【BL】異世界転移したら死にかけ魔法使いを拾って懐かれたのだけれど?!

椎葉たき

序章 歌う青いウサギのぬいぐるみ

第1話 愛久と大生

 白い壁、白いカーテン、ツンとする消毒剤のにおい。病院の大部屋の角のベッド。

 窓から差し込む白い光に、弟――大生だいせいの姿が溶けて消えてしまいそうで、愛久あいくの胸が引き絞られる。悟られぬよう拳を握った。

 昔から身体が弱かったが、一段と顔が青白く見えた。


「兄さん、バイトは?」

「変わってもらった」

「サボりだろ」

「夕方から入ってる」

「バイト野郎が。父さんも大げさなんだよ。入退院なんて、いつものことじゃん」

「悪態がつけるくらい、元気でよかった」

「うざ」


 ヘラっと笑う兄に、大生は煩わしげに眉根を寄せる。

 いつもそう。度々入院している弟を見舞いに愛久が行くと、無愛想な態度をとる。

 仕方ないと愛久は思う。

 大生は一六歳、青春真っ只中の年齢だのに、こうして入院しなければならない。自由の利かない身体に精神的に参って、苛々したり落ち込んだりしてもおかしくない。ストレスが溜まるだろうに、当たり散らしたり怒鳴ったりしたことが、これまで一度もない。

 子供の頃から我慢をしているのは大生の方だ。


「流石に退院したばかりなのに一人でバスに乗せるのは無しだよ。父さんに車借りるし、ついでに飯でも食いに行く? 病院食じゃ物足りないだろ。高いところは無理だけど、奢る」

「期待してねぇ。じゃあ、専門店の黒毛和牛ハンバーグステーキセット」

「了解」


 いつも通りの見舞い。いつも通りに退院。なんでもない。何も考えず気軽に誘った。

 お財布事情を期待されてないとはいえ、そこそこいい値段のものを要求してくるのはちゃっかりしている。退院祝いだ、それくらいなんともない。快く了承して飯で釣ったら、少しだけ弟の機嫌がよくなった。年相応に食い気の勝る弟に、愛久の表情がほころぶ。


 ふと、床頭台の上にちょこんと置かれた人形に目がいった。青いウサギのぬいぐるみだ。ボタンで出来た目の位置が左右違っていたり、左右の手足の太さが違ったりと、手作りらしさがある。年季が入っていて薄汚れていた。擦り切れて破れたあとを何度も縫われた形跡が見え、大事にされているとわかった。


「それは?」

「拾った」

 ぬいぐるみを愛でる趣味などなかった弟だ、そうなんだろうな、とは予想していた。

 素っ気ないが、本当は優しい。不格好でボロボロの落とし物をゴミとして破棄することも、面倒だと見て見ぬふりもず、届けようとする辺り。


「看護師が来たら渡そうと思ったけど、ついでだし、兄さん届けてよ」

「小児病棟?」

「違うんじゃない? そこの廊下で拾ったから、見舞客のかも。古そうだし、子供が持つのじゃないような。大人のかもよ」

「探偵か? よく気づくな。ぬいぐるみ持ち歩く大人もSNSとかで見るし」


「普通に気づくだろ。生存確認したんだし、気が済んだよな。もう帰ったら? バイトあるんだろ」

「そうだな。あんまり居ても大生も疲れるだろうし。明日、また来る」

「来んな」

「退院だろ?」

「一人で帰れる。大丈夫だから退院なんだろ。何回入退院してると思ってるんだ、こっちは入退院のプロだ」

「なら、俺は入退院を手伝うプロだ」


 負けじと返すと、眉間にシワを寄せて舌打ちされた。

「帰りにハンバーグ食べるんだろ?」

「やっぱいい。面倒くさい。バイト野郎が、来んな。バイトと病院を行き来してるから彼女も出来ないんだ」

 ツンと愛久から顔をそらし、ベッドに横になると背を向けた。

 家族と仲良くお出掛け、なんて気恥ずかしい年頃だし、バイト三昧の兄を気遣って突き放しているだけ。だからといって、一人で退院はさせないけれど。


「彼女出来ないは関係ないし。バイトでも彼女居るヤツは居る」

「じゃあ、兄さんに彼女出来ないのは何でだろうな。見た目は……まあ、悪くないんじゃない? 知らないけど」

 文句ばかりつける弟だが、兄の容姿をなじらないばかりか、悪くないという。素直じゃない大生に褒められたみたいで、少し嬉しい。


 愛久と大生は、似ても似つかない。線が細く繊細な体躯をしていて、儚げな大生。それに対し、人より背が高く、バイト三昧で薄っすらと日焼けした健康的な肌に、力仕事で自然と鍛えられ、実用的な筋肉がついていた。見るからに健康体。簡単にいうと、ガッチリした大柄の男。


 外見にそこまでこだわりはないものの、漆黒の髪は邪魔にならない程度に定期的に美容院に通ってカットしてもらっているし、安いブランド品の服でも小綺麗にしている。

 顔の造形も整っていて、包容力があって男らしいのに、くっきり二重と黒目が、優しい顔をした大きなクマのぬいぐるみようで可愛いとバイト先の女たちには評判がいい。

 バイト先の女の子に告白されたのも何度かあったが、全て断っているのは、家族には秘密にしていた。


「何でだろうな」

「一人寂しいオッサンまっしぐら」

 弟の辛辣な未来予想はチクリと刺さるものがあったが、気にしないふりをした。


「まだそんな年齢じゃないし」

「あっそ。もう寝るから、出てって」

 兄との会話に疲れたのか、大生は布団に潜って背を向ける。


「大丈夫? 看護師呼ぶ?」

「寝かせろ。必要になったら自分で呼べる」

 青白い顔色を見た限り、心配するなという方が難しいのだけれど。

 ぬいぐるみを持って、ナースステーションへ向かう。


 静かだけれど、大部屋から会話が漏れ聞こえてくるどこか賑やかな病院の廊下。ひときわ騒がしく、大声で「お母さん早く!」と急かす子供の声がして、パタパタと軽い足音が響く。続いて、母親が注意する声。


「おぁっ!?」

 元気だなぁ、なんてのんきに思っていたら、廊下の角から飛び出してきた子供とぶつかった。頭突きが油断していた腹に入り、手にしていたウサギがすっ飛んだ。


「すみません! 大丈夫ですか? お医者さん呼びます。まったく、危ないから走っちゃ駄目だっていったでしょ」

「ごめんなさい……」

 シュンと肩を落とし心から反省している男の子に、腹を抱えて蹲る愛久は痛みを堪えて笑いかけた。


「お兄さんは身体が丈夫だから大丈夫。だけど、丈夫じゃない人にぶつかってたら怪我させていたぞ。今度から気をつけな。お母さん、俺、大丈夫です」

 子供の母親の方が青い顔をして、慌てて医者を呼ぼうとするのを静止する。


 頭突きは見事なものだったが、骨が折れたものでもない。数日青痣が残るくらいだ。

「ところで。ぬいぐるみを落とされませんでしたか」

「いいえ。悠、ぬいぐるみ持ってた?」

「うんん」

 母親に尋ねられて、男の子が首を振って否定する。

 落とし主が捜しに戻ってきたのではなく、ぬいぐるみとは関係のない見舞客だった。

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