第4話 獄卒は女子高生と食卓を囲む

 琥影は浴槽の湯が渦を巻き流れるのを暫し鑑賞したのち居間に戻った。


 時計を見やると時刻は午前十時を指し示していた。


 勤務が終わったのが午前四時で、上司の小言から解放されて帰宅したのが午前六時……四時間近く浴槽に浸かっていたのか、どおりで指がふやけているわけだ。


「深陽は……やっぱ寝てるか。そりゃそうか、俺と違ってコイツは生者だしな。あの時間まで起きていたのが不思議なくらいだ。まあそれとは別に、この布団の敷き方はおかしいだろ……」


 布団は自分用客人用の二枚あるはずなのに……ここには一枚しか敷かれていない。まあそれだけなら何らおかしいこともないのだが、枕が二つ横並びで置かれていた。


 その片方に深陽が頭の乗せてスヤスヤと寝息を立てていた。


「コイツの頭ん中どうなってんだよ……」


 琥影は頭を掻きながら台所に向かい冷蔵庫から缶ビールとそのお供を何個か取り出した。

 ちゃぶ台に戦利品を広げて缶ビールを開けて「かんぱ~い」と一人祝杯を上げた。


 炭酸とほろ苦い味が喉の渇きを潤していく。この瞬間のために生きているといっても過言ではない。


 苦みがまだ残っている状態で、生ハムを頬張る……最高だ。塩気と肉の旨味が口いっぱいに広がる。ほどよく噛んで歯ごたえを味わったところで、一気にビールで流し込む。


「はぁ~……これだよ、これ。これがあるから今日も一日頑張れたが……今後のことを考えると気が重い」


 琥影が上司から下された命令は、お前が拾ったんだから最後まで面倒を見ろというものだった。ただそれだけであれば、深陽が目覚め次第現世に送り帰せば済む話なのでそれほど難しくはない。


 問題は深陽が黄泉の国に来てしまったことで、生気に飢えていた亡者共が活性化してしまったことだ。一度活性化してしまうと、生者がこの地を去ったとしても数十年と生気を求めて、あの坂を抜けて現世に行こうと行列をなす。その相手を全てワンオペで処理しなければならない。


「他人にも不幸を押し売りしてくる不幸体質ってなんだよ……」


 この日のビールはなぜかいつもより一段と苦く感じた。



 ◇◇◇◇◇◇



「…………」


 琥影は出汁のいい香りと肉の焼ける音で目を覚ました。


 夜更け酒ならぬ朝更け酒をしてしまったようで、昨日はちゃぶ台にうつぶせで寝てしまったらしい。 晩酌の残骸は綺麗に掃除されており、ちゃぶ台には何も置かれていなかった。


 変な姿勢で寝てしまったことで、全身が凝り固まり少し動かすだけで痛みが走った。

 周囲を見回すと布団は片付けられており深陽の姿も見当たらなかった。


 琥影は重い腰を上げて台所に向かった。


「……おまえ何してんだ?」


 髪を一纏めにした深陽が台所に立って料理をしていた。


 髪を結うために下緒が使用されていた。馴染みの店から無償で貰ったオレンジ色に染色した下緒で、長さも試作品のため極端に短く十センチ程度しかない。主に観賞用としの品物だった。


「おはよう、琥影君! 何って見てわかんないの? ご飯だよ、朝ご飯。琥影君はもうちょい自炊すべきだよ。なんにもなくて、献立マジ焦ったし……!」


 深陽は手に持ったお玉で鍋をかき混ぜながら振り向いた。


「仕方ないだろ、俺たちは特に飯を必要としないんだよ。別に食わなかったって死なないからな。あくまで食事はただの趣味娯楽でしかないからな」


「ふ~んそうなんだ。その割には昨日だいぶ豪遊してたっぽいけど?」


「…………」


「にはは、ちょっと意地悪すぎたか! 手が空いているならそれ持ってってくれない?」


 琥影がだんまりを決め込む中、深陽は笑みを浮かべ調理台に置いてある料理に目を向けた。


「獄卒の俺を顎で使うヤツがいるなんてな」


「さっさと持ってよ。この台所狭いんだから~」


「狭いって言うな。一人暮らしに与えられる民家はこんなんしかないんだよ。部屋が複数あって風呂トイレ別とか、獄卒の中でも一握りなんだぞ……」


 ブツブツと呟きながら言われるがままに料理を運びちゃぶ台に並べていった。

 最後に味噌汁を机上に置いたところで、朝ご飯が出そろった。


 ベーコンエッグに焼きのり、味噌汁と炊き立てご飯。


 必要としないはずの食事なのに、視覚と臭覚により食欲を掻き立てられる。胃に物を入れろと急かすようにグ~と腹の虫が鳴いた。


 その音を深陽が聞き逃すはずもなく、正座しお預けをくらっている琥影をニヤニヤと見下ろしていた。


「ふふ、ふふふ♪」


「……なんだよ?」


「なんでもないよ。さっ、ご飯食べよ!」


「おぅ……」


「両手を合わせて~、いただきま~す!」


「いただきます」


 琥影は箸を手にし湯気立つ味噌汁を軽く混ぜた後一口すすった。


「……うまっ」


 無意識だった。自然と口に出てしまうほど、ただただ率直に美味しかった。


 温かい食事なんて何年ぶりだろうか、キンキンに冷えた缶ビールと数種のあてさえあれば、それ以上何もいらないと思っていたが、ちゃんとした食事ってこんなに美味しかったんだな。


 非常に悔しいが料理に関しては白旗を上げてやる。深陽を現世に帰したら数百年ぶりに自炊に挑戦してみるか。

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