散った桜のコンフォート

ふりったぁ

第1話

 真希まきは息を弾ませながら、横断歩道の先にある門を見つめる。

 この日本に於いて珍しく荘厳な鉄製の校門。

 固く閉じられたそれを目にした瞬間、真希は目に涙が浮かぶのがわかった。

 試験勉強を始めてからの三年間。

 それが今、無に帰したことを彼女は思い知らされた。


 五分以上はその場に佇んでいたかもしれない。

 真希が眺める学園は日本国内でも特に有名で、数々の著名人を世に送り出してきた由緒ある場所だった。

 若くて才能のある者ならば、誰もがこの学園を目指して勉学に励む。真希も例外ではない。


――全部、ムダになったけれど。


 真希は鞄に下げた黒革のペンホルダーから、愛用のペンを抜き取る。

 そしてその先端を宙へ向けた。

 実家で試験の結果を心待ちにしているであろう父親と祖母へ、手紙を送ろうと思ったのだ。


「Write. Write for...」


 彼女が紡ごうとした呪文は感傷に震え、まともな声にならなかった。

 う、と思わず真希は嗚咽を呑み込む。

 込み上げた涙がますます彼女の視界をぼやけさせた。

 そのとき、頭上からとつぜん声が降ってきた。


「珍しいな。木製のペンじゃん」


 真希は驚いて声の方を見上げた。

 反動で、真希の両目から涙が零れ落ちる。

 そこにはひとりの青年が立っていた。

 額の真ん中から左右に分けられた銀髪に、燃えるような鋭い赤目が印象的で、海外の人のような見た目をしている。

 けれど東洋人らしい顔立ちだったため、真希はすぐに彼の髪が染色で、両目もカラーコンタクトなのだろうと察した。

 その銀髪を撫でつける青年の手首には、チェーン状のシルバーアクセサリーがいくつもぶら下がっている。

 いかつい指のひとつひとつにも、分厚い指輪が見て取れた。


――不良だ。


 反射的に真希は思った。


――私、もしかしてナンパされているのかもしれない?


 経験したことのないできごとに言葉を失う真希。

 あるいは、直前までのショックの方が大きすぎて、喋る気力がなかっただけかもしれない。

 青年は銀髪から指を離し、真希の手元を指差した。


「カーボンかガラスなら、よく見かけるけどよ。木製のペンなんざ、俺の親世代かそれ以上前でしか見たことがねぇわ」


 真希は昔から、嘘を見抜くのが得意だった。

 正確には、人の言葉に乗る感情を読むことに長けているのだ。

 だから青年が嫌味もなくただ純粋に、真希の愛用のペンを見て驚いているということも、真希はすぐに理解できた。


「……祖母のお下がりなので。年代物です」

「へぇ。貴重品じゃん」

「あの、なにか御用ですか?」


 真希がそのように尋ねれば、青年は首を傾け、真希から目を逸らした。

 彼の視線の先には、あの学園がある。


「今日はあそこの受験日だろ? そんな日にこの町に制服姿でやってくる学生ってのは、十中八九、受験生に決まっている」


 受験生、という単語に真希の心臓が嫌な跳ね方をする。

 彼女の動揺を知ってか知らずか、青年は言葉を続けた。


「試験時間、過ぎてんじゃねぇのか? あんたこそ、こんなところで油を売っていて良いのかよ?」


 真希の口から白い吐息が零れた。

 季節は冬。寒空の下で鼻を啜れば、つんとした痛みが彼女の鼻腔を駆け抜けた。


「心配して声をかけてくださったんですか?」

「いや。あんたのペンが物珍しかっただけ。その年季の入ったペンで、まともに魔術が使えんのか?」

「昔は代々、親から魔術媒介のペンを譲り受けていたそうですよ。ウナギ屋さんの秘伝のタレと同じです。年季が入っている分、魔力が馴染みやすいんです」

「へぇ……ますます貴重なペンだな。家族の愛が詰まっているってところか」


 青年は鼻で笑いながら言う。

 しかし、彼の言葉からやはり嫌味は感じられなかった。


「安物のカーボンを使っている俺とは大違いだ」

「私も魔術を習いたての頃はカーボンを使っていました」

「ンだよ。初心者向けって言いたいのか?」

「ガラスや木製よりも使いやすくて、愛用者も多いという話です。勝手に卑屈にならないでください」


 相手に見た目ほどの威圧感を感じなかった真希は強気な口調で言葉を返すと、ちいさく溜息をついた。


「……試験時間に間に合わなかったんです」


 青年の赤い目が真希を見た。


「そりゃ災難だな。寝坊でもしたのか? それとも、電車遅延?」

「歩道橋を登れないでいたおばあさんの荷物持ちをしていました」

「……マジで言ってんの?」

「こんなところで泣きながら冗談を言って、どうするんですか」


 そこでようやく真希は濡れた頬を手袋で拭った。

 いつの間にか涙は、この怪しい青年と話をしているうちに止まっていた。


「おばあさんのことを見過ごせなくて。手を貸したら試験に間に合わなくなるってわかっていたけれど、どうしても放っておけなかったんです」

「知り合いだったのか?」

「赤の他人ですよ。けれど私、おばあちゃんっ子なので」

「ふぅん」


 青年が気のない相槌を打つ。


「それであんたは、そのばあさんのせいで受験に間に合わなくて、助けたことを後悔していたと」

「それは明確に『いいえ』です」


 真希がそのように答えると、青年は興味深そうに自身の顎を撫でた。


「後悔はしていねぇのか?」

「もちろんですよ。世のため人のため、誰かの助けになるために魔術を学んで、この日本最高峰の魔術学園を目指してきたんです。困っている人を無視して、受験を優先していたら本末転倒です」

「なら、なぜ泣いていたんだ?」


 嫌味のない青年の問いかけは、真希の心を深く抉った。

 一瞬、真希は口を真一文字に引きしめた。

 それから口元の力を抜き、言葉を紡ぐ。


「おばあさんを助けたことを後悔はしていないんです。本当です。それなのに……試験に間に合わなかったことが悔しくて、悔しくて……」


 西洋から渡ってきた魔術理論。

 その奇跡の数々をテレビや動画で見て、父親や祖母が扱うのを見て、真希はすっかり魔術に魅了された。

 いつか亡き母親のような、有名な大魔術師に──他人のために魔術を使う優しい人になるのだと、真希はその一心でずっと勉学に励んできた。

 目の前の魔術学園はその憧れが詰まった場所だった。


「優しい人って、心もきれいなのに……私は『おばあさんさえ助けていなければ』なんて考えている。後悔していないはずなのに。おばあさんのせいにして、八つ当たりをしている」


 そのような自分が醜いと、真希はハッキリ自覚している。


「試験すら受けられなかったなんて、親になんて言えば……」


 青年は黙って真希のひとり語りに耳を傾けていたが、彼女がまた目元をこすり始めたのを見て、ふと視線を学園の門へ戻した。


「あんたに声をかけたのは、いつかの俺を見ているようだったからだよ」

「えっ?」

「俺も去年、あの学園を受験したんだ。けどよ、試験時間に間に合わなかった。あのときほど、飛空用の箒が欲しいと思ったことはねぇだろうな」


 青年は赤い目を辛そうに細め、それで、と話を続ける。


「今日が受験日だと知ったから、こうして未練がましくあの門を眺めに来た訳だ。女々しいだろ? 俺だってこんな見た目をしてっけどよ、魔術の勉強は真面目にやってきたんだぜ?」

「……なぜ、試験時間に間に合わなかったんですか?」


 真希の問いかけに青年は自嘲を零した。


「横断歩道で転んだ見ず知らずのじいさんを助けていた」

「本気で言っているんですか?」

「『困っている人に手を差し伸べるのが魔術師』だろ?」


 どの魔術書の前書きにも必ず記されている文言を発して、青年は口角を上げた。


「でも、まぁ、そこまで俺も裕福じゃねぇからな。浪人なんざしていられねぇから、別の日に受けた隣町の魔術学院に入学したんだが……」

「隣町の?」


 とつぜん真希は素っ頓狂な声をあげた。


「私、昨日そこを受けてきました」

「あ? 滑り止め?」

「まぁ……否定はしませんが」


 誤魔化すように真希はモゴモゴと呟くと、


「そこに受かっていたら、あなたは私の先輩になるんですね」


 青年を見上げてそのように述べた。

 とたんに青年が鼻で笑う。


「浪人しないのか?」


 真希はハッとした表情を浮かべ、青年から視線を逸らした。

 そして自身のブーツの爪先を見つめながら、マフラーを口元に引き上げた。


「親との相談になるとは思いますが……正直、また一年かけて勉強をするのは辛いです。私は座学が苦手なので」


 真希がそのように告げると、「そっか」と青年は納得したように呟いた。


「あんた、苦手なことをずっと頑張ってきたんだな」

「……やめてください。今、そのようなお言葉をかけられると、また泣いてしまいそうです」

「あんたは偉いな」

「あっ。この先輩、いじわるだ。初対面の女の子を泣かして楽しんでいる」


 青年は否定せずにカラカラと笑った。

 真希も、目元に浮かんだ涙を指で拭いつつ口角を上げる。


「ありがとうございます」

「ん?」

「先輩とお話しをしていたら、すこし落ち着いてきました」

「ん」

「お名前をお聞きしても良いですか? 私は真希です。根川真希ねがわまき

「ん……俺は、そうだな……」


 青年はなにかを考える素振りを見せたあと、片手を宙に伸ばして手首を軽く回した。

 すると彼の手の中に、どこからともなく黒いカーボン製のペンが現れた。

 無から有を取り出す高度な空間魔術を見せられた真希は、目を丸くして青年を見つめる。

 彼女の反応に青年は満足そうな表情を浮かべ、黒いペンの先を真希のマフラーの上で軽く動かした。


「Bloom. Encourage her.」


 それと共に青年が呪文を唱えると、ぽつ、ぽつ、と真希の周りに桃色の淡い光が灯り始める。

 次の瞬間、光は大量の花びらに変わり、真希の周囲に降り注いだ。

 季節外れの桃色の花弁だ。


「サクラで良いぜ。真希ちゃん」


 はらはらと舞い上がり、そしてゆっくりと下りていく桜の花びらは、真希の服やコンクリートの地面に着地すると再び光に戻って消えていく。

 真希は青年の真っ赤な目を見て、「サクラ先輩……」と呟いた。

 サクラは悪戯っぽい笑みを浮かべると、手を振るようにカーボン製のペンを軽く揺らして、真希の傍から立ち去っていく。

 真希は、どこか熱に浮かされたような視線をサクラの後ろ姿に向けた。

 やがてちいさく息を吐き、真希は柔らかく笑う。


――ああいう、優しい魔術師になりたい。



 冷たい風が吹き抜ける中、真希の周りにはすこしの間、温かな光が点滅していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

散った桜のコンフォート ふりったぁ @KOTSUp3191

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画