お札の海(お金持ちアハメーション用シナリオ)

蝉の弟子

前編

「お客さん、これからご旅行ですか、うらやましい」


 タクシーの運転手が、トランクから大きな二つのスーツケースを下ろしながら話しかけてくる。二人のサラリーマン風の男達は、潮の香る強風に髪を乱されながら、そのスーツケースが手元に戻るのを待っていた。

 しかし運転手が一つ奇妙に思ったのは、この二つのスーツケースが異様に軽いのだ。まるで中に何も入っていないかのように。旅行に行くのであれば、これは極めて不自然だ。


「ははは、僕等はこれから漁に行くんだよ」


 男の一人が上機嫌で答える。


「漁ですか?」


「お釣りは要らないよ」


 運転手はいよいよ怪訝な表情をみせたが、客から一万円札を数枚渡されると途端に上機嫌となり、それ以上追及しようともしなかった。

 足取りまでウキウキの運転手は、そのままタクシーに戻るとまだ暗い朝の漁村を車で駆け抜けて行った。


「僕は思うんだ、こんな漁師町に排気ガスは無粋なんじゃないかって」


 タクシーを見送っていた男の一人が、呟くように言う。


「それを言ったら、漁船にだって油は使っているじゃないか。

 それより良かったのかい、タクシー代は全部君もちで?」


「ははははは、たかが数万円じゃないか、大袈裟だなぁ」


「そんなに大袈裟だったかい?」


「ああ、大袈裟さ。これから僕等が稼ぐお金の額を考えればね」


 二人は大きな空のスーツケースを引きずりながら、まだ人影もまばらな漁村を歩き始めた。



         *      *      *



 空が明るみ始めた港で二人を待ち受けていたのは、小型の漁船と、その持ち主の日焼けしたおっちゃんだった。


「少し遅れたかい?」


「いや、時間ピッタリだよ。

 ところで、そっちの人は初めてのようだけど、漁のルールはちゃんと説明しておいたのかい?」


「まだだよ、漁場に着くまでに船でするつもりさ」


「そうか、くれぐれも気を付けてくれよ。ルールを破ったらみんな一目散に逃げちまう」


「ハハハ、肝に銘じとくよ」


 空のスーツケースを抱えた男達が船に乗り込むと、漁船は港を発って海原へと向かう。二人の男達のネクタイを、潮風が弄びバタバタいわせている。


「で、さっき話してたルールってなんだい?」


「ああ、ルールっていっても大した事はないんだよ。漁場に着いたらお金の悪口は言っちゃいけないってだけでさ」


「お金の悪口?」


「例えば”お金なんか卑しい”だとか”お金より大切なものがある”とかだよ」


「ふーん、でも”お金より大切なものがある”ってのは事実だろ? 君だって、愛とか友情とかの方が、お金より大切じゃあないのかい?」


「そうは言ふけど君は一度だって、愛や友情とお金を天秤にかけた事があるのかい?

 そんなありもしない事をわざわざ想像して、お金さんを貶す必要なんてどこにもないだろう? お金だって人生に大切なものなんだし、愛や友情と比較する必要だってどこにもない」


「うーーん」


「それに、お金があったからこそ守れる愛や友情だってあるんだぜ。

 現に君は、僕がいなけりゃここまでのタクシー代だって厳しい有様だったじゃないか」


「確かにそうだ、面目ない。実は家内に、今月の小遣いを絞られちまってね」


「君は実に見事な恐妻家になったものだね。学生の頃などは、まるで怖い物なしだったのに」


「失敬な事を言わないでくれたまへよ。

 僕にだって昔から怖い物くらい沢山あったさ。最近になって、飛び切り怖い物が一つ追加されただけの話で」


「ハハハハハッ」


「お客さん方、もうそろそろ到着しましたぜ」


 舵を操ってた咥えタバコのおっちゃんが、網を抱えて二人のところに下りてきた。日は既に登っていて、浅黒いおっちゃんの肌に光沢を出している。


「投網(とあみ)ですか、そいつは?」


「そっちのお客さんは何度か経験済みなんで、投げ方は教えて貰ってください。

 心配せんでもここいらは、ルールさえ守っていれば素人の網でも十分捕れますんで」


 網を渡したおっちゃんは甲板の椅子に腰かけると、もうくつろぎ始めている。男達は上半身の服を脱ぎ捨て、一人が渡された網を抱えあげた。


「さぁ、始めようか」


「ああ、よろしく頼むよ。それにしてもこの網はバカに重いね」


「網を投げやすいように、先に沢山の重しが付いてるからね。

 どれ、僕にかしてごらん、こうやって投げるんだよ。そぉらっ!」


 男が抱えるようにして網を放ると、先の重しが楕円を描いて海に落ちる。


「プロだと、もっと綺麗に大きな円を描いて落ちるもんだが、僕だとこれがせいぜいさ。投網を綺麗に投げようと思ったら、一年以上の練習が必要らしい。

 さ、引き上げるのを手伝ってくれ」


 二人の男が網を引きあげると、大量の紙幣が網にかかっていた。


「やあ、こいつは凄い。実際にこの目で見るまで、正直僕は話を聞いても半信半疑だったんだよ。

 こんなに大量の日本銀行券が、しかも全部万円札じゃあないか。おまけに海から出てきたのに、全然濡れていないとはたまげたね」


「お札の活きが飛び切りいいから、水くらいはじいちまうんだよ。さ、早くスーツケースに詰めてしまおう」


 網にかかった紙幣を、二人の男は風に飛ばされぬよう丁寧につかみ取っていく。


「僕は、お金の音はチャリンチャリンだと思っていたのだが、その考えは改めなくちゃあいけないな。バサバサというのが、本物のお金の音だ」


「ははは、チャリンチャリンでは小銭止まりだからね。でもバサバサというのも早計だと僕は思うな。すぐにその音は、ドサドサに変化してしまうよ」


 男の一人は紙テープを取り出して、お札を束ねだす。


「なるほど、束ねてしまえばドサドサだ。でも、網で取るのだから僕はむしろ、ジャブジャブでもいいんじゃないかという気がしてきたよ」


「なるほど、ジャブジャブか! そっちの方が景気がいいかもしらんね」


 男達は各々のスーツケースに、獲れたての札束を詰め込み出した。


「君は本当に欲が深いなぁ、よくもそんな大きなスーツケースを探してきたものだよ」


「君だって人の事は言えないよ、そのスーツケースだって十分な大きさじゃあないか。しかも君は、ここに来るのがもう三回目ときている」


 二人は思い思いにスーツケースに札束を押し込んで行く。


「今度は僕に網を投げさせておくれよ」


 まだスーツケースに十分な空きがある事を確認した二人は、海へ再び網を投げ入れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お札の海(お金持ちアハメーション用シナリオ) 蝉の弟子 @tekitokun

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画