瓶の中には
@Kasasagi7777
詰められたもの
波の音が聞こえる。ざぶんざぶんと海の向こうで何が起こっているのかを隠すような音。そんな音を聞きながら僕は浜辺を歩いていた。
僕は今まで何をしていたのか、誰と暮らしていたのか、自分が何者なのかを一切思い出せないでいる。なぜ、ここにいたのだろう。何をしたかったのだろう。きっと僕はそれらを思い出すことなく一生を終える。なんとなく、そんな気がした。
僕はこの浜辺で倒れていたところを助けて貰い、近所の教会で保護されている状況にある。今頃、教会では皆が神に祈りを捧げているのだろう。神様は信じていない訳では無いけど、少し嫌悪感を抱いてしまう。そのせいか、敬虔な人たちを見ているとなんだかいたたまれない気持ちになる。だから、夜になるまで外にいることにした。あるときは街に、あるときは森に。そこに訪れたのは初めてでは無いのかもしれない。でも、記憶には無い。全て全てが新鮮に感じられた。教会の外にいる時、僕はこの世界に受け入れられているような気がした。
少し歩いたところに沢山のテトラポットを見つけた。思わず足を止め、その不思議な形をじっと見つめる。テトラポットにはあまり近寄るなと言われている。これで怪我をした人はいっぱいいるらしいから。波から人を守るものが人を傷つける。本当に不思議だ。その場から離れようとしたとき、テトラポットの隙間に落ちているひとつの瓶が目に入った。中には3枚の便箋が入っているようだった。それを拾っては行けないような気がする。でも、拾わなければならないような気もする。どうするべきなのだろうか……夕日も落ちかけおり、そろそろ帰らなければならない。僕は10分程度考え込み、意を決して瓶に手を伸ばした。
教会に帰ると、食事の時間のようで机には僕と神父様の分のパンとスープが置かれていた。与えられた少し硬いパンと薄いスープを食し、弾まない会話を交わす。
「……ここには慣れたか」
「は、はい。一応……」
「そうか……」
こんな会話を何度も繰り返しているような気がする。そして、会話の終わりにはいつも神父様は何かにすがるかのようにこう聞くのだ。
「アルトという名前に聞き覚えは無いか?」
と。アルトなんて名前、僕は知らないし、聞き覚えもなかった。心臓のどこかを鋭い爪で引っ掻かれているような不快感が体を走る。決まりきった答えなんて吐き捨ててしまいたい。しかし、神父様の何かに焦るような、今にも押しつぶされてしまいそうな面持ちにどこか躊躇してしまう。
「ない、です……弟さん、なんですよね……確か……」
「そうだ……」
「見つかるといいですね……」
「ああ……」
神父様との会話は未だにぎこちなく、パンが喉に張り付きそうだった。そんな気まづさをスープで流し込む。本来は伝えなければならないが、拾った瓶のことは黙っておこう。何かあったらその時はその時だ。隠し事のひとつやふたつ流石に神様だって許してくれるだろう。僕は少し俯き、またスープを流し込んだ。
自分の部屋に戻る。やはり、瓶の中の便箋の内容が気になる。瓶についていた砂を払い、僕は瓶を開けるために思いっきり蓋に力を加えた。きゅっと鈍い金属音が響く。思っていたよりも容易に蓋が開いた。最悪瓶を割ることを考慮していたが、その必要が無いようで一安心である。瓶の中から便箋を取り出す。蝶の柄が施された可愛らしい便箋だ。一体誰が書いたのだろう……プライバシーを侵害しているようで多少は申し訳なさを感じるが、好奇心には逆らえない。まぁ、瓶に入れているということはつまりそういうことだろう。僕は欲望に背中を押されながら便箋を読み始めた。
『懺悔いたします。僕は悪い人です。罪人です。僕は実の兄と愛し合ってしまいました。これは裏切りの行為だと重々承知しております。でも、この兄を思う気持ちは溢れてやまないのです。この気持ちはきっと生まれてからずっとあったのでしょう。早くに両親が他界し、家も食べ物もない中で僕を元気付けるために頭に乗せられた手の温もり、かけられた言葉、その全てが全て愛おしく感じられました。今も尚、思い出しては心が暖かくなります。それから、教会に拾われました。教会である以上、我慢しなければならないと分かっています。ですが、僕たちは誰もいない時ひっそりと口付けを交わしてしまいました。罪悪感は感じませんでした。』
……僕は言葉を失う。これは神への告白の文であったのだ。宗教についてはよく知らないが、恐らく禁忌とされていたのだろう、兄弟で愛し合うことは。これは軽い気持ちで見るべきものでは無かった。少し後悔する気持ちもあるが、それでも好奇心はなりを潜めることを知らないようだった。まるで何かを求めているかのように。なぜ彼はこれを書いたのだろう。海の向こうで一体何があったのだろうか。波の音が聞こえるような気がする。僕は2枚目の便箋に目を移した。文字は何かを訴えるように、何かを我慢するように酷く歪んでいた。
『ごめんなさい。ごめんなさい。悪いのは僕なんです。兄さまは一切悪くないんです。兄さまとの関係が漏れてしまったのだって、教会から追い出されてしまったのだって全部全部僕が悪いんです。お願いだから兄さまを責めないで。誰か、兄さまだけでも助けてください。侮蔑の目で見られるのは僕だけでいいんです。痛い目にあうのだって。ごめんなさい。ごめんなさい兄さま。僕みたいな不出来な弟がいるせいで兄さままで傷つけてしまって……愛してしまってごめんなさい。僕のことなんか忘れてください。』
自分を取り繕うことが出来なかったのだ、彼は。その文の端々から激情が溢れ出ており、所々インクが滲んでいた。良心の呵責に潰され、周りからも冷たい目で見られる。挙句の果てには最愛の兄まで責められたのだ。彼はきっと辛かったのだろう、苦しかったのだろう。こんなことをされて平常心でいられる人なんかいないはずだ。それでも、彼自身は神に許しを乞うことはしていない。そんな彼をみて兄は何も思わないわけがなかっただろう……
頭の中では危険信号が鳴り響いている。そんなの知ったこっちゃない。僕はほとばしる激情のまま3枚目の便箋を取り出した。
『僕らは逃げました。海の見える綺麗な教会に。村の端でひっそりとおじいさんがやっていた教会を貰い受けたそうです。僕は正直、神様なんて信じたくありません。でも、きっと神様はいるのでしょう。だって僕たち罪人は実際に地獄を味わっているのですから。もう嫌です。兄さまの幸せのためにも僕はいなくなるべきなのでしょう。この手紙は瓶に詰めて海に流します。流れ着いた先の誰かが僕たちを許してくれますように。僕がいなくなった未来で兄さまが笑顔でいられますように。
アルト・ アダムズ 』
どこかでガラスが割れる音がした。この手紙を書いたのは僕だ。ようやく思い出した。今まで何があったのか、自分が誰なのかを。嫌気がさしてくる。やっぱり、神様は僕たちのことを許してくれないのだ。海に流したはずの瓶は残っていたし、兄さまもここに縛られてしまった。僕が何をしたというのだろうか、ただ兄さまと愛し合っただけではないか。他にもっと悪いことをしている人間は沢山いるはずなのに、そいつらはのうのうと生きている。暴力を振るうことは悪ではない?陰口を叩くのも悪ではない?相手が僕であるから何をしてもいいのか。神なんてクソ喰らえだ。もう嫌だ。涙が溢れて止まらない。遠くでバタバタと足音が響いている。なんだっていい……これから兄さまと赤の他人のように過ごしていく日々が続いていくのだろう。思わず乾いた笑いがでた。未練がましいにも程がある。ドアが開いたようだった。
「大丈夫か。ガラスの割れるような音が聞こえたのだが……」
兄さま。愛しの兄さま。本当に僕は浅ましい。
「大丈夫だよ、兄さま。いままで迷惑かけてごめん。」
「アルト……!思い出したのか……迷惑だなんて思ってない!これまでのこと全ては俺の責任だ、お前は一切悪くない。」
「兄さまのせいじゃないよ!!」
「俺が不甲斐ないばかりに……お願いだ、アルト。もう俺から離れないでくれ。次こそは絶対にお前を守ってみせる。だから……」
お互い離れることが世間一般でいう幸せになれる条件であるのに、僕たちは離れることは出来ない。そういう星の元に生まれてきたのだろう。結局は、2人で生きていくしかないのだ。僕だって本当は兄さまとずっと一緒にいたい。離れたくなんかない。兄さまは全てを捨てて僕を選んでくれたのだ。どこまでだって一緒に行く。僕は兄さまの頬に手を当て、口付けをする。
「ねぇ、兄さま。大好き。愛してる。」
あぁ、堕ちてしまおうかこの瓶に詰められた地獄に。さようなら神様、僕たちは罪人です。どうぞ見捨ててください。手を絡め、さらに深く口付けを交わした。
瓶の中には @Kasasagi7777
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