痴話喧嘩ときどきゾンビ

へろおかへろすけ

痴話喧嘩ときどきゾンビ。

  20xx年。

  突如としてそれは起こった。


 首都東京、渋谷からパンデミックが巻き起こり爆発的に感染者が全国で増殖、一月足らずで日本の総人口の半分が、ゾンビ化してしまう。

 政府が緊急事態宣言を発令するも、対策が間に合うはずもなく、多くの国民は、ないがしろ状態にあった。


 そんな絶望的状況下の中、神奈川県川崎市にて同棲していた1組のカップル、ケンヂとミカコは、茨城県大洗の漁港から、非感染者を東京沖合の孤島まで避難させる救済船が出港しているという眉唾ものの噂をどこかしらから聞きつけ、その僅かな希望に縋り向かっている道中、もう漁港は目と鼻の先、大洗の廃屋と化したホテルの一室で、しばしの休息をとっていた時に、それは起こってしまった。


 不運にも元従業員であったゾンビにミカコは襲われてしまったのだ。

 なんとかケンヂがゾンビを撃退したものの、ミカコの腕には大きな噛み跡が残っていた。


 力なく倒れ伏すミカコを抱き寄せ、ケンヂは叫ぶ。


「ミカコッ、クソッどうしてこんなことに……。しっかりしろッミカコッ。

一緒に救済船に乗って、生き残ろうって約束したじゃんかよッ」


 ミカコは虚な、力ない笑顔をケンヂに向け口を開く。


「ごめんね、ケンヂくん。約束……守れそうにないや。私、ゾンビになんてなりたくない。だからケンヂくん。私を殺して、そしてケンヂくんだけでも生き残って」


 ミカコは一筋の涙を流し、恋人であるケンヂに、そう最後のお願いをしたのであった。

 ケンヂは首を激しく横に振り、叫んだ。


「そ、そんなことできるかよッ。愛するミカコを自分の手で殺すことなんて出来ないッ」


「ケンヂくん。一生のお願いだからさ……。もうすぐ私の自我は……人生は終わってしまうの。本当にお願い。私、大好きなケンヂくんに殺されるなら本望だよ。ケンヂくん…… 私の分まで生きて、どうか幸せになってください」


 ミカコはウィルスに侵されたことにより、だんだんと体からは熱が帯び、額に大粒の汗を浮かばせながら、恋人であるケンヂに、最後のお別れを告げた。

 ケンヂは覚悟を決め、ツバを呑み込み、呟く。


「ミカコ……。」


「ケンヂくん……。」


 互いの名を呼び合う2人は、ジッと見詰め合っていた。


 その時だった。


 ケンヂの携帯から着信音が鳴り響く。

 ケンヂはポケットから携帯を取り出し、着信元を確かめた後、着信を切りポケットにまた戻した。


「ミカコ……。」


 そしてもう一度、切なげな表情で彼女の名を呼ぶケンヂ。

 ミカコもその呼びに応え、「ケンヂくん……。」と。

 そして、ミカコはか細くなった声でケンヂに問う。


「電話……誰からだったの?」


 ケンヂはミカコから目を逸らし、言った。


「いや……べつに。」と。


 ケンヂの返答に、さっきまでの弱々しい彼女はもうそこにいなかった。

 ミカコは目をかっ開き、荒々しい口調でケンヂの顔面に唾を飛ばす。


「リエでしょッ絶対リエからだッ」


「いやちげぇし。」と、力ない声量でミカコの言葉を否定したケンヂの額は薄っすらと汗ばんでいた。


「絶対違くないしッ。さっき私にLINE来てたからッリエからッ。『やっほー! リエもおじちゃんと今大洗着いたー!つーか超田舎すぎてウケるぅマジ卍』ってッ。どうせ私に隠れて2人で会おうとしてたんでしょッ」


「ちょっ落ち着けよぉミカコ」


「落ち着ける訳ないでしょッ。ほんと最低ッ彼女の女友達に手ェ出すとかマジありえないんですけどッ」


 そう浮気と決めつけ責め立てるミカコ。

 ケンヂは面倒臭そうに頭を掻き、多少苛立っているのだろう、眉間に皺を寄せ呟く様に言った。


「お父さんからだし。」と。


 そのケンヂの返答に、ミカコも彼同様の表情に変わる。


「はぁ!? お父さん死んだって言ったよね!? 東京で、そっこーゾンビに殺られたって言ってたよね!?」


「いや……なんか奇跡的に生還してた」


「ウソでしょッ」


「ウソじゃないって」



「絶対ウソッ。東京に住んでた人なんてほとんど死んだってラジオで言ってたしッ」


「いや本当なんだって」


「大体さー、おかしいとおもってたんだよね。だって私がリエ初めて紹介した時、ケンヂめっちゃリエの事見てたじゃん。目ぇバッキバキにして見てたじゃんッ」


「見てないよ。」


 なおも否定し続けるケンヂに対し、ミカコはさらに口調を強める。


「透けてたもんねッリエのブラッ」


「……いや、それは。」


 2人の間に数秒の沈黙が流れ、そしてミカコは確信した。


「ほら見てたんじゃんッ」


「それはだってしょうがねーだろッ。あんな透け透けブラウス着てこられたら、いやでも目がいくからなッそれが男だから」          


「そうですよねッ私より大きいですもんねッ」


「なんで敬語ッ? やめてくれる、それ。なんか気に入らないことがあるとすぐ敬語になってさ、そういう壁の作り方って良くないというか、話し合う気なくすんだよねッ」


「はぁ?」


 反論すれば、さらに眉間に深い皺を作るミカコを見て、ついにはケンヂも怒りを露わにしてしまう。

 ケンヂは頭を激しく掻きながら一度視線を床へ、それから睨み付ける様にミカコの方へと顔を向き直し口を開いた。


「つーかさぁ……つーかさぁッミカコ風呂入った後、洗面台で髪渇かすじゃん」


「それが?」


「そん時さぁ、湯気で曇った鏡、見えないからって素手で拭くのマジで腹立ってたんだよね」


「はぁべつによくない? それくらい」


 そうミカコが言った瞬間、ケンヂは顔を紅潮させ吠えた。


「付くんだよッ油脂がッ鏡面にッ。ミカコが風呂入った後、鏡綺麗に拭いてんの俺だからなッ毎日毎日ッ」


「……。」


 押し黙るミカコに、ケンヂは心の中で優越感に浸っていたが、次に彼女の口から紡ぎ出された言葉で、それは払拭される。


「でも――」と、ミカコはか細い声で言った後、声を張り上げる。


「でもお風呂掃除してんの私じゃんッ。え?鏡毎日拭いてる?私お風呂掃除してんですけどッ。えっなに?鏡毎日拭くのってお風呂掃除より手間なわけ?」


「そういう事言ってるわけじゃないじゃんッ。あーもうッ。じゃあ言わせてもらうけどッ。俺めっちゃ働いてたじゃんッ。家賃半分以上俺が出してたしッ。ミカコはフリーターなわけじゃん、フリーターつっても週3日しか働いてねーから、フリーターって言っていいのかすら謎だけど。で、俺クッタクタで家帰ってさ、ミカコに今日なにしてたの?って聞くと、大体ミカコお前さ……」


「なによ?」


「ポテチ食ってたっていうじゃん。あれ、なに?」


「そのまんまの意味だけど」


「ポテチ食ってるだけで一日は終わんねーからッ」


「はぁ? 終わるし。終わりますけど。終わらせてますけど。」


「なにその無駄な三段活用ッマジやめろよ」


「つーか言ってないだけで家事やってましたけどッ私がッ全部ッ」


「鏡以外のなッ」


「鏡とか知らないしッ。鏡の汚れに意識向いたことないしッ」


「俺が拭いてたからねぇ」


 そして二人は無言で見詰め……睨み合う。

 刻一刻とウィルスにより体を蝕まれ続けるミカコには、もうあまり時間が残されてはいなかった。

 そんな中、ケンヂは呟く。


「布団……。」と。


「布団がなんだよ?」


「俺が休みの日、布団干してたじゃん、いつも」


「干してあげてたよッ」


「あげてたって言い方やめろよ」


「はぁッ?」


「俺はべつにしたい時にやるからッ」


「はぁっ?あたしが干さなかっったら一生干さねーじゃんッお前ッ」


「いや干すし」


「干さねーよッお前はッくっさッ」


「……そこじゃねーからッ」


「はぁッ!?」


「洗濯おばさんなんだよね、布団叩くリズムがッ。たんたんたん、たんたんたん、たったたったんたんたんってさぁッ。引越しッ引越しッさっさと引っ越しッのリズムなわけッ。あれマジで腹立ってんだわッ」


「はぁ? 引越しおばさんってなんですかーッ? 全然意味分かんないんですけどッ」


「分かれよッ。ほんとさぁ、たまの休日の昼下がりくらい心安らがせたいのよ、こっちは。それをあの引っ越しおばさんのリズムで布団叩かれちゃうとさ、安らげねーのよ。」


「でも夜イビキかいて寝てんじゃんッ。私が干した布団で気持ち良さそうにイビキかいて寝てたじゃんッお前ッ」


「休まらなかったからねぇッ昼間はッ」


「……なんでもかんでも文句言ってガキかよ」


「お前はゾンビになるけどな!」


「……。」


「あ……。」


 ケンヂが勢い余って口を滑らせれば、ミカコは口を閉ざし、目から大粒の涙を流し始めた。


――ミカコはもうすぐ死んでしまうのに、俺はなんてバカなこと言ってしまったんだろう。

 ミカコとの残された時間は、もうそれほど残っていないというのに……。


 と、ケンヂは泣くミカコを見て、冷静に今の状況を鑑み反省していた時だった。

 ミカコが口を開く。

 震えた声で、彼女は最愛のケンヂに告げる。


「一緒に、死のう。」と。

「こうやってケンヂとバカみたいな事で喧嘩できなくなるなんて、私やだよ。ケンヂだってそうでしょう? 私、例え自我が無くなってゾンビになったとしても、ケンヂとずっと一緒にいたいよ。」


 涙ながらにミカコにそう告げられたケンヂは、真剣な表情でジッと彼女を見詰め言った。


「いやそんな、私がおばあちゃんになっても一緒にいたい。みたいなニュアンスで一緒にゾンビになろうとか言われても困る。」と。

 

 ケンヂは普通に嫌だった。

 ゾンビになんてなりたくなかった。

 というか普通に生きたかった。


 彼らは互いに見つめ合ったまま、沈黙する。

 気不味い雰囲気が彼らを包むこと数分、顔を紅潮させ瞳孔が異様なまでに開ききったミカコが、ケンヂに唾を飛ばす。


「なんっでっだよッ。いや死ねよッ一緒にッ」


「嫌だよッ」


「お前よく断れたなッこの状況でッ。ビックリだわッビックリしすぎて思考停止してたわッ」


「いや俺がビックリだわッ。なんだよ一緒に死のうってッ理不尽すぎるわッ」


「はぁ? 私のこと愛してないわけッ!?」


「愛してるよッめっちゃ愛してるッ超愛してるッ」


「変な三段活用で愛叫ばないでくれるッウソっぽく聞こえるんですけどッ」


「じゃあどうしろっつーんだよッ。わかった! ちゃんと殺すから! 痛くしない様にちゃんと一瞬で殺すから!」


「なんだよちゃんと殺すってッ。やだよ……私、死にたくないッゾンビなんかになりたくないッ。ねぇ死んでよッ私と一緒にゾンビになってよッ――」


 ケンヂの腕の中、ミカコは泣き叫びながら彼の胸をポカポカと叩く。

 そんなミカコに対し、ケンヂは一度大きく深呼吸し、覚悟を決め口を開いた。


「ごめんまぢむり。」と。


「……私のこと愛してないんだ。」


「愛してるけど、それほどではないっていうか……。というか俺、ミカコの言った通り、今、リエといい感じなんだ」


 ケンヂが白状すれば、ミカコは一度ゆっくりと瞬きをし、言った。


「ころす。」と。


「いやホントマジごめん。ミカコの事も好きだけど、でもリエの事も好きになってて……。ほら! 俺とミカコでさ、ゾンビに家の周り包囲されちゃって、出れなくなったリエのこと助けに行ったじゃん。その時にLINE交換してさ、それからはもう頻繁に遣り取りしてるというか……もう最近は暇さえあればお互いスタンプ貼りまくってる」


「スタンプって……どんなの……?」


「なんか……ちいかわの奴とか……」


 今それ聞く?と疑問に感じつつもケンヂが正直に応えれば、ミカコは泣き叫ぶ。


「光輝ッ」


「え?」


「私には横山光輝三国志のスタンプしか貼ってこないのに、なんでよッほんと最低っ。かわいいスタンプとか持ってたんだッ。知らなかったよッだって私には横山光輝三国志のスタンプしか貼ってよこさないからッ」


「落ち着けよ、ミカコ……。今そこそんな重要じゃないと思う」


「重要だよッすごく重要ッ。こんな大惨事な状況下でかわいいスタンプ送り合ってるとかッなんなん?マジでお前らなんなのッ」


「……横山光輝三国志のスタンプは、付き合った当初にミカコが蒼天航路のスタンプをよく貼ってたから、そのお返しで貼り続けてるわけで……」


「今そこ聞いてねーよッ」


「ごめん……じゃあ、その、そろそろ」


 気不味い雰囲気に耐えられなくなったケンヂは、神奈川からここ大洗までゾンビ相手に愛用していたバールの様な物に手をかける。

 それを察知したミカコはすぐにケンヂから距離をとれば、ケンヂは悲しげな表情で、「……みかこ。」と、呟いた。


 ゾンビ化がもうすぐそこまで迫っていることは、張本人であるミカコが一番に理解していた。


 彼女の体温は急激に下がり始め、全身の感覚が鈍くなり、口が異様に渇きはじめていた。

 そして視界はだんだんと濃い赤色に染まり、それに併せて意識が薄らいでゆく。

 ハァハァと息を荒げながら、ミカコは最愛のケンヂに最後の言葉を告げる。


「ねぇからぁッ。ハァハァ。ケンヂとリエの幸せな未来とかねぇからぁッ」


 これはもう意志というよりミカコの意地であり、執念だったのかもしれない。

 ゾンビ化した彼女は異常なまでに粘り強く、どんなにケンヂがバールの様な物で攻撃しても、まるでそこに意思が、根性があるかの様に立ち上がり続けた。

 そして極限にまで疲労が達したケンヂは噛まれ、2人は仲良くゾンビとなった。


 そしてリエも……。

 ケンヂからなんのスタンプも来なくなった事を心配に思った彼女も、ケンヂの携帯から発せられるGPS機能で彼の現在位置を特定、単身ホテルへと赴き、2人に噛まれゾンビ化してしまう。


 今日も今日とて薄暗いモーテルの一室では、3人のうめき声が聞こえる。


 それはまるで、浮気した男と2人の女の修羅場の様な、激しい呻き声なのであった。

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痴話喧嘩ときどきゾンビ へろおかへろすけ @herookaherosuke

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