船頭探偵 水守天馬の事件簿

五速 梁

事件簿1 鉄面宮の慕情 慕情1-⑴


 ああここだ、と私は思った。


 幼い頃、母に手を引かれて歩いた散歩道。


 その途中、母が決まって立ち止まる場所があった。


 幼かった私は、母が見つめている建物の大きさに少しだけ怖さを感じた。

 よく見ると母は目を閉じ、何かを祈るように両手を合わせていた。


「――さあ、帰りましょう。あなたたちの好きな物をこしらえてあげるわ」


 私は胸に小石を放り込まれたような不安を覚えつつ、「うん」と言った。


 あれから長い月日が経った。


 私の中では今も川が流れ続けている。たとえここからは見えないとしても。


                ※


「境内の中にはいない、か。ううむ、ここまで来たからにはひと声かけておくべきなのかな」


 匣館新聞の駆け出し記者、飛田流介は実業寺の中をちらと覗くと、ひとしきり唸った。


「しかし顔を合わせたら最後、説法を聞いてゆけと言われるのがおちだからなあ」


 本堂にはこの寺の住職である日笠がいるのだが、流介が取材で集めた噂の話をすると異様なまでの関心を示すのだ。


 ――なにしろ僕の知り合いの中でも、天馬君に告ぐ「謎好き」だからなあ。


 ここは急いでいたふりをしてやり過ごすのが、得策かな。そう咄嗟に考えた流介がそのまま坂を下りようとしかけた、その時だった。


「やあ、飛田君ではありませんか。また取材かな?」


 門の前を離れかけた流介を呼び停めたのは、良く通るおなじみの声だった。


「あ、住職。いらしてたんですね」


 流介がとぼけた返しをすると、日笠の後ろから現れた人影が「ああ、誰かと思ったら飛田さんではないですか。ちょうどよかった、飛田さんにも聞いていただきたい話があるんです」と言った。


「聞いて欲しい話?」


 流介は思わず目を瞬いた。日笠の傍らで頷くその人物は、税関の職員にして元船乗りの知人、大十間巌おおとまいわおだった。


 この人物は港で評判の船頭探偵『水守天馬』の先輩船頭であり、いくつかの事件では流介と天馬を危機から救ってくれた思人でもあった。


「うむ。実は傘羽さんのお嬢さん、小梢さんの周りに最近、不穏な影がちらついていてね」


「不穏な影……と言いますと?」


 流介は立ち去りかけていたことも忘れ、思わず身を乗り出した。傘羽さんというのは傘羽流山かさばるざんという聖職者で、巌にとっては恩人とも言える人物である。流介たちもこの傘羽流山氏に大いに世話になっており、小梢こずえという流山氏の娘とも面識がある。


「まあ、ここではなんだから本堂の方で……」


「ならば下まで降りて末広の『五灯軒』で腹ごしらえをしながら話そうではありませんか」


 すっかりこちらを交えて話をするつもりの日笠に、流介は「はあ」と曖昧な相槌を打った。


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