第3話

 眠りというのは記憶の整理という意味でも重要な役割を持つらしい。

 

 一夜明け、すっきりとした頭で考えたが、どう考えても、この世界は【ブレイヴ・ヒストリア】の世界という考えを否定できなかった。

 登場人物、地名、単位……記憶の中の情報とこの世界の現実が、ぴたりと一致する。

 長い人生、ある程度の偶然が重なる事はあるだろう。

 だが、これほどまでに重なればそれは必然と言える。


 【ブレイヴ・ヒストリア】はかつて大ヒットしたファンタジーRPGだった。

 斬新な戦闘システム、美麗なグラフィック、重厚なサウンド。

 幼馴染の少女を理不尽に奪われた村人の成長と仲間たちの冒険を描いた、王道の成り上がりストーリー。

 適度なゲームバランスに、大衆生と独自性のバランスが取れたシナリオ。

 多くのコアなファンを持ち、テレビCMでもよく流れていた。

 ゲームに詳しくない人でも名前くらいは知っていた作品だ。


——そして……俺は、レクスになった。


 レクス・サセックス。

 それはゲーム内で主人公の前に立ちふさがる“悪役”だった。

 初戦では、圧倒的な力で主人公ローランを打ち負かし、幼馴染の少女アリシアを奪う。

 

 レクスは当初ローランをただの村人と見下していた。

 しかし、破竹の勢いで成り上がるローランに嫉妬すると彼に執着するようになる。

 その後、執拗な対決の果てにローランに敗北すると、遂には公爵家を追放され、教団という組織に囚われるとラスボスである救世主メシアの器となって死亡する。

 

 いわゆる「踏み台キャラ」だ。


 ただ、その美貌と傲慢な態度で一部の女性ファンからは異様な人気があったと言う。

 これが、転生というものなのか、憑依というものかは定かではないが、


「良い仕事ぶりだぞ、ミリアムよ」


 着替えを終えた俺は上機嫌で言った。

 ミリアムに渡された、服はシンプルな白いシャツに黒いスラックスだった。

 中世の貴族としては、少し地味な見た目だが、細身故に若干ホストっぽく見えなくもない。


「え?」


 ミリアムは目を瞬かせてこちらを見る。


「そういえば……この鏡、ミリアムが取り替えてくれたんだろ?」

「は、はい……そうですけど……」

「昨日は悪かったな。全く、俺もひどい有様だった」


 昨日までの自分の行動や態度を思い出すと、罪悪感を感じた。

 少しのことで癇癪を起こし当たり散らしてばかりだった。

 15歳の肉体に、いい大人の精神が宿った今となっては忘れたくなるような黒歴史だ。

 

「え……?」


 ミリアムが戸惑いの表情を浮かべる。


「だが今日からは違うぞ。昨日までの俺とはな」

「え、あ……はい……お、お食事をお持ちしますね?」


 俺はキメ顔でそう言うと、ミリアムは慌てた様子で部屋を出ていった。

 きっと俺の笑顔に見惚れてしまったのかもしれない。



 パタンというドアが閉まる。


「どうしよう……」


 ミリアムは慌てて廊下へと飛び出した。

 朝の光が差し込む静かな廊下の中、慌てた様子で呟く。


「どうしちゃったの……レクス様。……朝起きたら突然、鏡の前で“俺の顔かっこいいな”って言い始めて……そうかもしれないけど……普通自分で言わないよ」


 確かに、気難しい人物だと言われていた。

 屋敷の中での評判もすこぶる悪い。

 その悪評は他国にまで轟くと聞いたこともある。

 ミリアムが彼の専属になると聞かされた時には、同情の視線さえ向けられたものだった。


「それに……謝ったよ……あのレクス様が謝ったよ……」


 昨日まで怒鳴り散らしていた人物と同じだとは、とても思えなかった。


「私にお礼を言ったよ……あのレクス様が……」


 ミリアムは小さく息を吐いた。

 その光景はあまりに現実離れしていて、まるで別人を見ているようだった。

 昨日の荒れ狂う姿との落差が大きすぎて、思考が追いつかない。


「……今日、あの人、おかしいよ……」


 廊下にぽつりと漏れたその声は、誰に聞かれるわけでもなく、朝の空気に溶けていった。 



 朝食は軽いパンとハム、サラダ、フルーツの盛り合わせ。

 香ばしいバターの匂いが鼻をくすぐる。

 食文化の違いはあるが、意外と違和感はなかった。


「美味かった。作った者にそう伝えておいてくれ」

「……わかりました」

 ミリアムは少しだけ不思議そうな顔をして、食器を片付けに出ていった。



 【ブレイヴ・ヒストリア】の舞台は、心臓の形をした「ハート・ランド」という大陸だった。

 主だった大国は、エルロード王国。シルヴァン王国。アヴェロン連邦の3つ。

 それぞれ小国や大公国といった属国を抱えていた。


 多様な種族が存在しエルフやドワーフや獣人といった亜人種も存在した。


 科学技術はそれほど発展していない。

 しかし、代わりに魔術が文明を支えている世界だ。


 立ち上がって体を確かめる。


 【ブレイヴ・ヒストリア】の世界では、<レベル>や<ステータス>や<スキル>という概念が存在した。

 魔物を倒したり、対人戦をこなせば、経験値が入り、レベルが上がりステータスが上がる。


 立ち回りや<スキル>の使い方で、逆転も不可能ではないシステムであったが、基本的にステータスやレベルの大きく違う相手に勝つのは困難なシステムだった。

 だが、転生したこの世界の知識の中に、分かりやすく数値化されたステータスやレベルという概念はなかった。


 ――さて、状況確認といこうか。


 身長はやや低いが、違和感はない。

 言葉も自然に理解できている。

 別の言語を話しているという認識はあるが、自然と言葉が口から出てく感覚だ。

 壁に立てかけてあった剣を手に取った。


 「これは……俺の剣だな」


 握った瞬間、掌の内側に懐かしい感触が染み込んでくる。

 重さは想像より軽い。

 だが、その軽さの奥に芯のような硬さがある。


「……こんな感じだったか?」


 呼吸を整え、腰を落とす。

 居合の要領で、一閃。

 空気が一瞬、薄く張り詰めたような感覚があった。

 剣身が光を受けてきらりと閃き、そのまま滑らかに鞘へと戻っていく。


 ――この感覚は。


 指先に、二人分の記憶が混ざり合ったような妙な感覚が残った。

 掌をゆっくりと開いては握り、開いては握る。

 筋肉と神経のどこかが、確かに“俺”でありながら、“レクス”でもある。

 先ほどの動きは、この世界のものではなかった。鈴木守の身体の記憶が、確かにそこに息づいている。


「では……次は……ッ!」


 今度はレクスとして慣れ親しんだ剣術を試す。

 サセックス家に代々伝わる型を、一つずつ丁寧に思い出しながら体を動かす。

 踏み込み、肩を抜き、斜めに切り上げ――。

 動きのひとつひとつに、二人の感覚が重なっていく。

 動かせば動かすほど、違和感は薄れ、むしろ「自然」になっていく。


「……なるほどな」

 ひとしきり試したあと、俺は剣を鞘に収め、壁へと戻した。

 呼吸が少しだけ弾んでいた。胸の内側に、不思議な高揚感があった。


「そうだな……次は……魔術か」


 目を閉じて、自分の内側へと意識を沈める。

 そこには、脈打つような流れがあった。

 血流とは違う。もっと深く、静かで、温かい流れだ。

 指先にその流れを集め、火を灯すイメージを描く。

 すると、ぽうっと指先に小さな炎が現れた。まるで蝋燭の火のように、静かに揺れている。

 ――魔力。

 この世界では、誰もが体内に魔力を宿し、それを用いて自然を操る。

 火、水、雷、風、土……属性は多岐にわたる。

 魔力の多寡は血筋と努力に左右される。

 レクスは、名門の中でも突出した魔力量を持つ存在だった。


「……不思議な感覚だな」


 俺は指先の炎をじっと見つめる。

 集中すると、炎はハート、スペード、星……様々な形に姿を変えていく。

 色もまた、青、緑、白へと移ろう。

 魔術において重要なのは魔力量ではなく、その制御。

 この世界の理と、俺の世界の物理法則には、ある種の共通点があった。


「……温度と色が連動しているのは、こっちでも同じか」


 酸素濃度の変化をイメージすると、炎の色は一層クリアになった。

 科学の知識が、魔術の制御精度を高めている。


「やはり……得意なのは炎か」


 純白の炎を生み出したとき、空気が一瞬だけ震えたように感じた。

 混じり気のない白い炎。俺の顔のように思わず見惚れるほど、美しい。


「……と、まあこんなものか」


 俺は炎を弄んで、ふっと吹き消した。

 炎は煙も残さず、キラキラと空中に溶けて消えた。


「少し慣れが必要だが……ぶっつけ本番というのも悪くないな」

 そんなことを呟くちょうどそのとき、扉が開いた。


「……只今戻りました」


 食器を片付け終えたミリアムが戻ってきた。

 俺は剣を背に、なぜか晴れやかな気分のまま、振り返った。


「では、出かけるぞ、ミリアムよ」

「え……えーと……ど、どちらへ……?」


 ミリアムが戸惑いがちに言う。


「決まっている。あの女のところへだ」

「えっ……!?」

「あの女に……一泡吹かせにいく」

「う、嘘ですよね!?」


 ミリアムの顔が一瞬で青ざめた。

 俺はそんな彼女を意に介さず、軽く顎を上げて歩き出した。


「行くぞ、ミリアム。ついてこい」

「ちょ、ちょっと! レクス様、本気ですか!?」

「ああ、ふふ。本気マジだとも……ッ!」


 そう言って意気揚々と廊下に飛び出す。

 背中に感じるのは、新しい世界と新しい体への、妙な高揚感。

 

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