ダンジョン田中 -平穏を求めたダンジョン暮らし、勇者の乱入で台無しです-
戸井悠
第1話 平穏なダンジョンと非常事態
ダンジョンの最深部にある大広間。
かつて最強のボスが鎮座し、魔物たちが跪いていたという荘厳な場所。
――今、その中心には場違いな段ボールがいくつも積まれていた。
「それはそこに置いてください。ありがとう、ゴブリンくん」
田中は穏やかな声で、段ボールを運ぶゴブリンに指示を出す。その足元ではスライムが床の埃を吸い取り、ミノタウロスが天井にぶら下がる巨大なシャンデリアを丁寧に磨いている。
「いやー、みなさんが手伝ってくれて本当に助かります」
田中は微笑みながら、自分の荷物を整理する。
大広間の広さはテニスコートほどもあるが、田中が使っているのは隅の6畳ほどのスペースだけ。そこにはコンパクトなベッド、デスク、そして趣味のアーティファクトを並べた小さな棚が置かれている。
田中はその棚から一つアーティファクトを取り出し、うっとりと見つめた。
「素晴らしい……さすがダンジョンの賜物ですね」
田中は、かつて東京での多忙な日々に疲れ果て、田舎でのんびりと暮らすことを夢見てこの地に移住してきた。
選んだ住まいは、長らく放置されていた古い――ダンジョンだった。
本来、攻略済みのダンジョンは報告が義務付けられており、居住には適さない場所だ。
何よりそこには魔物がいる——しかし田中は持ち前のアーティファクト「従魔の勾玉(じゅうまのまがたま)」の力で、このダンジョンに住む魔物たちを従え、平穏な共同生活を送っている。
「このまま、穏やかに暮らせるといいんですが……」
田中がぽつりと呟く中、ゴブリンは段ボールの中で丸くなり、すやすやと眠っている。スライムはヨギボーの上でぷるんとくつろぎ、ミノタウロスはベッドメイクを終え、満足そうに頷いていた。
昼下がりの和菓子屋「幻魔庵(げんまあん)」
田中が働くこの店は、老夫婦の大吉と春子が営む老舗の甘味処だ。昔ながらの趣を残しつつ、新作和菓子の評判も高く、地元住民や観光客でいつも賑わっている。
田中がカウンターで新商品の饅頭を並べていると、入口の呼び鈴が軽やかに鳴り響いた。
店の扉が開き、入ってきたのは、近所の企業で働く常連客の茜だった
「茜さん、いらっしゃいませ」
肩にかかるほどの長いポニーテールが特徴的で、透き通るような白い肌に明るい茶色の瞳が印象的だ。白いブラウスとスラックスというシンプルなオフィススタイルながら、腰には小さなナイフケースが控えめに見えている。それはダンジョン探索者である——勇者の印だ。
「お昼休憩ですか?」
田中が穏やかに声をかけると、茜はカウンターの前で立ち止まり、並べられた饅頭を見つめながら嬉しそうに頷く。
「そうなの。近くでランチを済ませたから、そのついでに寄っちゃった」
その視線は新作饅頭にくぎ付けだ。
「あっ、これ新作でしょ? さっそく一つちょうだい!」
茜は小さく跳ねるような仕草で声をかける。その様子に、田中は思わず微笑んだ。
「新作を出したばかりなのに、もう気づくなんて……さすが常連さんですね」
「えへへ、ここのお饅頭を食べるとなんだか力が湧いてくるのよね!」
田中が新作饅頭を紙袋に包んでいると、奥から春子が顔を出した。
「あら、茜ちゃん! いつもありがとうね。実は試作品を作ったんだけど、ここで一つ味見していかない?」
春子が笑顔で饅頭を差し出すと、茜の目がキラリと輝く。
「いいんですか! ありがとうございます! いただきます!」
茜は饅頭を一口かじると、満面の笑みを浮かべた。
「ふわぁ〜、これも本当に美味しい!」
茜が満足そうに食べ終えると、ふと真剣な表情に戻る。
「でもね、田中さん。今日の用事はこれだけじゃないの」
「……なんでしょうか?」
「実は、町役場から依頼を受けてね。この辺りのダンジョンを調査することになったの。最近、人に害を与える魔物が出たらしいのよね」
田中の心臓が一瞬跳ねた。
饅頭を手にしたままの茜は少し肩を落とし、真剣な表情で続ける。
「だから今日は注意喚起に来たの。魔物を見つけたら絶対に近づかないこと。晴子さんや大吉さんにも伝えておいて」
茜が決意を固めるように席を立つ一方で、田中は内心冷や汗をかいていた。
「無理しないでくださいね。魔物は……とても危険ですから」
「大丈夫、これも私の仕事だから! それに、この饅頭のおかげで力も出るしね」
茜は笑顔を浮かべながら店を出ていく。
その後ろ姿を見送りながら、田中はため息をついた。
「このままだと、面倒なことになりそうですね……」
ダンジョンの大広間。
普段は穏やかな空気に包まれているボスの間——田中の部屋が、この日はどこか落ち着かない様子だった。
魔物たちが集まり、緊急会議が開かれていたのだ。
「みなさん、お集まりいただきありがとうございます。」
田中はいつもの穏やかな笑顔を浮かべながら、目の前に揃った魔物たちを見回す。
ゴブリンはちょこんと腰を下ろし、スライムはぷるんと揺れて自己主張し、ミノタウロスはいつも通り腕を組んで堂々とした佇まいを見せている。
「最近、少し困った状況になりつつあります。どうやら、近隣のダンジョンにまつわる良くない噂が広がっていて……いつ誰かがここにやって来てもおかしくないんです」
田中の言葉に、魔物たちは一斉に真剣な表情を見せた。
「なので、ここであらためてルールを確認しておきたいと思います。」
田中は優しい声で続けた。
「まず第一に、人間を傷つけてはいけません。これ、絶対守ってくださいね。」
ゴブリンたちはこくこくと頷き、スライムはぷるんと弾む。ミノタウロスも静かにうなずいた。
「そして第二に、できるだけ穏便に帰ってもらうことを目指しましょう。私たちはここで平和に暮らしたいだけですから。」
田中の柔らかな言葉に、魔物たちは真剣な目つきで応えた。
「では、もし誰かがダンジョンに入ってきた場合――」
――その時だった。
一匹のゴブリンが大慌てで駆け込んできた。両手を大きく振りながら、息を切らせて何かを伝えようとしている。
「まさか……もう来たんですか?」
田中は驚きながら椅子から立ち上がる。魔物たちも一斉に視線を田中に向け、緊張した空気が大広間を包み込んだ。
その頃、ダンジョンの入り口では――勇者の足音が確実に近づいていた……。
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