五章『鷹の目』――2

 まさか。

 まさかそんなことがあってはならない。

 言い聞かせながら階段を登る。

 目指すは最上階、王の寝室。

 すべてはうまくいっていたはずだ。途中、想定外の出来事はあったけれど、それも自分に都合のよいアクシデントだった。乗り切った。そう思っていた。

 後々、自分はきっと後悔するだろう。

 でもそれでいい。仮に後日、罪の重さに耐えかねて自ら喉を掻き切ることになるのだとしても、今の自分がそのことを知らなければそれでいい。

 今はただ、この麻痺にも似た甘い感覚に酔っていたい。

 そのためにいくつもの大事なものを犠牲にしたのだ。今更手放したら、これまでのすべてが無駄になる。そうなる前に、ノイズは取り除いておかなくてはならない。

 最上階はとても静かだった。

 人っ子一人いない。ケルベロスの姿はなく、代わりの警備も居ない。ちょうどよく交代のタイミングだったか? いや、そこまでとんとん拍子で行くとは思わない方がいい。少し様子を見る必要がある。

 階段の壁の陰に隠れ、時間が経つのを待った。

 時計を見ていたわけではないから、実際にどれくらいの間ジッとしていたのか正確なところは把握できない。多分、自分で思っているよりは短い時間だろう。頭の中で秒数を計っては居たけれど、緊張もあって、まともに数えられていた気はしない。

 時折手汗をふきながらしばらく待っても、誰も現れなかった。

 一瞬の空白ではなかった、それが確認できれば十分だ。

 そうと分かったならばグズグズしていられない。いつ人が通りがかるかわかったものじゃないのだ、結局は運任せになるが、早く行動すればその分見つかる可能性は低くなる。

 忍び足で扉に近づく。

 鍵穴のない、不用心の極みのような扉。

 本来ここを守っていた強大な結界も今は無く、これほど忍び込みやすい部屋は魔王城広しといえどここくらいだろう。

 必要最低限だけ扉を開き、体を潜り込ませる。

 ……また、ここへきてしまった。もう二度と近寄るつもりはなかったのに。血のしみこんだカーペットから、何者かが自分を睨みつけているような気がする。無論、そんな事実はない。罪の意識とやらがそんな風に思わせるだけだ。

 ――さっさと確かめてしまおう。

 たった一か所。ベッドの下。

 そこにある物を回収してしまえば、自分に辿り着けるものは何一つなくなる。あとは待つだけで全てが終わるのだ。

 物音を立てないようにゆっくりと屈みこむ。乾いているとはいえ血痕だらけのカーペットに頬をこすりつけるのは嫌な気分だったが、そうしないと覗き込めないのだから背に腹は代えられない。

 カーテンの閉め切られた薄暗い部屋の中、目的の物を探して目を凝らし――。

 ――無い?

 もしや、と思った瞬間にはもう遅かった。

「何かあると思いましたか」

 いつの間にか、寝室の扉は全開になっていた。

 そこに佇む、四人の人影。

「まったく。こんな馬鹿げた力を持っている四人の存在を隠せなんて、本当に無茶を言ってくれましたわねぇ」

「流石でしたよミス・セイレーン。この手の魔術なら、やっぱり貴女に叶う人はいませんね」

「……それにしても。ここまで貴女の言う通りになるとは思わなかったな」

 デーモン。

 セイレーン。

 サラマンダー。

 ――そして、人間の少女。

「半分くらい博打ではありましたが……ええ、うまくいって良かった」

 鷹のような目でこちらを見下しながら、少女は嗤う。

「少し話しましょう――ちょうど、下に談話室もありますしね」

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