第5話

「おお、朝早くからやっているな」


 邸宅を出て、少し埃臭い訓練場に着くと、サセックス家の正規兵と傭兵たちが合同訓練を実施していた。

 レクスとミリアムは土埃の臭いを感じながら、訓練場に入る。


 装備の統一された、サセックス家の正規兵に対して、傭兵達の装備はバラバラだ。

 蛮族のような鎧を纏っているもの、スリムな甲冑のようなものを纏っているもの、上半身裸で剣を交わらせるものまでいる。

 物々しい雰囲気の中で、兵達が訓練をしている。

 

「……レクス様。今日も来たよ」

「昨日は酷かったな」

「どの面下げて、この場に来たんだあのガキはよ」

「あそこまでボコられて良くここに来れたよな……。あそこまで醜態晒しておいて……」

「サセックス家の天才サマは面の皮の厚さも、超一流ってこったぁ、ははッ」

「ちげぇねぇ……ふん」


 ヒソヒソと喋る声や、わざと聞こえるような大きな声でしゃべる声が聞こえる。


「やるぞ。まず、ここからだ」


 レクスが辺りを見回すと、兵達を上座から俯瞰的に見える位置で腕組みをしていた、目的の人物を見つけた。


 ――いた、あの女だ。


 レクスはその女に向かって近づく。



 一歩一歩近づく度に、心に戦慄が広がっていくのを感じた。

 思い起こされるのは敗北の記憶。

 手も足も出なかった、昨日の大敗の記憶。

 敗北を認めずに惨めに足掻く事しか出来なかった自分の姿。


「おう、また来たのか……」


 女は少し掠れた色気の漂う声でそう言った。

 彼女は振り返る事もなく背後から近づく、足音の主を察した。

 因縁のある相手の筈。

 しかし、背後からの不意打ちさえ警戒しない。

  

「昨日ぶりだな」

「そうだな」

「昨日の借りを返しに来た。一勝負と行こうではないか」

「お前なぁ……」


 女は、頭をガシガシと掻きながら振り返る。


 その女の名をレベッカといった。

 その髪は燃えるような赤い髪をしていた。

 年の頃は二十代半ばといったところ。

 女性としては、長身であり、すらりとした長い手足に、ほっそりとした腰を持ちながら、女性的な膨らみも持つ非常に豊満グラマラスな体形をしていた。

 

 その顔は少し肉食獣を彷彿とさせるような、獰猛さを醸し出しながらも、何処か貴族や王族を思わせるような気品漂う非常に整った顔をしていた。

 

 彼女は主人公ローランに、縁深き人間であり、レクス・サセックスを倒す必勝の策を授けると共に、彼をこの公爵領より追い出すのに大きな役割を果たす人物でもある。


 つまり、レクスにとっては天敵と呼べる人物――。


「お前、昨日あんな醜態晒しておいて、よくもまぁ、私の前にその顔見せられたもんだな」


 呆れた顔のレベッカは言う。


「過去は過去、昨日までの俺とは一味も二味も違うのだ」

「……昨日の今日でそんなに変わるものでも無いだろ。強さってのは一朝一夕につくもんじゃないんだ。だから日々の積み重ねが大事なんだよ。高名な天才サマは努力無しでもいきなり強くなるってか? はッ!」


 レベッカは馬鹿にしたように笑う。


「お前の言っている事も分からなくはないが、今の俺は昨日とは別人と言っていい」

「別人って……」

「ああ、そうだ、ある意味では、別人だな……。ふふ」

「はぁ……」


 ため息を吐くレベッカ。

 彼は全く懲りてはいない。

 昨日あれだけの負け方をしたのだ。

 まともな神経の持ち主ならこんな態度は取れないだろう。


(分かります、気持ちは分かりますッ! だから今の変なレクス様の相手をしないでくださいッ!)


 レベッカの気持ちをミリアムは察した。


「じゃあ……うん? それで? 天才サマは一体何が変わったっていうんだ? 私には違いが分からないんだ、教えてくれよ……ははッ!」


 両手を広げ煽るようにレベッカは問いかける。


「……ふむ。そうだな、色々変わったのだが、強いて言えば俺は、昨日の俺よりも格好良くなった。昨日までの俺も確かに格好良かったのかもしれんが、今日の俺は昨日の俺より、もっと格好良いいだろ?」


 恥ずかしげも無く言ってのけるレクス。

 そんな彼の表情をレベッカは少し目を丸くして言う。


「なんか……お前ってそんな奴だったけか? 自分でそんなこと言ってて恥ずかしくないのか?」


(そうですッ! そうですッ! 言ってやってくださいレベッカさんッ!)


 うつむき加減に拳を握りしめ同意するミリアム。

 

「何が恥ずかしいというのだレベッカよ。俺は超格好良いだろ?」

「まぁ、お前確かに顔はそれなりにいいよ。でもまぁ、そこまでじゃないな……」

「な、なんだと……ッ! お、お前…ッ! お前……ッ!」


 その言葉を聞いた瞬間レクスの体に衝撃が走る。

 

 ――そ、それなりだと…。お、俺のこの顔を見て、そこまでじゃないだと…そ、それなりにだとそ、それなりにいいだと……。

 こ、この女、どこかオカしいのではないだろうか? この俺にそんな評価を下す、などとッ! そ、それなりだとッ!


 自信過剰となったレクスにとって、レベッカの発言は聞き捨てならないものであった。


 しかし、


「ふぅ……」


 レクスは、深呼吸をして心を落ち着ける。

 今の俺は自信と余裕に満ち溢れた大人の男なのだ、と。

 そして、


 ――恐らくこいつは少数派マイノリティだ。

 ――世の中には変わった価値観の人間もいる。

 ――即ち、女は皆、顔が良い男が好きというのは固定観念に過ぎないのだ。

 ――不細工な男性を愛する女性もいれば、逆もまた然りではないか?

 ――人の好みは千差万別。変わった価値観の女もいるのだ。


 と、自分に言い聞かせた。

 そして、


「じゃあ、レベッカにとって本当に格好良い男とはどんな男なんだ?」


 と問いかける。


「そうだな……。強い男、私よりも強い男――ッ!」


 レベッカは少し考えた後にそう答える。


「なるほどな……ふふ……はははッ! そういう事か」


 レクスは高笑いを上げる。


 ――やはり、俺の予想通り。レベッカは少数派マイノリティだ。

 ――確かに男の魅力は顔だけじゃない、経済力とか性格とかいろいろある。強さも魅力の一つだろう。

 ――だが、そんな中で男の強さを重視する女ってのは少数派だ。


 ――コイツみたいな傭兵か、高ランクの女冒険者くらいだろう。そして、コイツはこの世界屈指の強キャラだろ? そもそもコイツより強い男なんてそうそういないだろ。



 ――この女に、本当に男の魅力なんて分かるわけない……。


 レクスはレベッカの返答を自分に都合の良いように解釈した。


「変わった女だなお前……」


 呆れた声でレクスは言う。


「……今の、お前ほどじゃないがな」

「なら、また、今から俺とここでもう一度勝負するのだな。この俺がお前に見事勝利し、お前に俺の格好良さを認めさせてやろうではないか……ッ!」


 レクスは高らかに、そう宣言した。


 その瞬間――。


「……あのガキ……」

「レクス様……」

「……おいおい……」


 訓練場にレクスの声が響き渡るとともに、訓練していた兵たちは手を止め、静まり返る二人を見た。


 そして、少しの静寂の後、


 はぁーという、大きな誰かのため息だけが木霊した。

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