第2話

 ビクビクとした様子で、部屋に入ってきた少女がいる。

 可愛らしいメイド服を着こんだ、未だ幼さを残す少女だ。

 その名をミリアムという。

 白みがかった銀髪に赤目といった外見。

 彼女は、レクスのお付きという事になっていた。

 部屋に入って来たミリアムは、今も穏やかな表情で、健やかな寝息を立てている、眠る少年の顔を見る。


「よかった、まだ起きてない」


 穏やかな寝息を立てる少年は、気分屋で感情の起伏がとても激しい。

 特に昨日の大荒れは酷かったものだ。

 彼はある女性に敗北し、負けを認めずに喚き散らすと、挙句の果てには、鏡を叩き割り、剣を掴み何処かへ行ってしまった。

 彼の寝顔を見ていると、ミリアムの口元は少しだけ綻んだ。

 非常に端正な顔立ちの少年の寝顔は、母性本能をくすぐられるような無防備さを感じさせる。


(本当にずっと眠っていれば、いいのになぁ……)


 そんな事をミリアムは思った。

 起こしたくない。


「ああ、でも起こさなかったら、後で怒られるよね」


 少し迷ったがミリアムは眠るレクスの枕元にしゃがみ込む。


「レクス様……起きてください……朝です……」


 ミリアムは声をかけるが起きる気配はない。


「レクス様……。起きてください……。いや……でも怒るなら起きなくても……いいですよ?」


 小声でつぶやきながら、ミリアムは恐る恐るといった様子でレクスの体を揺さぶるが、起きる気配が見えない。


「……起きてください」


 ミリアムは少し大きな声でそうレクスに声を掛ける。


「も、もういいかな。私頑張ったよね?」


 ミリアムの心が折れそうになって左右を見た、そんな瞬間――。

 





 ――ここは……?

 

 目を覚ますと、そこは見知った筈の、同時に見知らぬ天井があった。

 視界の端には、恐る恐ると言った様子で、覗き込んでいる少女の姿があった。

 赤い目と白い髪をした美しい白兎のような少女。

 彼女は少し唖然とした様子で、その口元を覆い隠していた。

 少し戸惑った様子だが、その白い少女は、


「あ……おはようございます……レクス様」


 と、挨拶した。


「レクス?」

「はい?」

「俺か?」

「そうですけど」


 ミリアムは困惑した様子で答える。


「俺はレクス? そして、お前はミリアムか?」

「あ、はい?」


 ミリアムの困惑は深まる。

 

「……では……あれは……夢ではないのか?」

「夢?」


 眉を顰めるミリアムを前に慌てた様子のレクスは、


「そうだ鏡だ……」


 と、慌てて飛び起きると、姿見へと向かった。


「やはりそうだ……、これが俺」

「はい?」

「少し待っていてくれ、俺は今、非常に非常に重要な事を確認している」


 自らの顔を確認する。

 さらさらと流れる金髪に、蒼穹のように透き通った碧眼。

 様々な角度からを確認するが、その顔は異常なまでに整っていた。


(……この人、どうしちゃったの?)


 そんな彼の様子を不思議そうに眺めるミリアム。

 彼はとても真剣そうだ。

 何故、突然自分の顔を鏡で確認し始めたのか分からない。

 昨日、あの女性につけられた傷跡を確認しているのかと思ったが、彼は様々な角度から自らの顔を観察した後に、うんうんと頷くと、


「……しかし、格好良いな……」


 とだけ呟いた。


「え?」

「いや、格好良いと思ってな……」

「何がですか?」


 聞き返すミリアム。


「いや……しかし、俺の顔って……格好良いな……と思ってな?」


 レクスは臆面もなくそう言い切った。


「え……?」


 引きつった顔のミリアム。


「ものすごい美男子だと思ってしまってな……」

「えェ――ッ?!!」

「超かっこいいな」


 ミリアムは口に手を当て思わず声をあげる。


「い、いや……まぁ……、あの……そうかもしれませんが」

「そうかもしれません……だと?」

「い、いえ……。なんでもないです」


 ミリアムは上手くお茶を濁す。

 この少年の前で迂闊な事を言うものではない。

 そんな、ミリアムの様子を気に留めることもなく、レクスは鏡を覗き込んでいた。


「……前より、イケメンじゃないか? いや、前から俺は格好良かったのだがな……ふふ」

「……」


 意味不明な事を口走る、レクスを見るミリアムだが、


「えと……お、お着替え、準備しますね?」

「ああ、そうであったな……」


 爽やかな笑顔を浮かべるレクスに、ミリアムは逃げ出すようにレクスの着替えを取りに行った。

 




 眠りというのは、肉体の疲労を回復する為だけの時間では無い。

 眠りというのは、記憶の整理という意味でも重要な役割を持つ。

 一夜明け、少しだけスッキリとした頭で考えたが、レクスは、この世界が【ブレイヴ・ヒストリア】の世界だと考えを否定できなかった。

 自分が生きていた世界が実はゲームの世界、実に突飛な考えだ。


 しかし、二人の人間の知識や記憶を擦り合わせて、人物、地名、単位など様々な情報がぴたりと一致する。


「ここは、【ブレイヴ・ヒストリア】の世界なのか?」


 【ブレイヴ・ヒストリア】はある世界で、一世を風靡したファンタジーRPGだった。

 当時としては斬新な戦闘システムと、美麗なグラフィック。

 主人公ローランの成長と冒険を描いた、大衆性と独自性のバランスの取れた成り上がりの要素の強い王道のストーリーが多くの人間に共感を呼んだ。

 口コミで話題になり、テレビCMやインターネット上で広告が数多く流され、ゲームにそれほど、関心の無い人間であっても、知っている程度の知名度があった。 

 商業的にも大きな成功を収め、大ヒットを記録した。


「そして、俺はレクスになった……」


 レクス・サセックスは【ブレイヴ・ヒストリア】というゲームのキャラクターだった。

 それも悪役。所謂、主人公ローランの踏み台ポジションだった。

 初登場時には、負けイベントとしてローランの前に、圧倒的な壁として立ち塞がり、ローランを圧倒すると、幼馴染の少女アリシアを奪い去っていく。

 しかし、何度打ちのめされても立ち上がり、徐々その才能を開花させていくローランに実力を詰めていかれてしまう。

 自分より優れた存在を許せないレクスは、ローランに執着し幾度となく戦いを挑むが、遂にローランに敗北し完全に追い抜かれると、公爵家からも追放されてしまう。


 全てに絶望し、物語の陰で暗躍する、【教団】という組織に捕らえられ、ラスボスである、救済者メシア復活の為に、その肉体を依り代とされ死亡する運命をたどるキャラクターだった。


 余談だが、その傲慢で自信満々な態度、圧倒的な才能を持つ、作中屈指の美形キャラということもあり、一部、女性ファンからは絶大な人気を誇ったという。

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