第4話 金髪の魔法使い

 目が合ったおかげで金縛りが解けた。彼を助けるべく急いで駆け寄る。


「大丈夫ですか? 今、止血します」

 医者でも看護師でもないが、一般人向けの救護訓練に参加した経験はあった。今がその経験を活かすとき。

 声掛けには反応する、意識ははっきりしていて愛久の存在を認識している。

 ナイフは抜いてはならない。動かないようにしっかり固定する……目の前で刺されて倒れている人間を見るのも初めてで、焦る自分を落ち着かせる為に、教わった知識を頭の中で反芻する。

 

 緊張して強ばる手が震える。これで間に合わせようと着ているジップパーカーを脱ぐが、先に横に寝かせてからの方がしっかりと固定できるかもと考えた。どんなに落ち着くように自分に言い聞かせても、早くしなければと焦りが先行し無駄な動きをしてしまい思うようにいかず、もどかしい。


 真剣に作業をする愛久を、他人事のように見守る彼の新緑の目が、大きく見開かれた。諦めの境地から、希望を見た目だった。

「ぁた……」

「あまり喋らない方がいいです。あと、歌もやめた方が」

「しゃが……」

 ハミングと舌を使う言葉との、使う筋肉が増える違いろうか、メロディはよく聞こえたのに言葉となると声が掠れてよくわからない。何か伝えたいのだろうか。

 言葉を聞こうと、彼の唇に耳を近づける近づける。


 血に濡れた手が伸びてきて、愛久の髪に触れた。

 頭から離れると、彼の赤い指先に小さな花弁が摘まれている。薄紫と藍色のグラデーションになった、これまたメルヘンチックな夢色をイメージさせる幻想的な色合いだ。

 頭についたゴミなんて、気にしている場合じゃないのに。


「ぐっ……」

 端正な顔を歪め、苦しげに呻いた。

「何をしてるんですか!?」

 彼が深々と刺さるナイフ腹のを片手で抜こうとする。

 ここで押し止めれば余計に深く刺してしまうし、争ってぶれる刃で傷口を広げてしまうかもしれない。止めようと上げた愛久の両手が、行き場がなく宙に浮く。


「抜くと血が大量に溢れ出て死んでしまいますよ」

 声で注意するのが精一杯。


 それでも、彼はやめようとしなかった。見ている方にも痛みが伝わってくるほど、震えながら脂汗をかく。

 血塗れの刃が顕になってくるにつれ、ドプリと血が溢れる。


「止めてください、本当に死んでしまう……!」

 愛久の悲痛な叫びも虚しく、とうとう力を振り絞って抜いてしまった。

 堰をきって迸る血液。白いローブが一気に染まる。散らばる長い金髪まで伝った。


 急いでジップパーカーを傷口に強く押し当てた。血が止まらない。ドロリとした生温かい感触が指の間から溢れる。濃い血錆のにおいが鼻につき、不快なそれらで胃から嘔吐感が込み上げる。

 今、ここには愛久しかいない。助けられるのは自分だけだ。


 ここがどこなのか、どこに町があるのかもわからない。助けを呼ぶこともできない、こんなことをしても何にもならないかもしれない。彼が死んでしまったら、この森から出る手掛かりが無くなるかもしれない。そんな考えは頭から抜け落ちていた。

 彼が誰でも、何を思って死にかけているのかもどうでもいい。死なせたくない、死んでほしくない。

 目の前で人体から流れ出る生命の熱を押し留めるのに、ただただ必死だった。


 目の前の彼は、さっき愛久の頭からとった夢色の花弁を形の良い唇に当てる。それから、短い歌のような、何を言っているのか意味が理解できない発音の言葉を口にする。


 途端、ジップパーカーで押さえた下から青い光がぼんやり僅かに漏れた。

――呪文……?


 唇に当てている花弁が見る見る色を失い、萎れ、枯れる。変わりに止めどなく流れていた血が止まった。


 恐る恐るジップパーカーを退ける。血に染まったローブを貫通し、ナイフが刺さっていた箇所から除くのは傷一つない。


 回復魔法。


 あ然としつつも血が止まってホッとしたと同時、どっと疲れた。

 それから、徐々に愛久の頭に混乱が広がる。


 あれは魔法だ。魔法以外に急激に傷が癒える現象を説明できない。ファンタジーな現象が起こった。

 現実なのか、『不思議の国のアリス』みたいに夢を見ているのか。


 病院のベッドの上で暇をしている大生に、漫画やら小説やらをよく届けていたし、その流れで読む機会もあったから、こういったものを知っている。

 ライトノベルでよくある、異世界トリップというやつだ。しかしあれは創作物で、非現実的だと否定し、魔法が起こした奇跡を思い起こしては、あり得ないと否定して、でも自分は知らない言葉を喋っているし、誰が言ったか人間が想像しうるものは実現可能みたいな名言もあったような……等と思考が忙しなくグルグル回る。


 彼の手がパタリと地面に落ちて、はたと我に返った。

 血の気のない青白い顔に、愛久は寒気を感じた。血が止まっただけで、助かったとは限らない。


 死んでないよな、と彼の手に触れる。ひんやりと冷たくて、愛久の方が心臓が止まりそうだった。

 手首から脈拍を確認できたし、彼の顔に再び顔を寄せると、薄く息をしている。念入りに生存確認してやっと胸を撫で下ろす。


 それでも、目を覚ますまで不安感が拭えない。いつ呼吸が止まるともわからない。どこにも辿り着けない愛久は、歯痒い思いで待つしかなかった。


 何があってもすぐに対処できるよう、じっと観察する。

 やっぱり、綺麗な顔だ。男ではあるのは愛久でもわかるが、整った柳眉は細すぎず、鼻筋がスッと通り、中性的。血の気のない現状を覗いても、肌は白く滑らかで傷一つない。閉じた目元にある、小さな泣きぼくろさえ魅力的。

 シルクに似て艶々で美しい金髪も肌も血塗れなのが残念だ。


 勝手に寝顔を観察しておきながら、なんだかドキドキしてくるくらいに美人。よく考えれば、知らない他人が寝顔を見てるって、ちょっと気持ち悪いなと我ながら思ってしまった。

 これは安全を見守っているだけ、なにもやましくない。顔を逸らすも、気になってチラチラと見てしまう。

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