた。


 そして、それに気づけば。


 ジンは自分が一人ではなく、頼れる相棒がちゃんと存在していることに思い至るのである。


「すまん。ロウジュ。ちょっとサンゴウに当時の状況を確認させてくれ」


「あ。はい。どうぞ」


「サンゴウ。今の話を聞いていたよな? あの時の『伯爵さまからの話』ってどんな内容だったっけか?」


「はい。艦長。あの宇宙獣の駆除完了の報告時に先方からは、『どう報いるのかについては、全てが終わってから話し合いたい』と、申し出がなされています」


「そうか。ありがとう。サンゴウ」


 ロウジュから視線を外し、なんとなく前方斜め上の天井あたりに、ジンは視線を向けていた。


 まるで、そこにサンゴウが存在するかのような気持ちでいたジンは、感謝の言葉を相棒に述べた。


 そうして、視線を再び美人エルフさんに向ける。


 対面での話し合いは、相手の目を見て語るのが基本なのだ。


 ジンはその基本を忠実に守った。


「と、いうことだ。ロウジュ。サンゴウの記憶に間違いがあるはずはない。なので、その予想で合っていた」


「はい。私の予想通りで良かったです。で、ですね。正直なところを申し上げると、『父から出せる報酬』というのは、『名誉的なもの以外』となると、かなり厳しいことになるハズなのです」


 ロウジュは自嘲気味に、一瞬だけ表情を崩した。


 払うべき金がないのだから、そうなるのもやむを得なかったのだろう。


 けれど、彼女はすぐに真剣な硬い表情へと戻り、更に言葉を続ける。


「そして、ジンへ。あの時の私は、言ってしまっているのです。なんら報酬のお話をすることもなく、お願いとして。『私たち三姉妹全員を、救い出してください』と」


「そうだったな」


 ジンは引き続き、「ロウジュの顔」というか目を見ながら話をしていた。


 真面目な話なのだから、当然の対応である。


 ジン目線だと、ロウジュの表情は真剣だが、ちょっと目が潤んできているような感じになっていた。


 ここで、それを見て取って「ロウジュを泣かせるようなことは、してないと思うんだが」と考えてしまうあたりが、どうしようもない鈍感勇者なのであろう。


「ジンは気づいていましたか? 最初に賊から助けていただいた時から、私の好意が貴方にあったことに」


「いや。『嫌われてはいないだろう』と、しか思ってなかった。でもほら、『助けた人間に嫌悪感を抱く』ってなかなかないだろう? 普通は『ある程度、好意的になるもの』なのではないだろうか?」


「そうですね。そうかもしれません。ですが、グレタでの下船前のあのお話の時、ジンは私たちの境遇に怒りを感じてくれましたよね? そして、ジンには何の得もないのに。それでも貴方は、『全て解決してやる。俺に任せろ』って。そのような内容の宣言を私にしてくれましたよね? そこからの行動も全てが有言実行。それ以外はありませんでした。今、全てが解決しつつあります。ここまでされて、惚れない女性ってなかなかいませんよ?」


「(お、おれ、いま、めのまえの、ちょうぜつびじんの、ろうじゅから、こくはくされた?)」


 ロウジュの、彼女自身がジンに惚れていることを示唆した言葉で、驚きが天元突破してしまったジンは、ポンコツぶっ壊れモードに移行していた。


「ジン。貴方は、『まずは彼女を作ろう』とか、『嫁が欲しい』って。あの時、そう言っていましたよね?」


「(覚えてたんかい! 忘れてくれてたんじゃなかったんかい! それ、聞かなかったことにしてくれたんじゃなかったんかい!)」


 ロウジュによって、封印していた恥ずかしい記憶を強引に引き出されたジン。


 そんなジンは、ポンコツぶっ壊れモードから羞恥心全開モードに強制移行する。


 ポンコツぶっ壊れモードよりはそこそこ頭が回るだけ、羞恥心全開モードの方が『まだマシ』というものであるのかもしれないが。


「ジン。私は、貴方が好きです。だからお願いです。怒らないで聞いてくださいね? 『私自身が報酬です』ではいけませんか? 私がジンの彼女になり、嫁になる。それを、今までの貴方の行動への交換条件のようにして報酬にする。このような提案は、お気に障るかもしれません。ですが、私は今。『この身を貴方に捧げても良い』と思えるくらいに。貴方のことが好きです。私はジンを愛しています」


「ぜんぜん、いけなくないです。おれ、いま、ろうじゅに、こくはくされて、ろうじゅが、おれの、かのじょになって、よめになるって、きいた、きがする」


「ええ。そう言いました」


「ゆめだよ。これ、ゆめだよね。めがさめたら、がっかりする、ゆめだよね」


 ロウジュによるクリティカルな言葉で、ジンは再びポンコツぶっ壊れモードに移行した。


 椅子に座ったまま、固まってしまっているジン。


 ロウジュはそんな状態のジンに対して、自らは腰掛けていた椅子からそっと立ち上がり、ジンの横から近寄る。

 

 そうして、ロウジュはジンに抱きつき、唇へとキスをするのであった。


 じんはふぁーすときすをうばわれた!


 れんあいけいけんちをかくとくした。


 残念ながらジンたちがいるのはゲームの世界ではないので、そのようなメッセージが実際に流れることはない。


 けれども、ジンにとっては違った。


 自身の脳内において、確かにそれが流れた気がしていたのだが、そんなことは些細なことであろう。


「夢じゃないですよ。ジン。私は本当に貴方が好きです」


 ロウジュはジンに噛んで含めるように、確実に現状を理解させるべく言葉を紡いでいた。


 そして、ジンが若干落ち着いてきたのを察した段階で、不安であった部分の内心を吐露して行く。


「良かった。怖かったんです。『自分自身を取引材料にするな』ってジンに怒られるかもしれない。ジンが怒ってしまって、『私の気持ち、申し出を拒否されるかもしれない』って。『そんな可能性も十分ある』と思っていたのです」


 ロウジュはジンが自身を受け入れてくれたことへの嬉しさと、安心したことで感極まっていた。


 美貌のエルフ女性は、両眼から頬を伝い、とめどなく流れる涙を拭うことなく、自然に任せていたのあった。


 サンゴウは、ここまでのジンとロウジュの言葉のやり取りを、当然全て聞いていたし、見ていた。


 優秀なサンゴウは有機人工知能の思考能力をフル回転させ、現在の状況に最も適した談話室の環境を造り上げる。


 談話室の隣には、ジンの、艦長用の広々とした私室があり、その室内にはジンが独りで横になるには広すぎるサイズのベッドが備え付けられている。


 サンゴウは、談話室の証明の光度をゆっくりと落として行く。


 それと同時に、ジンの私室へ繋がるように、談話室の壁の一部を撤去したのであった。


「ありがとうね。サンゴウ」


 優秀なるサンゴウは、ロウジュの感謝の言葉に、ここは沈黙で答えるのみだった。


 このような事態の推移から、この日のジンはロウジュと共に大人の階段を上ってしまう。


 気分は天にも昇る勢いで、あえて明確に「何を」とは言わないが、卒業してしまったのである。


 真夏でも雪が残ったままであるような高い山の頂に登って、歓喜の叫び声を轟かせたい。


 ジンがそのようなレベルの興奮状態だったのは、「その夜の間だけの話であった」のは言うまでもないであろう。


 翌朝になり、冷静に状況を考えることができるようになったジン。


 童から脱した大人の勇者。


 そんなジンの誰にも聞かせられない心の声は?


「(やべぇ! 伯爵令嬢に。しかも婚前で。やることやっちゃったよ、俺。ロウジュの父親の伯爵さまからは、結婚の許可だってもらってないのに。思いっきり手を出しちゃったよ、俺。どうしよう)」


 このように、ジンは超絶ビビリのお悩みモードへと移行していた。


 まぁ、やることをやってしまった以上は。


 どうしようも何もあったモノではなく、これから何があろうとも、どのような困難が待ち受けていようとも、潔く責任を取るしか道はないのであるが。


 こうして、ジンはベータワン関連の隠蔽工作に向かう道中にて、食事メニューの改善に着手しつつ、ロウジュからの告白を受け、そのまま勢いで結ばれてしまった。

 サンゴウは目的地への到着を急ぐ必要がないのと、乗客やベータシア伯爵に生体宇宙船の限界性能を悟らせない目的もあって、小惑星帯に向かってゆっくりと進んでいる。

 むろん、艦長とその伴侶となる女性への気遣いもあるが故の、サンゴウの行動。

 時間が経って落ち着いたジンは、遅まきながらそれを理解していたりするのだけれど。


 ロウジュとの関係をどうベータシア伯爵に報告するのかを、先送りして考えるのを止めてしまった、召喚された異世界で魔王討伐を成した勇者さま。

 漠然としたイメージしかない『小惑星帯』なる代物に、思いを馳せてワクワク感を募らせることで、少し先の未来には確実に起こるであろう、やばさ爆発の事態からは目を背け、現実逃避に走るジンなのであった。

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