【BL】異世界転移したら死にかけ魔法使いを拾って懐かれたのだけれど?!
椎葉たき
第1話 森の中
風が頬を撫で、草と土、新鮮な水のにおいがする。気がつけば、池の畔に倒れていた。
意識がぼんやり覚醒しつつ、眩しさを覚えた。澄んだ午前の陽光が木の葉の隙間を通り抜けてキラキラと、丁度
何故、野外で寝ていたのか。
ふかふかの草の上で仰向けになったまま、木々の緑を眺め逡巡する。
――えーっと……確か……。
昨日のバイト帰り、夜中に病院裏の緑化公園から子供の歌声が聞こえ、こんな時間に子供が野外に出ていなんてと見に行き、縁石に置いてあった青いウサギのぬいぐるみを見つけ、拾おうとして……急に地面が陥没したみたいに落ちた感覚があって。
そこからの記憶が途切れていた。
成島愛久、ニ十歳、男、職業フリーター、日本人。記憶の混濁もない。
草に手をつき四つん這いになって、直ぐ横にあった泉を覗き込む。底が見える透き通った清水の水面に反射して、黒髪黒目の薄っすら日焼けした見慣れた顔が映った。問題なく自分の顔だ。
こんな透明度の高い泉、病院裏の緑化公園にあったっけ? と首を傾げる。
バイト三昧で疲れていたから、気を失うように外で寝てしまったのだ、と結論づけた。
自分では気づかなかったけど、外で寝てしまう程身体を酷使していたなんて。
立ち上がり、背中を反らしてぐっと伸びをする。
ふかふかな草のクッションのおかげで体重のある筋肉質な愛久でも身体に痛みはない。意図せずたっぷり寝て、頭も身体もスッキリ絶好調。
深呼吸ののち、本日の予定を思い浮かべる。入院していた弟が退院するので迎えに行ったあと、午後はバイト、今帰れば間に合うはずだ。
泉を離れ、森の中を歩く。最初の内は明るい緑が奇麗だと元気いっぱい、散策気分だった。
足元は枯れ葉が降り積もって柔らかいけれど、木々の生える間隔が程よく歩きやすい。
それから何時間歩いたのか。行けども行けども森の中、舗装された歩道に当たらないし、出口がわからない。病院裏の緑化公園は気晴らしに何度か来たことがある、さほど広くない公園だったはず。
体力と気力がどんどん奪われていく。
誰にも会わない、人が居ない、遭遇する生き物といえば落ち葉を分解する小さな虫、それから、緑。ほぼ植物。
近所の家で飼われている真っ白な巨体のサモエドも散歩に連れ出されていないし、よく見かけたキジトラの野良猫、雀や鳩、野生化して群れるインコといったいつもの鳥たちすら見当たらない。愛久はたった一人、森を彷徨う。
ぐぅぅ……
空腹で腹の虫が鳴いても、ポケットには菓子どころかスマホも財布も入っていない。
歩き通して喉が張り付くほど渇き、唾を飲み込む。
手持ちの荷物が一つもなく、庭師補助の短期バイトをしたことがあるから木には多少知識があっても、サバイバル知識はない。
もう、どっちから来たのかさえわからない。泉の場所まで戻ろうとしても見えるのは木、木、木……。
朝の日差しが、気づいたら午後の日差しに変わっていた。
いったい、どうなっているのか。
このまま干からびて死ぬのか。
焦り、絶望感が湧いてくる。
日本の成人男性の平均より体つきが大きいわりに気の小さい愛久は、肩を丸め涙目でスンと鼻をすする。二十歳でも心細いものは心細い。
「誰かいませんかー!」
愛久は違和感を覚えた。それは確かに理解できる言葉だったのだが、何故か日本語ではなかった。日本語を話しているつもりが、知らない言葉に置き換わった。
――なんだこれ。
よくわからない現象が自分の身に降り掛かっている。
助けを求めて大声を上げたが、森はしんと静まり返っていて、キラキラと光が降り注ぐ神秘的な森が不気味だ。
――まるで、森に食われたみたいだ。
森という生き物の腹の中で、死に絶え、消化される、生きたまま食われた獲物になった気になってくる。
死を想像してぶるりと震えた。
心が折れそうになったとき、さあっと風が吹いた。風に乗って、微かに人の声らしき音を耳が捉えたとき、心臓が高鳴った。
耳に神経を集中させる。幻聴でも風の音でもない、確かに聞こえる。途切れ途切れの弱々しい歌声。聞き覚えのある曲だ。
あの青いウサギのぬいぐるみが歌っていた歌と同じ。歌詞のある歌ではなく、メロディだけのハミング。
だけど、声が違った。成人男性の低い声。
――ここから出られる!
心の中で歓喜して震えた。見知らぬ誰かの存在が、こんなに頼もしく感じたのは初めてだ。
喜び勇んで木の枝をくぐり、降り積もった枯れ葉を蹴り巻き上げて走る。
緑の先に見つけた。
木に寄りかかって足を投げ出して座り、穏やかに歌を口ずさむ青年。長い金髪は木漏れ日のように煌めいていた。
ファンタジーゲームの聖職者みたいな毛織物の厚い生地の純白のローブを着ていて、高潔なものに見える。コスプレ撮影をしているのか、とも思ったけれど、様子がおかしい。
ローブの白がジワリと赤に浸食されつつあった。腹からナイフの柄が飛び出ている。刃が見えないほど深く刺さり、血が滲み出る。血糊にも演技にも見えない。
死にかけている男が、息も絶え絶えに穏やかな声で歌うのは、童謡に似た、素朴で楽しげなメロディは、死にかけている状況とはチグハグだ。降り注ぐ木漏れ日に溶けて消えてしまいそうな白い顔は、絶望するでもなくただ粛々と死を受け入れている。
頭上から筋状になって差す光が、彼の長い金髪をキラキラと輝かせる光景は、生物とは違う、なにか神聖なもののようだ。
命の灯火が尽きよういる様は厳かな儀式にも見え、汚してはならない、踏み入れてはいけない領域に感じ、足が竦み、鳥肌が立つ。
絵画のようだが人工的なものとは違う、何とも形容詞し難い。あまりにも崇高で美しい。歩き続けた疲れも空腹も渇きも忘れ、息を呑み、愛久はその場に縫い止められた。
人が死のうとしている場面でありながら、心の底から湧いてくるのは、恐怖による悲鳴ではなく感動だった。全身が震えて息苦しいほど、心を奪われる。
人間ではないものなのかもしれないと、勘違いさせる。
天使、土地神、あるいは、エルフ――
「妖精……?」
あまりの神々しさに、自分の口から出た。
愛久の呟きが瀕死の彼にも届き、目があった。青みががった深緑の瞳。穏やかに澄んだ深い湖畔のよう。
透き通った瞳が、親しみを込めて柔らかく微笑み掛けてきた……気がした。
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