アメフラシの詩

天宮涼香

第1話 神官の子孫

「ひい、ふう、みい、よー、いつ、むー、なな……幻の酒が七瓶!? ……だと!?」

 店々がひしめき合う小さな市場で、商人の男がすっとんきょうな声を上げた。雲一つない高い秋空に大きな声が響いて、道行く人が商人の男を見た。

「ええ。どれくらいになるかしら?」

 茶色の着物姿に顔をベールで隠した女性が、黒いレースの奥から鋭い瞳で商人を見た。

「入手困難で、都へ持って行ったら瞬く間に売れてしまう幻の名酒だ……今日は運が良い。これくらいでどうだろう」

 商人は大きく重たそうな銀貨を十枚テーブルに並べ、少し考えてから十二枚に増やした。

「……問題ないわ。商談成立」

 女は手早く銀貨を袋に入れて、『幻の名酒』と言われる酒を置き、立ち去ろうとした。

 商談の男が「待ってくれ!」と声をかけると、女の付き添いとみえる竹笠を頭に被った男が気を放った。 

「何か……?」

 その男は長身で白い着物を着ており、武人のようにも見える出立ちをしていた。女の護衛のように前に立ちはだかり、一瞬商人の男は怯んだが、興奮した声で続けた。

「他にも商品はあるか? 取引先の倍の値段で買おう」

 女と竹傘の男は目配せをすると、木箱から白い紙で丁寧に包まれた布を取り出した。

 紙を開くと、複雑な模様の織物が見え、商人は目を見開いた。

「これは……、まさか……マホロバの絹織物か」

「ええ。呉服を扱う市場へ持ち込むつもりだったの」

「銀貨四十……いや、五十出そう。譲って欲しい。王都で高く売れるはずだ」

「……いいわ。こちらも商談成立」

 女が手早く絹織物を白い紙で覆い、商人に手渡すと商人の男は産まれたての赤ん坊を受け取るように恐る恐る受け取り「本物見たの、初めてだ」と呟いた。

 机の上に銀貨が幾重にも重ねられ、道行く人がチラリとこちらを見ると、白い着物の武人は大きな掌で銀貨を掴み、手早く袋に入れた。

「ありがとう。都で高く売ってきてくれよ」

 竹笠の下の整った顔が見え、男が口の端を上げて見せると、傍で見ていた商人の妻は思わず頬を染めた。


 幻の名品を売りに来た謎めいた二人が足早に店を後にすると、商人の男はゴクリと息を飲み、二人が視界から消えた事を確認すると、一目散に仲間の元へ走った。





 足早に市場を抜けたベールの女と竹笠の男は、松の木が並ぶ旧道に入った。市場へと向かう者と帰る者が行き交い、人通りがまばらになった頃だった。

 男がベールの女の肩を抱き、恋人のように顔を近付けて耳打ちをした。

「付けられてる。……後ろに三人」

「うん」

「僕に二人、アマネに一人付くと思う。人質にされたら、一人は確保しておいて」

「わかった。サクにい、話変わるけど、……やっぱりこの話し方、近くない?」

「アマネ、顔引き攣ってる。もうちょっと自然に」

「それはわかってるけど、近い」

「若い男女だとこういう欺き方が自然だって散々教えただろ? 妹弟子のアマネの勇士を見せてもらおう。久々の実戦。しっかり働いてもらうよ」

 サクにいと呼ばれたサクヤという男は、妹弟子のアマネを鼓舞するように勢いよく肩を叩いた。

「もう。わかったよ」

 アマネは頬をグニグニと掌で揉んで、顔をほぐし、いかにも愛しい人を見つめるように、ニコリと微笑んだ。

「どう?」

「そう。その調子」

「……付け方を見ると、素人みたいね。」

「この辺りの山賊風情……だろうね。商人と繋がっていたんだな」

「残念。欲深いタイプの商人だったわね。ハズレ引いちゃった」

「いや、大当たりだよ。神官の子孫がどれだけ強いか示しておきたかったんだ」

「……どの辺りで動き出すかな」

「旧道を抜けると段々畑に入るんだ。脇道に逸れると森に入るから、その辺りで待ち伏せよう。相手も人目に付かない場所に入ったところを狙って来ると思う」

「わかった」


 若い男女が微笑みながら耳元で囁き合う姿は、側から見れば仲睦まじい恋人や若い夫婦のように見えただろう。ただ、この二人に至っては、囁かれているのは愛の言葉ではなかった。


「アマネ、殺すなよ」

「大丈夫。ちゃんと最低限にする。サクにいこそ、力加減間違えないでよ」

「僕は実戦に慣れてるから大丈夫だよ」

「ふふっ。わかった。まずは……演技力の見せどころ」

「あの名演技が今日も見られるのか」

「失礼だなぁ」

「できるだけ油断させて一気に叩きたいんだ。そこらへんは臨機応変に。頼むよ」

「うん。任せて」


 二人は段々畑を抜けて木々の生い茂る森の道に入った。

 サクヤが「ちょっとだけ我慢して」と小さな声で前置きをしてアマネの背中を木に押し付けると、彼女の背中に手を回して抱きしめた。正しくは、体を少し浮かして『抱きしめる演技』をした。

 アマネが苦笑いして声を顰め、「近いなぁもう!」と顔を歪めると、アマネの背後で乾いた木が足で踏まれ、パキパキと折れる音がした。そこには予想通り、山賊の出立ちをした男が三人現れた。

 三人共、剣を向けてアマネとサクヤを囲み、『抵抗するな』という様子で睨みを利かせていた。

 アマネはサクヤの肩越しに、男達の身なりや体格を見た。

──わかりやすい山賊の身なりね。大男、中男、小男……。さて、誰が私に付くかな。

 


「お楽しみのところ、悪いな。単刀直入に聞く。アワの村のものか?いや……聞き方を変えよう。神官の子孫のものか?」

 サクヤは不敵に笑うと、アマネから体を離さず山賊に言った。

「……悪いけど、今いいところだから後にしてくれないか? アワの村……何の事かな?」

 そう言うと、サクヤはアマネから少し体を離して、今度はアマネの顎を指で上げた。妙に色っぽい手付きでいかにも『今から口付けをするところ』と見せつけるように顎に触れた指をもて遊んでいる。

──サクにい、遊び人風の演技、ノッてるなぁ。

 アマネは何だか可笑しくなり、肩を振るわせて笑いを堪えている間に、山賊はニヤつきながら二人に近付いてきた。

「残念ながら、商人に売ったもので、あんたらがアワの山から来た事はわかってる。大人しく着いて来れば、この姉ちゃんにも手荒な真似はしない」

 山賊の『大男』は余裕の笑みでアマネの腕を背後から押さえ込んで動けないようにすると、顔を覆っているアマネのベールを取り払い、地面に投げた。


──あんまり顔は見られたくなかったな。

 アマネは静かに舌打ちすると、顔を正面から見られないよう俯いた。影になった顔を覗き込んで山賊達はゴクリと息を飲んだ。


 サラリと真っ直ぐな黒髪が首元まで伸びて、切れ長の目尻が凛々しく上がっている。色白で艶のある肌血色で十六、七頃の少女だと予測できるが、妙に大人びた顔つきだった。

 アマネが一瞬、鋭い目付きで目線だけを上げて山賊を睨むと、山賊は満足そうに笑った。

「上玉だな。神官の子孫でなくても大した金になりそうだ」

 アマネは腰が抜けたフリをして体の力を抜くと、それを山賊が支えた。


──なるほど。隙だらけだわ。


 アマネは相手の間合いをはかりながら目を光らせていた傍らで、「きゃー!助けてぇー!」と叫んだ。

 サクヤは竹傘を下に向け、顔を隠して鼻で笑うと「下手くそだなぁ」と小さく呟いて笑った。

 山賊は変わらず神妙な様子で続けた。

「神官の子孫には報奨金が掛かってるんでね。できれば生きて王都へ連れて行きたい。兄ちゃん、悪いが、あんただけは気を失っていてもらうよ」

「……抵抗せず、王都へ大人しく着いて行くと行ったら?」

「抵抗しないという約束は信じられないのでね」

「そうか……。その判断は、」

 サクヤが突然視界からいなくなったかと思うと、気付いたら木の上に飛び乗っていた。「何だ?!」と山賊がサクヤを目で追っているうちに一人の後頭部に白い着物の足が飛んで来て、サクヤは背中から木刀を抜き取ったとほぼ同時に振り下ろし、もう一人の首の後ろに木刀がぶつかる鈍い音がした。

 サクヤは残りの一人を横目に見て「……正しかったね」と呟いた。

 数秒差でゆっくりと土の上に倒れていく仲間達を見て、先程までニヤついていた山賊の血の気がみるみるうちに引いていった。アマネを人質に取っている腕が震え、恐ろしさからなのかアマネを抱える腕に力が込もり、片手でサクヤが近づかないように剣を精一杯に伸ばして振り回した。

 サクヤが臆する事なく近づくと、山賊が闇雲に振り回した剣が笹笠に当たり、笠がゆっくりと土の上に落ちた。

 山賊は男の顔を見て、思わず目を見開いた。

 透き通るような白い肌に、この世のものではないかのような整った目鼻立ちの男がそこにいた。目尻はその男の優しさを示すように少し下がっていて、男にしておくにはもったいない程の美しさだった。山賊は見た事のない程の美男子に息を飲むと、脳裏に不意に『神の化身』という言葉が浮かんできて、男に向けた剣を握る手が一層震えた。

「ち、近付くな! ……下手な事したら……こいつの命はないぞ!」

 

──まぁ、なんとも……お決まりのセリフだこと。


 アマネは小さく溜息を付くと、体の力を緩め、ひゅ、と一つ息を吸った。呼吸を整えると、溝落ちの奥の一点を目掛けて肘で一撃。深くまで刺すように山賊の体に一瞬で押し込むと、男の体の動きが止まった。アマネが拘束されていた腕を抜けて山賊の顔をグイっと自分の体の逆方向へ背けた瞬間に「ゲホっ!おえっ」と山賊の胃袋の中身が外へ飛び出し、そのまま土の上に倒れ込んだ。

 アマネは「おっと、あぶない」と呟いた後、「このお兄さん、まだ意識があるから縛っておこう」と懐から紐を取り出して腕を後ろにまわして縛ると、サクヤも「紐ちょうだい」とアマネの顔の横に手を出して足を束ねて結んだ。

 アマネが深い肘鉄を食らわせた山賊に向かって眉を顰めて申し訳なさそうに言った。

「向こうのお兄さん達の意識が戻ったら、縄を解いてもらってね」

 虚な目でアマネを見上げる山賊に、サクヤが続けた。

「手加減してるから、目を覚ますまでそんなに時間はかからないと思うよ。日が暮れるまでには意識が戻るはずだから、明るいうちに帰るんだよ」

 アマネは心配そうに山賊を覗き込むと、胸を撫で下ろした。

「良かったー。お兄さんが倒れた二人を置いて逃げ出したら、これ使おうと思ってたの」

 と、いかにも肌を貫きそうにピカピカと黒光りして四方に尖った手裏剣を懐から出した。

 サクヤは眉間に皺を寄せると

「ダメだよ。これ、まぁまぁ痛いだろ。血が出るのは可哀想だ」

「うん。だから、逃げ出さなくてよかったなぁって」

 山賊は朦朧としていく意識をかき集めた。

(何言ってるんだ……こいつら……。子供が虫でも殺すみたいに会話してやがる……)

 サクヤは虚な目で自分達を見上げる山賊の前で膝を折ると、改まった様子で告げた。

「君と、君の仲間達に伝えておきたい事がある。……神官の子孫達は強い。怪我をしたくなければ、手を出さない方がいい。僕達も、手荒な真似はしたくないんだ。」

 山賊はゆっくりと頷いた。

 アマネも膝を折って「ごめんね。痛かったでしょう?」と言いながら山賊の前に座ると、名も知らぬ男の額に掌を当てた。

 そして目を閉じると、ゆっくりと呟いた。

「……ご加護がありますように……」


 山賊は遠くなっていく意識の中で、「天女様……」と呟くと、ゆっくりと目を閉じて意識を失った。





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